kazuhiro-kawai-7 02
© Pirelli
F1

【川井式F解剖学】ハミルトンの秘策、その全貌

グランプリレポーター“川井ちゃん”の新連載。各GPのキモとなったポイントを解剖する素人厳禁マニアックコラム、第8回アブダビGPは「逆転王座を狙ったハミルトンが仕掛けたバックアップ作戦」を解説する。
Written by KAZUHITO KAWAI
読み終わるまで:11分Published on
kazuhiro-kawai-7 01

kazuhiro-kawai-7 01

© Daimler

今シーズンのF1は最終戦アブダビGPで決着したわけですが、見た目は最終ラップまでどうなるのかわからないスリリングなレースになりましたね。
チャンピオンシップでニコ・ロズベルグに12点差をつけられていたルイス・ハミルトンが王座を手に入れるためには、自身が優勝するだけでなく、チームメイトのロズベルグが4位以下になる必要があったわけですが、そのハミルトンが採ったのが「バックアップする」という作戦です。これは後ろのロズベルグを押さえながら、その後続をポイントリーダーに近づけ、攻撃させるという戦略。そこで何かがロズベルグに起こればタイトルが転がり込んでくると言うわけです。
ハミルトンの思惑どおり、セバスチャン・ベッテルとマックス・フェルスタッペンがレース終盤、ロズベルグの背後に迫ったわけですが、この2台ともロズベルグを攻略できず、ハミルトンにとっては残念ながらこの作戦は成功しませんでした。この作戦は木曜日の段階でレッドブルのクリスチャン・ホーナーが「ハミルトンが賢ければ、やるはずだ」と言っていましたが、私も個人的にこの戦略はアリだと思います。しかし、私がレース後、「ちょっと後味の悪さを感じるレースだった」と言ったのは、理由があります。
その同じ木曜日に「そのクリスチャン・ホーナーの言うようなことをやるか?」と尋ねられたハミルトンが、「考えたこともない。もし僕がレースでリードしていたら、後ろを可能な限りぶっちぎりたい。そのほうがチームメイトをバックアップするより偉業だと思う。それは理にかなっているような作戦に聞こえるけど、ここはふたつの長いDRSゾーンがあるので現実的ではない……簡単ではない上に賢いやり方ではない」と語っていたからです。
私がナイーブなだけかもしれません。逆に「タイトルを獲るために何でもする。最後までジタバタしてやる!」とでも彼が発言していたら、成功しなかったものの、この作戦をほぼ完璧に近い形で遂行したハミルトンに拍手を送っていたでしょう。ベッテルのように「彼の戦略は汚いやり方だ」とか、ナイジェル・マンセルをはじめとする年配の元ドライバー達のように「スポーツマンシップに反する行為だから、自分が彼の立場だったらやらない」という意見とは違います。
レース中の無線からも明らかなように、ハミルトンはあの戦略をチームのエンジニアや戦略家に事前に言うことなく、ひとりで実行したわけです。でも、自分のチームスタッフを含め、周りまで事前に欺いておかないと、今回のような作戦は成功しません。だから、木曜日の発言はアリなのかもしれませんけどね。それを説明しましょう。
たぶん、スタート前にハミルトンにとって最も心配だったのはスーパーソフトタイヤでスタートするレッドブル勢がどのような戦略をやってくるかでしょう。もちろん自分はグリップの高いウルトラソフトタイヤでスタートするので、スタートの蹴り出しで負けることはありません。昨年、スーパーソフトタイヤでスタートしたドライバーのなかで、それを一番長く使ったのは自分(ハミルトン)であり、それでも11周しか走っていないという事実はあります。
私もスーパーソフトでスタートしても短めのスティントになると思っていました。しかし今回、レースと同じ夕方から夜にかけて行われたフリー走行2回目で、それを使ってロングランを行ったボッタスが、予選シミュレーションを5周やった後、同じタイヤセットのまま大きなデグラデーションを見せることなく(他のレースと比較すれば大きい数値なのですが、今回のウルトラソフトタイヤよりずっと小さかった)15周ほどそこそこのペースで走っていました。
つまり、「スーパーソフトでスタートするレッドブルは1ストップの可能性があるので、それを警戒しなければならない……。自分の最終ピットストップ(2回目)直後までは、それをやられてもトップを死守できるギャップを維持しなければならない」とハミルトンも、メルセデス陣営も考えていたと思います。
ハミルトンにとっては幸いなことに、フェルスタッペンはスタート直後のスピンで遅れ、ダニエル・リカルドもスタート直後の1コーナーでタイヤにフラットスポットを作ってしまっていました。クリスチャン・ホーナーはレース後、「ハミルトンが先頭に立てば、可能な限りスロー・ペースでのレースになるのは予想できたことだ」と話していましたが、スーパーソフトタイヤの可能性を活かすことなく、2ストップ作戦に切り替えてくれました。
ハミルトンはこの作戦をひとりで遂行したわけですが、ご存知のようにレースにはピットストップがあります。これはひとりではできません。そのため、最終ピットストップ後までは「バックアップ作戦をやる」というのがチームにばれてしまってダメです。
通常、チームメイト同士が前後走っている時は、前を走るドライバーにピットストップの優先権があります。これは逆にしてしまうと、後ろのドライバーが前のドライバーをアンダーカットしてしまう可能性が高いためです。ですから、今回の場合、そのルールからいけば、ハミルトンからピットストップするわけです。
しかし、もしハミルトンが最終(2回目の)ピットストップ前から、ロズベルグ、そして3位以下を引き付けた(バックアップした)場合……、例えば上のギャップグラフで、仮に25周目前後の時にキミ・ライコネンとリカルドがロズベルグの真後ろまで来ていたとしましょう。メルセデスが「ハミルトンのペースが悪く、ロズベルグを押さえる形になっている」と判断した場合、勝利を得るために、高い確率でハミルトンからではなく、ロズベルグからピットストップさせるでしょう。
極端な言い方かもしれませんが、チームにとってはどちらのドライバーがタイトルを獲得しても良いわけで、このレースに勝つことが重要です。なので、後続のライバルチームのドライバー達にアンダーカットされる前に、レースペースで優れていると思われるドライバーを優先します。ですから、ハミルトンがトップを守る……、つまりレースを前方でコントロールするためには、2回目のピットストップまではあくまで、「僕は通常どおりレースを進めているよ。勝利は間違いない。心配しないでいいよ」という振りをしてレースをし、自分がロズベルグより先にピットストップを行い、トップのまま第3スティントに入る必要があったのです。
kazuhiro-kawai-7 02

