Motoring

モータースポーツ界に偉大な功績を残した女性レーサー 6人

伝統的に男性中心の競技であり続けてきたモータースポーツで尊敬すべき活躍を残した女性レーサーたちを紹介する。
Written by James Roberts
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ダニカ・パトリック

ダニカ・パトリック

© Getty Images

ほんの少し前まで、モータースポーツは男だらけの世界だった。マシンをドライブするのが男たちなら、サーキットに集まってくる観客も男ばかりという有様だったのだ。
依然としてモータースポーツは男性中心の競技だという意見は根強いが、その事情が大きく変わりつつあることも確かだ。ラリーレイドからF1に至るまで、近年は多くの女性たちが、ドライバーはもちろんメカニックやエンジニアとして活躍し、女性もまた男性と同じステージで競うことができるという事実を証明している。
自らの夢をひたむきに追い、既成概念を否定し、モータースポーツをより多くの人々に開かれた競技へと変化させた偉大な女性レーサーたちを紹介しよう。

ダニカ・パトリック

ウィスコンシン州出身の女性レーシングドライバー、ダニカ・パトリックが過去10年以上に渡ってモータースポーツ界に刻んできたレガシーはすでに驚くべきものだ。彼女はこれまでNASCARやインディカーといった米国モータースポーツ界のトップクラスで戦ってきた実績を持っている。レース活動外でのメディア露出、例えばヒップホップ系のPV出演やFHM(米国で発売されている男性誌)のグラビア登場などは一部で物議を醸したものの、レーストラックにおいて彼女が目覚しい功績を残してきたことは間違いない事実だ。
パトリックは、現在でもNASCARのトップクラスで活躍を続けている。左回りオーバルでとにかくスロットルを踏み続ける極めて米国的なマッチョイズムが支配するこのカテゴリーに彼女は2005シーズン以来参戦を続けており、デビューイヤーのインディアナポリス500では4位入賞、そして2009年の同イベントでは歴史的な表彰台フィニッシュを果たしている。また、2014年のデイトナ500ではポールポジション獲得というセンセーショナルな記録も残した。
インディカーでは、2008シーズンに栃木県ツインリンクもてぎで開催されたジャパン300で初優勝。同シリーズ史上初の女性ドライバーとしての優勝を記録した。後世に残るべき偉大な記録だ。

井原慶子

井原慶子はル・マン24時間で活躍を見せた

井原慶子はル・マン24時間で活躍を見せた

© Getty Images

過去数十年間に渡り、日本の自動車 / バイクメーカーは世界のモータースポーツ界における技術革新をリードする存在であり続けてきた。1980年代後半から1990年代初頭にかけてHondaはアイルトン・セナ、McLarenと共にF1界を席巻し、また多数の日本のメーカー群が世界のスポーツカーレーシングや2輪レーシングの発展を支えてきた。
そして現在、井原慶子は同様のパイオニア精神をもって女性レーサーの未来を切り開いている。1999年に本格的なレース活動を開始した彼女は、当時の日本で依然根強かった女性への先入観と戦いながらフェラーリチャレンジカップへの参戦を果たし、やがてヨーロッパに渡りフォーミュラ・ルノーの参戦シートを獲得した。
以来、あらゆるカテゴリーのマシンでレース活動を展開してきた井原は2014年にはアジア人女性として史上初のル・マン24時間レース参戦を果たし、Labre Competitionチームのマシンを駆ってLMP2クラス総合13位で完走した。また、彼女はアジアン・ル・マン・シリーズ(AsLMS)で優勝した実績も持っている。

パット・モス

かのスターリング・モスの実妹パットはラリー界で活躍

かのスターリング・モスの実妹パットはラリー界で活躍

© Getty Images

英国はグローバルなモータースポーツをその発祥からリードし続けてきたため、数多くの女性レーシングドライバーが英国から登場してきた事実は全く驚きではない。その先駆者と言える存在が、パット・モスだ。
「モス」というファミリーネームから、かのサー・スターリングを連想した人は “正解” だ。そう、パットは “無冠のチャンピオン” としてF1通算16勝を記録し、絶大な尊敬を集める稀代の名手サー・スターリング・モスの実妹なのだ。乗馬に熱中した青春時代を過ごした彼女は、より多くの “馬力” を求め、偉大なる兄の後を追ってモータースポーツの世界に飛び込んだ。そしてLanciaやFord、Mini、Saabなど当時のあらゆる強力マシンをねじ伏せ、国際ラリーイベントで通算3勝という記録を残した。
1958年、Austin Healey 100/6を駆ってRACラリーに参戦した彼女は総合4位でフィニッシュ。更にリエージュ(ベルギー)からローマ(イタリア)間を往復するという、当時最も過酷なラリーイベントでも見事4位に入賞し、同イベントでトップ10入りを果たした史上初の女性ドライバーとなった。
また、パットのコ・ドライバーを務めたアン・ウィズダムも当時の国際ラリー界で最も大きな活躍を見せた女性のひとりだった。彼女たちは、車を速く走らせるのは男だけの専売特許ではないという事実を、世界へ初めて知らしめた偉大なるパイオニアだ。

