女性開発者の割合が低く、離職率も高いと言われるゲーム業界で、25年以上も第一線で活躍し続けてきた、サウンドクリエイターの佐宗綾子さん(株式会社スーパースィープ取締役)。ナムコ(※本文中のナムコとは、現在の株式会社バンダイナムコエンターテインメントを指す)での7年間を振り返った 前回の記事に続いて、今回は転職・独立後の仕事や働き方の変化について伺った。
ナムコ時代の縁からアリカでスクウェアの仕事を受注
長年、ナムコで同じプロジェクトに携わってきた細江慎治さんが、知人の新会社に参加することとなり、これをきっかけに転職を決めたという佐宗さん。ナムコサウンドチームの同僚・相原隆行さんとともに、細江さんのあとに続く形で、株式会社アリカ サウンド部へ籍を置くこととなった。1996年のことだ。
しかし、新作を続々とリリースしていた大手のナムコに対し、設立間もないアリカは開発規模もスピードも異なり、プロジェクト数に対してサウンドクリエイターが過剰な状態。また、細江さんが独立を前提に入社した経緯もあって、他社からの仕事も請け負うことになったという。ここで佐宗さんたちに味方したのが、ナムコ時代の仲間たちとのつながり。例として、ナムコを卒業していった元同僚との縁で、プレイステーション用『ブシドーブレード』(スクウェア、現在のスクウェア・エニックス)などのサウンドを手掛けることになった。
このように、ナムコ時代とはいろいろと勝手が違い、とまどうこともあったとか。たとえば、複数のメーカーの基板を扱うようになり、勉強し直す必要も出てきた。「なかには、音程がちゃんと出ない基板もあって。『ファイティングレイヤー』(アリカが開発したナムコのアーケードゲーム)で、ナムコの基板を久しぶりにイジれたときは感慨深かったですね」。また、生レコーディングの際には、今までレコード会社のディレクターや編曲者に任せていた演奏者の手配から現場での指示までを、自分ひとりで担当することに。こうした新しいことにチャレンジしながら、佐宗さんはより幅広い経験を積んでいった。この頃、細江さんや相原さんとの合作によるオリジナルアルバム『escape goat』もリリースしている。
朝まで『ウルティマオンライン』でサウンドチーム全員遅刻
転職後の佐宗さんは、家賃補助制度を利用して、憧れのひとり暮らしをスタートさせた。この頃プライベートでハマっていたのはオンラインゲームで、同僚と『ディアブロ』大会をやったり、βテスト時代の『ウルティマオンライン』に朝まで興じて、全員で遅刻したこともあったのだそう。「さっきまで会社で一緒だったひとたちと、家でも『サーバ立てた、何番にいるよ』とICQ(※メッセンジャーの一種)で飛ばして集まって(笑)。『エバークエスト』をやっていた頃には、会社で居眠り中に『オークシャーマンがぁ……』と寝言を言って、細江さんに爆笑されたらしいです。どうしても倒せなかった敵のことなんですけどね」。オンラインRPGが普及する初期の段階で、その走りと言えるタイトルに夢中になっていたという、ゲームに対する感度の高さが伺えるエピソードだ。
細江慎治さんとともに独立。『リッジレーサー』シリーズ復帰のオファーも
転職から4年後の2000年、ついに機が熟し、細江さんが株式会社スーパースィープを設立すると、佐宗さんも出資して取締役に就任することになった。タイトーで活躍した渡部恭久さんも参加し、スーパースィープは3人でのスタートを切る。ちなみに、相原さんも同じ年にスタジオカルナバルを設立し、独立したのだった。
アリカ時代にも外注業者としてのノウハウを蓄積してきた佐宗さんたち。独立後は古巣のアリカや、ナムコ・アリカ時代につながりを持ったクライアントから定期的な依頼を受け、ナムコのプレイステーション・ポータブル用『リッジレーサーズ』にて、シリーズに復帰するというドラマもあった。やがて、コナミ『BEMANI』シリーズやナムコ『太鼓の達人』シリーズなど、リズムゲームにオリジナル楽曲を提供する機会も多くなっていく。最近では海外にまで取引先を拡大している。