kazuhiro-kawai-7 02

© Pirelli

ギャップグラフにあるように、ハミルトンは2回目のストップまで、ロズベルグ、そして後続のフェラーリとレッドブルに大きなギャップを築いているわけではありません。しかし、一般に公開された無線内容を聞く限り、チーム側はハミルトンのやや遅めのペースを疑った様子はありません。「おやっ?」とぐらいは思っていたかもしれませんが……。メルセデスとしては3000km以上走ったエンジンを使っていましたからね。チームはハミルトンがバックアップ作戦をやるとは思っていなかったため、2回目のピットストップも、すんなりとハミルトンから行い、そのまま彼を実質的なトップでコースに戻しました。
ハミルトンとしてはこれで「バックアップ作戦」のお膳立てが完全にできました。チームが彼の作戦に気づいたのは2回目のピットストップを終えた4周後からです。彼の担当エンジニアであるピーター・ボニントンから32周目に、「質問だ。なぜそんなゆっくりなんだ? 現在、ベッテルにやられる可能性があるぞ」という無線が飛びました。
ペースグラフを見てください。ハミルトンはその質問には答えず(答えたのかもしれませんが、公開されていません)、その周、わずかにペースアップし、「これでどうだ?」と無線を入れると、ボニントンは「45秒3なら、こちらはハッピーだ」と答えます。それでもグラフにあるようにレッドブルの2台よりは遅いペースなんですね。
アブダビGPが行われるヤス・マリーナ・サーキットは長い直線があり、しかもそこがDRSゾーンになっています。しかし、それでも前のクルマを抜くにはペース的に1.2秒以上速くないと抜けないと言われているところです。つまり、ハミルトンは可能なラップタイムよりも1秒抑えてもロズベルグには抜かれないと同時に、後続を引き付けられるのです。
もちろん、この時点ではベッテルが前にいるのでハミルトンは34周目に「全員ストップしたのか?」と尋ねています。もちろんボニントンは「いや、ベッテルが前にいる」と答えると、ハミルトンは「ベッテルだけが前なんだな?」と確認しています。そしてベッテルがなかなか2回目のピットストップをしないため、少しばかり不安になったのか、ハミルトンは37周目に「ベッテルは1ストップか?」と再び無線を入れ、ボニントンから「そうは思わない。ただ後で新品(スーパーソフト)タイヤを履いたら、脅威になる」との答えを得ています。
ハミルトンにとっては思い描いていた通りの展開です。ベッテルが2回目のピットストップ後の44周目にハミルトンは「他のクルマの(ラップ)タイムをくれ」とピットに訊きます。ハミルトンにすれば、どこまでペースを落とせば良いのか知りたかったというわけです。自分のペースはステアリング上のディスプレイに表示されますからね。
この後の無線のやり取りはご存知のとおり。再三、ボニントンから「ペースを上げてくれ」という指示が飛び、最後にはチームの技術部門を統括するエグゼクティブ・ディレクターであるパディ・ロウから「このレースを勝つためにペースを上げろ。これは命令だ」と指示されました。これに対してハミルトンは「パディ、僕は今、リードしているだろ。それで快適な状態だ」とアッサリと返しています。
ペースグラフにあるように、最後までハミルトンはペースを上げず、後続をバックアップしたまま走り切ってしまいました。ただ、最終スティントにスーパーソフトタイヤを履いたベッテルもフェルスタッペンを抜いたところまでは良かったのですが、そこまでにタイヤを使ってしまったのでロズベルグに本格的に仕掛けるまでいかず、またベッテルもハミルトンの作戦に気づいていたため、際どいことを避け、クリーンなレースをしました。そのため、ハミルトンの思っていた通りにはなりませんでしたけどね。
これはその後ろのフェルスタッペンも同じです。個人的に言わせてもらえば、ハミルトンのエンジニアからの無線にあった「ベッテルが脅威だ」とか、「優勝するためにはペースを上げろ」と言うチーム側の反応は大げさすぎます。ハミルトンはペースを失っていたわけではないので、誰が見てもハミルトンが勝つことは明らかだったでしょう。
結果的にメルセデスにとっては全て問題なかったレースになったわけですが、あの無線での混乱ぶりとハミルトンのチーム命令の無視により、チームはその統制力、特にドライバーマネジメントに問題があるということをさらけ出してしまいました。本来なら、このシナリオは想定できたわけですから、その対策を事前にやっておくべきでした。
そうすれば、ハミルトンがそれをやりそうだったら、「 A(アグリーメント=取り決め)を忘れるな」とか一言無線で入れれば、全て綺麗に収まったはずです。木曜日のハミルトンの言葉を信じた私に、そのシナリオ対策をやるのは無理ですけどね。レース中に映ったメルセデスのファクトリーにいた20数名のレースサポートチームの連中は、どんな気持ちでレースを見ていたのでしょうか? あれだけの人間がいて、ハミルトンの作戦を知っている人はいなかったのでしょうから。
【過去記事リンク】
◆AUTHOR PROFILE
F1 2

F1 2

© [unknown]

KAZUHITO KAWAI
F1のテレビ解説&レポーターとしてお馴染み、“川井ちゃん”こと川井一仁。多くのF1ドライバーやチームスタッフから「Kaz」のニックネームで親しまれる、名物ジャーナリスト。1987年からF1中継に参加し、現在まで世界中を飛び回り精力的にグランプリ取材を続ける。