ミシェル・ムートン

ミシェル・ムートンはWRC以外にもパイクスピークで優勝を飾った

ミシェル・ムートンはWRC以外にもパイクスピークで優勝を飾った

© Getty Images

ミシェル・ムートンは幼少期からスキーやバレエに優れた才能を発揮し、なおかつ学業優秀という才媛だったが、多感な時期にラリーのスピードとスリルに魅了され、モータースポーツのキャリアに向かって邁進していった。
1980、1982シーズンのWRCチャンピオン、ラリー・レジェンドのヴァルター・ロールと共にAudiのワークスドライバーとなったムートンは、あの魅力的で危険なグループB時代のWRCを戦い抜き、WRC通算4勝 / 表彰台フィニッシュ9回 / ステージ優勝160回という素晴らしい戦績を残し、更にはパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムでの優勝も果たしている。
WRCの歴史において彼女は女性ドライバーとして唯一の優勝経験者として現在も記録されており、コ・ドライバーのファブリツィア・ポンスと共に史上最も獰猛なラリーマシンを駆りながら、史上屈指のタフな男性ドライバーたちを向こうに回して気概溢れる戦いを演じた。

ユタ・クラインシュミット

ダカールラリー史にその名を刻んだユタ・クラインシュミット

ダカールラリー史にその名を刻んだユタ・クラインシュミット

© Getty Images

現在ダカールラリーとして南米大陸を舞台に行われているラリーレイド・イベントはかつて「パリ-ダカールラリー」と呼ばれ、フランスをスタートしたあと、スペイン、モロッコ、モーリタニア、マリなど各国を10,460kmに渡って走破して、セネガルのダカールを目指すラリーレイドとなっていた。
2001年、ドイツ人女性ドライバーのユタ・クラインシュミットはパリ-ダカールの4輪クラスに参戦し、センセーショナルな総合優勝を飾った。彼女はそれ以前にも1980年代後半から2輪クラスで強豪ライダーのひとりとしてこのラリーレイドに参戦しており、4輪クラスへ転向した後も1997年にこの難関ラリーでステージ優勝を飾るなど、目覚しい活躍を見せていた。だがこの2001年の総合優勝によってラリーレイド界におけるクラインシュミットのレガシーは確実なものとなり、このモータースポーツにおける最も過酷なレースは単に男だけの世界ではないことが証明された。

シモーナ・デ・シルベストロ

インディカーとF1の両方をドライブしたデ・シルベストロ

インディカーとF1の両方をドライブしたデ・シルベストロ

© Getty Images

スイス出身の女性レーサー、シモーナ・デ・シルベストロは屈強なオージー男たちが極めて激しい肉弾戦を展開するオーストラリアきっての人気カテゴリー、V8スーパーカー選手権に2017シーズンから参戦を開始している。
(編注:2017年7月からV8以外のV6・直4などのエンジン型式を認めるGen2規定の導入と冠スポンサーとの新規契約に伴い、シリーズ名称を「ヴァージン・オーストラリアスーパーカー選手権」に改められる予定)
彼女はスイスから米国へ渡り、2010シーズンからインディカー・シリーズへの参戦を開始。当時の同シリーズは度重なる政治的混乱から再編され、再び名声を取り戻す過程にあったが、彼女はこのインディカー再興期に華を添える存在になった。デ・シルベストロはインディカーにおける4年間のフル参戦を通じてソリッドな成績を残し、インディ500などのビッグイベントでもまずまずの存在感を示した。
2014年に母国スイスのF1チームであるSauberと “提携ドライバー” としての契約を交わし数度のF1ドライブを体験した彼女は、2016年のバサースト1000に地元オーストラリア出身の女性レーサー、レニー・グレイシーとコンビを組んで参戦。このオーストラリア随一のビッグイベントは彼女にとっては翌年からのV8スーパーカーフル参戦に向けた前哨戦となったが、ここで彼女は力強い走りを披露。ドライバーだけでなくチームクルーも全て女性で構成して戦ったこのレースで、彼女たちは総合14位という立派な成績を残した。
最後におまけとして、マレーシア出身の女性ドリフトレーサーであるレオーナ・チンが仕掛けたドッキリ企画をチェックしてもらいたい…。
この短いリストでは全ての偉大な女性レーサーの名前は到底挙げきれていない。あなたが考える女性レーサーの先駆者をぜひ教えてほしい。