4分
Wheelie King
Wheelie King
「331.01915km」
これは今から26年前の1991年にトライアルライダーの工藤靖幸氏が樹立したウィリー連続走行世界記録である。今回、 スクーターパフォーマーの安倍 優が狙うのはこの記録の遥か先にある600kmだ。日本地図に置き換えると、東京の日本橋を起点とした直線距離換算で、北は青森県の陸奥湾、西は広島県の福山駅……、途方もない数字である。これを 125ccの原付スクーター(※道路運送車両法で50cc~125ccは第二種原動機付自転車に分類)で、しかもウィリーしながらノンストップで走りきるというのだから、クレイジー以外の何ものでもない。
チャレンジ当日、夜が明けて間もなく、舞台となる 川口オートレース場に安倍が到着した。お世辞にも綺麗とは言えない軽トラで会場に乗り入れ、安物のサンダルをルーズに履きこなす彼は設営スタッフかと見まごうばかりの出で立ちだ。「今日は調子がいいです!」そう言って気丈に振る舞う。
スタートの7時が迫る。今回のチャレンジで安倍のメカニック兼監督を務めるバイクショップ、プロップマンの石井氏が慌ただしく動き出した。安倍とともに装備類の指差し点検をし、入念な最終打ち合わせを行う。準備は整った。予定時刻から遅れること9分、安倍がスタートラインに着く。日の丸のチェッカーが振られるとスクーターのフロントがふわりと浮いた。「目標達成」か「諦めて止める」まで、前輪が地に着くことは許されない。安倍の孤独な闘いが始まったのだ。
普段はオートレース機の排気音と観客の歓声や怒号が轟くこの川口オートレース場だが、今日はスクーターのか細いエキゾーストノートが鳴り響くのみ。オーバルコースと言えども直線距離はないに等しい。安倍は極めて高いボディバランスとスロットルワークによって一定のリフト量を保ちながら、1周(688.495m)を時速約40㎞にキープしつつ着々と周回を重ねていく。1時間を経過した時点で走行距離は39.2kmをマーク。順調な滑り出しだ。
安倍を待ち受ける難関は幾つかあるが、そのひとつである“痛み”が2時間を超えて唐突に訪れた。特に腰まわりに違和感が生じたと言う。6時間目以降に飲む予定だった痛み止めの薬を早々に消費することに。さらに、あろうことか安倍は薬を落としてしまう。すかさず石井氏が並走を試み、流れるような一連の動作で予備の薬を手渡す。
この石井氏こそ安倍が絶対の信頼を置く人物であり、成功へと導くキーマンだ。安倍は車両のメンテナンスやイベントに参加する準備など、そのすべてを自分で担ってきた。だが、今回は車両を石井氏に委ねることで、自身はライダーとして集中できる盤石の体勢を整えられることができたのだという。走行中も、石井氏は「頑張れ!」「フロントを上げろ!」「ドリンクを飲め!」様々な言葉を投げかけて彼をサポートし、冷静沈着な状況分析で走りをコントロールする。時には周回タイムを一律に保つという趣向を凝らした提案をし、安倍の気を紛らわすことで、当チャレンジの難関のひとつである“眠気”を取り除く工夫を実践する。
スタートから4時間が過ぎようとした頃、この川口オートレース場をホームとする現役オートレーサーにして元WGPのトップライダー、青木治親選手が応援にかけつけてくれた。その青木選手によると、
「パワーのあるマシンならアクセルを開けるだけで自然とフロントが上がりますが、非力な4スト125ccのスクーターでウィリーをして、それをコントロールするなんて芸当はボクには無理ですね。それに、このコースはオートレース場の中でも特殊でとても風が強いんです。巻き込むような風で車体にまとわりついてくる。傾斜もあるし、ウィリーするだけでも大変だと思いますよ」
そう、この“風”こそが安倍が危惧していた最大のリスク。立っているだけならほぼ無風なのだが、バイクで走ると風は牙を剥いて忽然と襲い掛かってくる。実際に筆者が250ccスクーターで走った際も(もちろんウィリーせず)ランダムに吹き荒れる風に煽られ、気を緩める暇もない。あらためて“彼は超人的なことをしている”と思い知らされた。
安倍はこの日のために1年前から準備をしてきた。1日たりとも練習を欠かさないのは当然のこと、総走行距離は優に日本縦断ができるほど走り込んできた。その際に連続走行時間も10時間を達成している。また、生活習慣も見直し、食事、睡眠、練習時間……すべてをルーティーンワーク化し、これらを徹底することでパフォーマンスへ及ぼす影響を体感だけでなく、データとしても細かに管理する。
「今までは辛くても気合いでカバーすればいい、そう思っていたのですが気持ちや技術だけではどうにもならないことがあるって気付いたんたんです。ベストを尽くして挑まなければ限界は超えられない」。安倍のこのストイックさは、彼が根っからのネガティブ思考であるがゆえに常に最悪の状況を見越したものであり、問題視していた痛み、眠気、風もほぼ想定内だったという。
その一方で、彼はとんでもない行動に出ることがある。これは先述した「2時間目で迎えた痛み」に関係してくることだ。遡ること数日前、コンディションを整えなければならない大事な時期に、安倍は世界記録保持者の工藤氏を訪ねて横浜から熊本県まで不眠不休で軽トラを走らせていたのだ。「チャレンジする前に目標とする人にどうしても会いたい」そう思ったら家を飛び出していたという。片道16時間、帰りはフェリーを使用したとはいえ往復で22時間以上も運転し続け、腰に負担をかけたのが痛みを早めた原因だ。ちなみに、このエピソードは後日判明したことである。
