Carlos Sainz and Lucas Cruz in action during the 12th stage of Dakar Rally 2011 between San Juan and Cordoba, Argentina on January 14, 2011.
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ラリーレイド

ダカール・ラリー:トラブル年表

ダカール・ラリーでは首位を走るマシンが盗難被害に遭うなど、数多くの予測不可能なトラブルが参加者たちに降りかかってきた… 。
Written by Tim Sturtridge
読み終わるまで:5分Published on
  

1988年:マシン盗難事件

2分

The desperate Peugeot search

Missing. One Peugeot 405 that just happens to be leading the 1988 Dakar Rally

「まるで映画の世界の中にでもいる気分だったよ」と振り返るのは、前年1987年にダカール初参戦・初優勝を果たし、1988年も連覇に向けて快調にラリーを進めていたアリ・バタネンだ。マリ共和国の首都バマコに到着した時点で彼は首位に立っていたが、その矢先に前代未聞のトラブルが発生した。早朝、Peugeotのチームマネージャーが、バタネンのマシン(Peugeot 405 T16)がバマコで盗難に遭ったという連絡を受けた。しかも、「返して欲しければ2500万フラン(当時の為替レートで約6億円超)を用意しろ」という脅迫付きだった。結局、のちにマシンは荒野で発見されたのだが、時すでに遅し。バタネンはスタート時刻に間に合わずタイムを大きく失い、失格処分となった。しかし、マシン盗難の憂き目に遭ったにも関わらず、“砂漠のライオン” ことPeugeotチームはこの年のダカールで猛威をふるい続け、バタネンのチームメイト、ユハ・カンクネンが総合優勝を飾った。

1988年:アルジェリアで足止め

1分

Stopped in Algeria

The 10th Paris-Dakar is forced to take the time for a bit of a breather.

1988年ダカール・ラリーのアルジェリア横断は、ひときわ大きな恐怖を伴うチャレンジとなった。数日間日没後に砂漠を走ることを強いられ、疲弊したライダーたちからは不満の声が相次いだ。参加者たちは大変な苦労をしながらなんとかサハラ砂漠を通過したが、ジャーネット(アルジェリア)とジャドー(ニジェール)にまたがる難所「地獄のステージ」で遂に足止めを食らってしまった。燃料補給用トラックが予定されたキャンプ地に到達できなかったのだ。結果、ラリーの運営責任者であったジルベール・サビーヌとルネ・メッジの2人はステージキャンセルの決断を下す。第10回目のダカール・ラリーは予想外の休息日を得ることになった…。

1994年:越えられない砂漠

1分

The impassable Erg

Mitsubishi’s Bruno Saby sets off on a seemingly endless stage of dune crossings.

モーリタニアの砂漠は無限とすら思えるほど広大だ。サハラ砂漠の一部に相当するこの砂漠では、約10kmにも渡って巨大な砂丘を登り続けなければならず、厳しい低速の戦いを強いられる。この年、参加者たちは第11ステージでアタールとヌアディブにまたがるこの巨大な砂丘に直面した。危険性を察知したユベール・オリオールはこの巨大砂丘を迂回するルートを取ってペナルティを受け、オリオールのチームメイトで総合首位を走っていたピエール・ラルティーグ(Citroën)も同じ選択をした。ブルーノ・サビー(Mitsubishi)は砂丘を横断する終わりなきステージに躊躇なく立ち向かったが、翌日になってもヌアディブに設置されたビバークに到着できず、タイムリミットを大幅に超えてしまい失格処分となった。結果、この年の総合優勝は一気にラルティーグへ傾いていった。

2009年:“エル・マタドール”が優勝目前で無念のリタイア

1分

‘‘El Matador’’ comes up short

It all goes wrong for Carlos Sainz in Argentina

南米に舞台を移して最初の大会となった2009年、“エル・マタドール” ことカルロス・サインツは快調にラリーを進めていた。アフリカ開催時代に9回のステージ優勝を記録していたサインツは、この世界で最も過酷なラリーレイドで優勝を果たし、自身のラリーレイド転向が正しい選択だったことを証明したいと考えていた。Mitsubishiとの開発戦争を制したVolkswagenを駆るサインツは、2人のチームメイトを従えて総合順位トップを独走。難所の砂丘ステージ、アタカマ砂漠も切り抜けたが、ラリー終盤でロードブックを見落とすというミスを犯して川に転落。コ・ドライバーのミシェル・ペリンが肩を負傷し、彼らはリタイアに追い込まれてしまった。この結果、南アフリカのジニール・ドゥビリエが最終ゴール地ブエノスアイレスで表彰台の頂点に立った。

2010年:砂漠の真ん中で右往左往

1分

Miller, turning in circles

Mark Miller loses his way at the 2010 Dakar Rally

ラリーのナビゲーションとは科学であり、ダカールではこれを極めた者だけが大きなトラブルに遭うことなく完走できる。2002年大会からダカールに参戦し、2009年大会でVolkswagenとして総合2位に入ったマーク・ミラーは、ダカールにおけるナビゲーションの重要性を熟知していたはずだ。しかし、チリのイキケとアントファガスタを結ぶステージで進路を見失ったミラーは、アタカマ砂漠のど真ん中で右往左往する羽目になってしまう。しかし、なんとか方向感覚を取り戻し、再び落ち着いたドライビングに復帰。かくして、ミラーは5年連続でのトップ5フィニッシュを果たし、チームメイトのカルロス・サインツの優勝に華を添えた。

2016年:ローブ、手痛い洗礼を受ける

1分

Loeb beached at Belen

Sébastien Loeb gets stopped in his tracks at the 2016 Dakar Rally.

2016年にダカール・ラリー初挑戦を果たしたセバスチャン・ローブは、第1週から首位を走る活躍を見せた。WRCで慣れ親しんでいた路面条件を相手に、9度のWRCチャンピオンは3つのステージでトップタイムを記録し、休息日まで総合首位を維持した。しかし、ラリーレイドの学習プロセスはローブにも容赦なかった。休息日を終えてラリーが再開すると、ローブと彼のコ・ドライバーを務めていたダニエル・エレナは苦戦を強いられ、フィニッシュまで残り20km地点でクラッシュ。このクラッシュで、ローブの優勝への望みは絶たれてしまった。そして、その翌日もローブの苦戦は続き、彼は何度も砂にスタックしてしまった。ローブとエレナは最終ゴールのブエノスアイレスに到着できたが、総合9位に沈んだ。
第40回目を迎えたダカール・ラリーは、2018年1月6日から1月20日まで開催。現地から毎日更新される最新情報をチェックしよう!
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