ファン・マヌエル・ファンジオ、ジム・クラーク、ヨッヘン・リント、そしてアイルトン・セナ - F1史に燦然と輝く名手たちは、その究極のドライビングスキルによって人々の記憶に残り続けてきた。一方、ジェームス・ハントは、優れたドライビングよりも生前の彼が体現していたプレイボーイ的ライフスタイルによって人々の記憶に残り続けている。ハントは幾多の名ドライバーが獲得を狙っては失敗に終わった栄光のF1ドライバーズチャンピオンを1976シーズンに獲得しているが、我々がハントのイメージとして持っているのは、彼が好んで着ていた挑発的なメッセージがプリントされたTシャツや、F1マシンを降りればすぐにビールと煙草を手にしていた彼の姿だ。
プレイボーイであると同時に天才的なドライバーだった彼が今もF1シーンきっての “クールガイ” として語り継がれている理由を以下に挙げていこう。
1. 独特のインタビュー対応
1976シーズンのイギリスGPでハントが優勝した直後に行われた表彰台インタビューの模様を以下の映像でチェックしてみよう。これがハントの典型的なインタビュー対応だ。終始リラックスした口調で受け答えしているハントは、おもむろに近くにいた見物人に煙草をねだっている。現代のF1のプレスカンファレンスではまず見られない光景だ。
2. 高いスキルを誇っていたがライバルへの敬意も忘れなかった
1976シーズンのハント対ニキ・ラウダのドラマティックな激闘を題材にしたロン・ハワード監督作品『ラッシュ / プライドと友情』(2013年公開)でも描かれていた通り、ハントには、世間が知らなかった深い人間性を持ち主だったが、コース上ではタフなコンペティターだった。
ハントの好敵手だったラウダは、かつて以下のように回想している。「ドライバーはまず上手い奴と下手な奴の2種類に分けられる。その上手い奴の中に、真の才能を持ち、打ち負かすのが困難な連中がいる。ジェームスはその中のひとりだった。あの時代のF1は、時速300km/hで並走しながらコーナーに進入していたので、どちらかがミスを犯せば両者が命を落としかねなかった。しかし、ジェームスは信頼できた。高いスキルの持ち主だった」
『ラッシュ / プライドと友情』のラストシーンでは、ハントとラウダの関係がどれほど敬意に満ちたものだったかが描かれている。
3. 気楽な性格だが勝負好き
ハントは気楽な性格だったが、負けず嫌いで勝負を好む一面を持つことでも知られていた。スカッシュとテニスを好んでいた彼は、ボードゲームも得意だったという。
4. プライベートを隠さなかった
ハントを有名にしたもうひとつの理由は、もちろん彼の華々しい女性遍歴だ。中でも最初の妻だったスージー(のちにハントと離婚して俳優リチャード・バートンと再婚)と、ガールフレンドだったジェーン・バーベックとの関係は広く知られている。
5. 引退後も無頼派コメンテーターとして活躍
1979シーズンのイギリスGPにゲストコメンテーターとして登場したあと、ハントはBBC解説者としての仕事を続けることにした。彼は1993年にこの世を去るまで13年間に渡ってBBC解説者として活躍し、時として生放送で口汚い言葉や物議を醸す発言をしつつ、現役時代同様の型破りなイメージを維持した。1989シーズンのモナコGPにおける生放送中、ルネ・アルヌー(当時Ligier)の「うちのマシンにはターボが搭載されていないから遅いんだ」という釈明に対しハントは「たわ言(bullshit)だ」と切り捨てた。その瞬間、不自然な間ができたが、メインコメンテーターのマレー・ウォーカーはあたかもその発言がなかったかのように実況を続けた。
6. 今もトップドライバーの憧れ
ハントがこの世を去ってはや四半世紀が過ぎようとしているが、今も彼が遺した伝説への称賛は絶えない。2007シーズンのワールドチャンピオン、キミ・ライコネンは過去に “ジェームス・ハント” という偽名を使い、ゴリラの扮装をしてスノーモービルレースに参戦した過去がある。また、もっと分かりやすい例を出せば、ライコネンは2012シーズンのモナコGPで、ハントの名前をペイントしたヘルメットを使用した。