ほか、自社CDレーベル『SweepRecord』を立ち上げ、ゲーム関連CDの企画制作から販売までを請け負うようにもなった。そのバラエティに富んだラインナップのなかでも、ナムコ往年の名曲で遊べるアリカのリズムゲーム『テクニクビート』のサントラCD(2008年作品)は、佐宗さんたちのキャリアのひとつの結晶にも思える。
ところで、メーカー勤務時代は、担当プロジェクトの作業部屋を頻繁に訪ね、開発状況を見ていたという佐宗さん。具体例として、ナムコのアーケードゲーム『ローリングサンダー2』では、ハイヒールを履いた主人公の動きを開発中に見て必要な音を判断し、自らハイヒールを履いてジャンプした音を当てたりしていた。だが独立後は、開発のようすをすぐに見られる環境にないため、基本的には資料から判断するしかなく、やりにくさを感じているそうだ。
一方で、独立後には「メーカー勤務では経験できない仕事との出会い」が待っていた。たとえば、テレビアニメの劇伴。佐宗さんはこれまでに、『ノーゲーム・ノーライフ』や『タブー・タトゥー』などのサウンドトラックに携わってきた。また、羽田空港国際線旅客ターミナルの出国後ラウンジにて、巨大モニターで上映される世界各国のイメージ映像用BGMという、スペシャルなオファーも舞い込んだ。佐宗さんはブラジル編とオーストラリア編を担当。軽やかなイージーリスニングで、ゲームでおなじみのテクノチューンとはまったく異なる佐宗さんの世界が広がっている。
徹夜をしなくなった、現在の佐宗さんの曲作り
独立後も、「しばらくは"合宿状態"でしたね。事務所も普通のマンションの1室でしたし。ごはんも作って、夜中はみんなでゲームして(笑)」という、ナムコ時代からの働き方を続けていた佐宗さんだったが、それから10数年が経ち、近年は徹夜もできなくなったという。「若いときには(ひらめきが)降りてこないときにも机に向かうエネルギーがあったんですけど、いまはあきらめています。そんなときには待機してエネルギーを温存し、降りてきたときにダン! と一気に振り分けて、曲作りを進めるんです」と佐宗さん。ただ、役員としての雑務にも時間を取られるいまは、集中するために「ひともいないし、電話もかかってこない」休日の出勤も多いそうだ。その一方、プライベートの充実ぶりもあいかわらずで、最近では大好きな猫をテーマに趣味でCDを制作。「目指せ、『みんなのうた』ですよ」と、いたずらっぽく笑った。
インタビューの最後に、業界の先輩として、また人事に関わる立場から、サウンドクリエイターを志望する若い世代へ、メッセージをいただいた。「サウンド職は感性の勝負なので、性別はまったく関係ないですね。欲しいのは、音に対してなんにでも興味をもってくれるひと。『曲は書きたいけど効果音は興味ない』ってひと、意外といるんですよ。でも、ゲームって、曲と効果音とは一体だと思うんです」。確かに、ゲームのプレイ体験を回想するとき、曲と効果音とは混然となってよみがえる。
「分業化しているメーカーもあるかもしれませんが、ウチのスタッフは全員、どっちもできます。私自身、ナムコ入社から4〜5年は、『ギャラクシアン3』シリーズの爆発音をずっと作っていましたし」。当時、いい音が作れずに悩んでいた明け方、ベッドの中で雷鳴を聞き、「うわぁ、いまのいい音だった。もう1回お願いしまーす」などと寝ぼけて、隣で寝ていた妹に笑われたこともあったとか。最後の最後まで、佐宗さんのお話は、サウンド制作へのひたむきさに溢れていた。
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