エル・キャピタンは谷床から3,000フィート(約914m)の高さでヨセミテ国立公園にそびえる伝説的な花崗岩の一枚岩だ。
2018年、アレックス・オノルドは両手にチョークをまぶすと、エル・キャピタン史上初となる、ロープや安全器具をひとつも使用しないフリーソロ完登という自身の夢を具現化すべく、この垂直に切り立った壁に挑んだ。
この挑戦が孤独な死という結末にならなかった要因は、彼の突出したクライミングスキルと、我々のほとんどがパニックに陥ってしまうような状況でも冷静さを保てるメンタルスキルにあった。
オノルドが登攀したのは「フリーライダー(Freerider)」と呼ばれるルートだった。20年前にアレックス&トーマスのヒューバー兄弟が初完登を記録したこのルートは、クライミングコミュニティの中では、ロープなしでの登攀は不可能で、フリーソロは死に等しいと言われていた。
しかし、難関ルートのフリーソロを異常なレベルの自信と冷静さでクリアすることで知られるオノルドが、このような通説に邪魔されることはなかった。
また、このフリーソロは安全を優先できる類いでもなかった。フリーライダーのクライミングは極めて難しく、極めて高い集中力や “カラテキック” のようなダイナミックなムーブが求められるセクションが含まれている。そのキックが空を切れば、あるいは着地時に足を滑らせてしまえば、クライマーの身体は宙に放り出されてしまう…。
オノルドは、フリーソロを自分の優れたクライミング能力と人間力を表現するためのものとして捉えている。
オノルドのスキルや豪胆さを考えれば、彼を恐怖心や弱みのないクライミングロボットとして捉えてしまっても不思議ではないが、今回のインタビューでも認めているように、彼はクライミングに恐怖を感じている。
死の危険があるフリーソロは誰にも薦められないが、オノルドがどのように心を落ち着かせて、命という代償を払うことなく自身の究極の夢を達成したのかを知れば、メンタルについての貴重な学びが得られるはずだ。
オノルドのフリーソロから我々が学べることを本人の言葉と共に見ていこう。
1:細心の注意を払う
オノルドのフリーソロ用準備には、ロープを使ってそのルートを登攀し、各ムーブをしっかりと把握するプロセスが含まれている。では、「ロープあり」と「ロープなし」のマインドセットをどうやって切り替えているのだろうか?
オノルドは、プロテクションが十分ではないルーズな岩では、ロープありでも恐怖心を感じるとしている。
「僕のフリーソロのマインドセットは集中していてシリアスだけど、それだけではない。たとえば、大きなホールドがある角度が緩いウォールでは、かなりイージーでリラックスした状態になる時がある」
「通常、僕のマインドセットと集中レベルは地形の要求度で決まってくる。要求度が高ければ高いほど、集中も高まる。フリーソロはかなりシリアスだから、僕は細心の注意を払うようにしている」
2:フロウに従う
オノルドは過酷なフリーソロに向けて相当量のフィジカルトレーニングに取り組むが、同時にメンタルも整えていく。
「登攀に向けたフィジカルとメンタルの準備に多くの時間を費やしている。各ムーブのイメージトレーニングに集中的に取り組んでいる」と語るオノルドは、実際のアテンプトで、自分に疑念を持つ代わりに、目の前のクライミングに集中することができている。
「クライミング当日の僕が、フリーソロのマインドセットを得るために何か特別なことをすることはない。ごく自然な流れなんだ。通常、クライミングを開始すれば、クライミングが僕を必要なマインドセットへと導いていく」
3:引き返すべきタイミングを知る
映画『Free Solo』で描かれている通り、オノルドは2017年もフリーライダーに挑戦していたが、フリーブラスト(Freeblast)の900フィート(約274m)地点で非常に脆弱なフットホールドに全体重をかけなければならなくなり、撤退を決断した。
「あの日はとても気温が低かったから、つま先の感覚を上手く感じ取れなかったし、自分を信じられなかった。特定の位置まで行くと、恐怖心が湧き上がり、プロテクション用ボルトを指で思わず引いてしまったんだ」
「引き返した理由には、足首の怪我の影響で足が腫れていたことと、コンディションがパーフェクトとは言えなかったことも含まれるけれど、基本的には僕の準備が足りなかったのさ」
ロープのなしで地上300m近くにいても、彼は自分の限界を正確に把握していた。
4:無理な勝負をしない
オノルドのフリーソロは高いリスクが伴うものだ。よって、危機一髪の場面にも何度か遭遇している。
「ハンドホールドが崩れたり、フットホールドがわずかに滑ったりと、幾度も危ない瞬間を経験してきた。何が起きたのかを理解する前に回避していたから、どれだけ危険だったのかは分からない。単純に僕はラッキーだったってことさ」と彼は語る。