思い立ったら即行動が彼のポリシーだが、裏目に出ることも多々あり、今回がその例。徹底したリスクヘッジと即実行に移す猪突猛進な性格、これらの相反するキャラクターが混在するのが「安倍 優」という人間なのだ。なお、工藤氏が記録を樹立した年齢は安倍と同じ33歳の時。図らずも同年齢で挑むことと相成った。
開始からおよそ8時間、目標とする331.01915kmが迫ってきた。世界記録が近づくにつれてギャラリーの声援も次第に小さくなっていく。残り一周、会場はいよいよ静寂に包まれ、走行記録を映し出すモニターだけが淡々と数字を刻んでいく。空気が張り詰める……。そして、その瞬間は訪れる。安倍が我々の目の前を通過したと同時に一斉に沸いた。走行時間8時間18分43秒、時刻にして15時28分、走行距離は331.16369km(481ラップ)、みごと世界記録を破ったのだ。安倍は左手を挙げると後方から聞こえる歓声に人差し指を突き上げ、応えてみせた。
だが、安倍は速度を緩めることはない。自身が掲げた600km走破までまだ半分。世界記録を超えたということはライバルが存在しない、自分自身との闘いであることを意味している。
そして、その闘いは壮絶だった。
12時間を超えたあたりから周回タイムがみるみる落ち込んでいった。普段は人一倍穏やかな安倍が身体の痛みから泣き叫び、誰に向けることもなく罵詈雑言を並べ立てる。「痛い」「辛い」「もういやだ」そう口にした直後に「絶対に負けない」と自分自身を鼓舞する。これをひたすら繰り返した。この通信を聞いているのは石井氏と一部のスタッフだけ。安倍の体調を考慮し、スタッフは急遽ストップを検討するも石井氏が遮った。「あいつはまだやれる。なんなら今入っている燃料が切れるまででもいい、限界まで走らせてやってほしい」と。監督としての冷静な判断に基づく意見なのか、安倍に対する期待なのかは知る由もない。
この時のことを安倍は後にこう振り返る。
「今までで一番辛かったですね。両腕が痛みや痺れを通り越して感覚が一切ないんです。目も霞んで……、意識もほとんどありませんでした。いわゆる“脱水症状”ですね。初めて経験しました。練習で10時間連続走行をした際の体力の残り具合から見て、14時間は行けると思っていたのですが……。石井さんからは“水分は小まめにとれ”ってきつく言われていたのに、気負っていたのか、後半はそれを怠ってしまって。とにかくボクのミスです。正直、最後の併走給油も失敗する可能性が大きかったですね。あとは無我夢中で走り続けました」
この時点で精根を使い果たしていることは明白だった。安倍は残る力を振り絞ってハンドルに備えたレッドブルに手を伸ばすと、一口、二口と喉に流し込み、乾ききった身体にエナジーを取り入れる。コンマ数秒さえ予断を許さない状態では、飲み終えた缶を元のホルダーに戻すことすら敵わない。“限界突破”、言葉にするのは簡単だが成し遂げるのは困難だ。ここでやめたとしても誰も文句など言わないだろう。
「自分が限界だと思ったその先に行かなければきっと誰かが後を追ってくる。記録を狙うのなら、ぐうの音も出ないほどの数字を叩きださなければダメだと思いました」
後進に道を譲る気など毛頭なく、我こそがナンバーワンであるということを強く決意していた。
安倍には夢がある――。「こうなりたい、こうでありたい」、己が描くヒーロー像を自分自身に投影し、実現するためなら労をいとわない。雑草根性丸出しで一心不乱に突き進む。冨と名声は誰もが欲するところだが、それ以上に『大好きな原付スクーターのパフォーマーとして脚光を浴び、大勢の人を喜ばせたい』、これこそが彼が望む自分であり、挫けそうになる心に負けたくなかったのだ。
疾走感のある走りでもなく、肝を冷やすスタントでもない。しかし、この魂を削るウィリーは誰にも真似することのできない、最高のパフォーマンスだった。この日、安倍は13時間以上にも及ぶウィリー連続走行を成し遂げ、「500.53223km」という距離を一度も止まることなく走りきった。
ウィリーでの長距離走行記録、そこに何があるのか? その真の意味は挑戦者にしかわかりえないし、その価値は各々が見出せばいい。いつも通りの帰り支度をする彼を前にして筆者の口からついて出た言葉は、おめでとうでもお疲れ様でもなく「ありがとう」だった。そして、なぜか彼も「ありがとうございます!」と応えくれた。
安倍は愛用の安物サンダルに履きかえ、お世辞にも綺麗とは言えない軽トラに乗り込むと颯爽と帰路に着いた。その姿からは誰も想像しえないだろう。
その男こそが、世界一の称号を持つ“ウィリーキング”であることを。
【最終結果】
周回数:727ラップ
走行距離:500.53223km
走行時間:13時間18分23秒(※参考値: 車載メーターによる実走行距離は526.1km)
【ラスト15周の参考データ】
【クレジット】
プロジェクトリーダー:須藤義一
原稿:佐藤恭央
写真撮影:小林邦寿
Location Support: 川口オートレース
関連記事: