TOWER RECORDS 渋谷店
© MARUO KONO
ミュージック

タワレコと渋谷と音楽の歴史〈00年代〉街と人と音楽のクロスオーバー化|MURO インタビュー

タワーレコードと渋谷と音楽の歴史を各年代ごとに切り取って振り返るシリーズ企画の第3弾では〈00年代〉以降にフォーカス。90年代から日本のヒップホップ・シーンの最前線で活躍し、DJ/音楽プロデューサー/洋服店の経営者などさまざまな立場から渋谷という街の移り変わり立ち会ってきた〈King Of Diggin'〉ことMUROさんには、00年前後から現在までの渋谷の音楽シーンはどう見えていたのか?
Written by RED BULL MUSIC FESTIVAL
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95年に現在の場所(神南一丁目)に移転オープンしたタワーレコード渋谷店。00年代は渋谷界隈のレコード店/CDショップの閉店が相次ぐなど、渋谷の音楽地図が一気に塗り変わっていくなか、その後2016年以降には、長門芳郎さんによる「PIED PIPER HOUSE」や、MUROさんによる「TOKYO RECORDS」といったショップ・イン・ショップを展開。
そんなタワレコ渋谷店とも縁深いMUROさんに、00年代以降の渋谷の音楽シーンについて話を訊いた。
MURO

MURO

© RED BULL MUSIC FESTIVAL

ヒップホップカルチャーの浸透とクロスオーバー化

——MUROさんから見た2000年代当時の渋谷の音楽シーンはどんな時代でしたか?
テクノロジーの発展と共にDJのスタイルが変わって、レコードからPCに移行していった時代で、90年代当時に僕たちがやっていたこととは真逆になった印象があります。そんななかで僕は逆に7インチシングルでのDJスタイルを強化していったので、それをおもしろがってくれる現場も多かったんですよ。
——当時はMUROさんやその周辺にいたNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDといった方々のアーティスト活動が活発になっていった時期という印象もあります。
そうですね。ヒップホップがだんだん広く市民権を得てきて、僕もメジャーで自分の作品を出したりできるようになりました。
それと僕は以前からSAVAGE!という洋服店を渋谷でやってたんですけど、90年代にそこで溜まってた友だちがあちこちで活躍し始めた時期でした。音楽だけでなくファッションなどのカルチャーでも、お店を持ったり、ブランドを持ったり、それがいろんな大きなメーカーとコラボレーションできるようになったり。そういう面で00年代は、ある意味ヒップホップカルチャーが活発になりましたね。
——MUROさんが90年代から提示してきたカルチャーが、より広い場所に浸透した時代、ということでしょうか。
いろんな人がヒップホップを聴いてくれるようになりましたね。00年代はUSでもヒップホップやR&Bがトップチャートを独占するようになった時代で、その要素を採り入れたポップスが日本でも増えてきました。
90年代にあった不良的な怖さもだんだん薄まりましたし(笑)。
渋谷も、それまでと違うタイプの人たちが街に集まり始めた感じで、SAVAGE!に来てくれる人たちもすごく幅が広くなりました。
今ではレコード屋さんにひとりで来てる若い女の子とかも多く見かけるようになって、驚いています。どんなレコード買いに来たのか、すごく気になる(笑)。
SHIBUYA

SHIBUYA

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——クラブ文化も定着していった時期だと思いますが、当時のクラブシーンはどのように変遷していったのでしょうか?
90年代にはCAVEというハコがあって、僕はMAKI & TAIKIがやってた〈Fish〉というイベントによく出させてもらってました。それからヒップホップのイベントに人が集まるようになってきて、じゃあヒップホップに特化した大バコを作ろうということで出来たのがHARLEM(97年開店)でした。00年代にはヒップホップのパーティーもだいぶ増えましたね。
また、90年代は割とジャンルがクッキリ分かれてましたけど、00年代は各ジャンルがクロスオーバーしていくのを感じましたね。僕も自分のパーティーにディミトリ・フロム・パリとかハウス寄りの人を呼んだりもしました。
——MUROさんご自身の活動もジャンルや国境を跨いでクロスオーバーしていった印象です。
NYハウスのストリクトリー・リズム、レゲエのグリーンスリーブスとかボブ・マーリーのオフィシャルとか、ソウルだとブランズウィックだとか、00年代以降はかなり鍛えられましたね(笑)。
それとラジオのレギュラー出演が始まりました。J-WAVEの「Da Cypher」や「SOULTRAIN」といった番組に出てたんですけど、それを聴いてお店に来てくれる人も多くて、僕がかけた曲のリストが、次の日にレコード屋に張り出されるんですよね。その頃のラジオのオンエア曲はネットにも出てなかったので、みんなお店でチェックしてたんですよ。いま思うとすごい文化でしたね(笑)。

渋谷という街の新たな可能性

——MUROさんにとっては仕事の場としても、渋谷の街との繋がりは古いですよね。
90年代にファイヤー通り(渋谷から原宿方面へ繋がる道のひとつ)にあったいくつかのセレクトショップでアルバイトをし始めて、そこからいろんなことがスタートしたんです。働く店舗を転々とするなかで、93年に初めて買い付けを任されて、NYへ行ったんですが、仕入れたものが飛ぶ様に売れて、それからすぐに何回も買い付けに行くようになりました。そうやってやがて自分のお店をやるようになります。
TOWER RECORDS 渋谷店

TOWER RECORDS 渋谷店

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——現在は、同じくファイヤー通りにあるタワーレコード渋谷店で、ショップ・イン・ショップ「TOKYO RECORDS in TOWER RECORDS SHIBUYA produced by MURO」のプロデュースを手掛けていますね。
ファイヤー通りでお店をやってたときにタワレコのスタッフの方がよく来てくれてて「ああいう感じのお店ができないですか?」ということでご相談いただいたんです。10坪くらいのスペースに僕のセレクションしたCDや過去のアーカイブを並べています。
あと、タワレコTVで「FM KODP」という番組を毎月やらせてもらうようにもなって、すごくおもしろいことができてると思います。DJやバンドに生ライブをやってもらったり。個人的にいまは生で伝えられるものがおもしろいと思ってるので。
あとは、レコードをその場で店内の在庫から掘ってきてかける企画もやってみたいんですよね。「ホリースタイル・ダンジョン」とか言って(笑)。
——ちなみにいまレコード人気の再燃が話題となってますが、その状況を肌で感じることはありますか?
感じますねー。ここ2年ぐらいはひとりで興奮してます(笑)。最近は親子で買い物してる人もいたりして。レコードプレイヤーもいろんな種類のものが出てますし、アナログの音源をデジタル化してUSBメモリに落とせる機器もあって、昔に比べると手軽に楽しめるようになったんだと思います。
それと7インチが流行ってますけど、たぶん和モノブームの影響もあるんでしょうね。昭和歌謡とか自分の親が聴いてたような曲を買っておもしろがったりしてて。でも、それが親子の会話のきっかけになるといいなと思いますし。
MURO

MURO

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——MUROさんも最近は「TOKYO RECORDS」で和モノ音源のミックスCDやカバー集を発表されたり、和モノ関連のお仕事が多いですね。MUROさんにとって和モノの魅力とは?
やっぱり言葉はもちろんですけど、音も馴染めるんですよね。僕は70年生まれなんですけど、懐かしいだけじゃなくて落ち着く感じがあります。掘れば掘るだけ出てくるので、キリがないんですけどね。
個人的には当時活躍していまも現役でやってる方々とコラボしてみたいんですよ。グールーのジャズマタズじゃないですけど〈MUROマタズ〉をやりたいです(笑)。
それと日本のサントラには素晴らしい作品がいっぱいあるので、今後はそういう音源をリイシューして海外に発信できたらと思うんですよ。そう考えるといろいろ夢が広がりますね。
——最後に、MUROさんが今後の渋谷の音楽シーンに対して期待していることを教えてください。
まずレコード屋は無くならないでほしい(笑)。
それと最近は渋谷の開発が進んでますけど、代々木公園みたいに生で音楽を発信できる場所は残り続けてほしいし、そういう場所が新しくできたらすごく嬉しいです。
TOKYO RECORDS

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