多くのチャレンジには運が影響してくるが、その運を自分の方へ引き寄せることは可能だ。オノルドのフリーソロの大半が、花崗岩のような非常に硬くて安定している岩の上で行われてきたのは、運をできる限り自分側に引き寄せるためだ。
「状態の良好な岩を登攀するよう注意を払っている」と彼は語っている。
5:チャレンジを楽しむ
オノルドがどれほどフリーソロを楽しんでいるかについては、しばしば見過ごされがちだ。フリーソロは恐怖と障壁の克服だけが全てではない。彼はロープやギア、パートナーがないクライミングは、解放感が得られると同時にエキサイティングだとしている。
フリーソロの必要条件について、彼は簡潔に回答している。
「フリーソロで一番大事なのは、おそらく本気の熱意だ。フィジカルとメンタルはある程度まで鍛えられるが、モチベーションがなければフリーソロは不可能だ」
別の言い方をすれば、何に取り組むにせよ、自分が心から望むものに取り組むべきということだ。
夢を実現し、フリーライダーを制した感想について、彼はためらいもなく次のように語っている。
「最高の気分だったよ! これまでクライミングキャリアの中で、満足感が一番高かった。素晴らしかったよ」
ハンドホールドが崩れたり、フットホールドがわずかに滑ったりと、幾度も危ない瞬間を経験してきた。僕はラッキーだった
6:能力と自信のバランスを取る
自分の能力以上のことをしようとする際に自信過剰が邪魔になることを我々は知っているが、フリーソロでは自信過剰は命取りとなる。しかし、自信不足の状態では、無意識のうちに自分の行動が邪魔されてしまう(たとえば、クライマーがオーバーグリップ状態になると急激に体力が消耗してしまう)。
「ベストストラテジーは、自分が取り組もうとしているものに確固たる自信を持つことだ」とオノルドは語る。
「ただ『自分にはできる』と言い聞かせるだけでは不十分だ。アテンプトするフリーソロが自分の能力範囲内にあることを、フィジカルと理性で理解するべきなんだ」
7:万全な準備で恐怖心を取り去る
オノルドのアプローチの最大の特徴は、彼がフリーソロに向けて入念な準備を行い、全てのフットホールドを頭に叩き込み、全てのムーブを脳内でイメージするところにある。
「不確定要素を限りなく少なくするように努めている。これが僕のトレーニングと準備の中心に位置している。限りなく難しいクライミングも、万全な準備をしていれば可能だと感じられる。これが冷静さを保つのに役立っている」
8:誰にでも恐怖心はある
人生から不確定要素を完全に取り除くことはできない。生と死が隣り合わせのシチュエーションでは特にそうだ。オノルドのようなトップクライマーでさえ、フリーソロには恐怖を感じている。
「恐怖に向き合うための最も簡単な方法は、恐怖と向き合うことを恐れないことだ。それでも、僕も恐怖を感じるし、その時はみんなと同じ方法で対処しているよ。数回深呼吸してリラックスするように努め、それから先へ進んでいくんだ」
9:コンフォートゾーンの外側に出てみる
オノルドとフリーソロの出会いは、ほぼ偶然に近いものだった。
非常にシャイだった少年オノルドにとっては、見知らぬ他人にクライミングパートナーを頼むことの方がロープなしのフリーソロよりも怖かったのだ。そして、少しずつ自分のコンフォートゾーンの外側に出ていくことで、彼はより高難度のフリーソロをこなせるようになっていった。
「メンタルのアプローチについてひとつアドバイスできるとすれば、『ゆっくりと着実に自分のコンフォートゾーンを広げていくこと』だね。これはクライミングでも人生でも同じだと思う。あるいは、もっと簡潔に言うなら『難しい目標に取り組め』ってことさ」
「高さや難度、天候、岩質などがほんの少し異なる、または少し難しいクライミングにトライし続ければ、学びと成長を持続できると思う」
10:自己鍛錬
エル・キャピタンをフリーソロで完登するというオノルドの夢には、フィジカルとメンタルを同時に高めるのに役立つ教訓が詰まっている。オノルドは次のようにまとめている。
「自己鍛錬のプロセスは日常生活にも応用できるものだと思っているし、クライミングでは、自分の感情をコントロールして、フィジカルとメンタルを協調させることが非常に重要だ。このような学びは、日常生活のあらゆる面で助けになると思うよ」
「これらは、クライミングだけではなく、瞑想でも得られる学びだ。テニスのようなスポーツからも得られると思うよ!」
映画『Free Solo』は2019年アカデミー賞・長編ドキュメンタリー映画賞を獲得。日本公開は2月12日現在未定。
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