ストリーマー、ta1yo。2000年4月12日生まれ。アメリカ・ノースカロライナ州出身。
© Tomofumi Sugiyama
ゲーム

【ta1yoに学ぶ】悩む時間を努力に費やす人生論

ZETA DIVISION所属ストリーマー・ta1yoにとっての“ターニングポイント”とは? 今をときめく人気者のゲーミングライフを紐解き、ゲーマーに人生のヒントとエールをさずけるインタビュー!
Written by 山本雄太郎
読み終わるまで:5分公開日:

人生は、選択の連続だ!

日々の重要な決断で悩んだ時、"今"をときめく人気者たちの生き様を参考にしてみては?
 
今回フォーカスするのは、日本勢初にして唯一のオーバーウォッチ リーグ (※1) 出場者であり、2022年よりZETA DIVISION (※2) 所属のストリーマーとして活躍するta1yo(タイヨウ)だ。
高校在学中にプロゲーマーとなり、21歳で世界の頂点に上り詰めた経験を持つこの男。さぞ悩み多き日々を送ってきたのだろう――と話を伺うと意外な言葉が返ってきた。
ストリーマー、ta1yo。2000年4月12日生まれ。アメリカ・ノースカロライナ州出身。

ストリーマー、ta1yo。2000年4月12日生まれ。アメリカ・ノースカロライナ州出身。

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僕、決断の場面で悩んだことが基本ないんですよ
ta1yo「悩むのが嫌いなんです (苦笑)。時間がもったいないというか、悩んでいる自分が気持ち悪くて。30分考えて『いいかも?』と思えたら行動に移しちゃうタイプですね」
01

◆スポーツに熱中した『中学時代』

11歳までアメリカで生活し、幼少期は野球、サッカー、バスケなどのスポーツに熱中。その後、中学校入学のタイミングで日本に移住。中学ではサッカー部に入るも、怪我の絶えない日々を送ったという。
体の限界値を考えず、よく怪我ばかりしていた
ta1yo「小さい頃から体を動かすことが好きでした。色々なスポーツをやっていたんですけど、どれもあまり上達しませんでしたね。なのに無鉄砲だったので無茶しがちでした。『メッシのプレーとか自分にもできるんじゃないか?』って真似した結果怪我して、周囲から『できるわけないだろ』って諭される感じでした」
ta1yo|スポーツに熱中した『中学時代』

ta1yo|スポーツに熱中した『中学時代』

© Tomofumi Sugiyama

アキレス腱の断裂や腰骨の骨折などに見舞われ、自宅でほぼ寝たきりのまま過ごした期間も長くあった。
ただ「“サッカー部での挫折”は人生におけるターニングポイントだったのか?」と問われれば、ta1yoの答えは「NO」だ。
つらいことは多かったけど、全て自分が選択したことだから『もう本当に無理』と思うほど苦しくはなかった」。
02

◆プロゲーマーを目指す『高校時代』

“転機”と言うよりは“怪我の功名”と言うべきか――ta1yoは、中学時代の自宅療養期間中にPCゲームと出会う。『Team Fortress 2』や『Counter-Strike: Global Offensive』などのFPS系タイトルにドハマリ。
そして2016年、高校2年生のクリスマスに両親からお金を借りて本格的なゲーミングPCを購入。その4ヵ月後には『オーバーウォッチ (以下、OW)』のプロゲーマーになっていた。
迷わずプロになりました。親にも言わなかったです (笑)
ta1yo「プロゲーマーになることに関しては全然悩まなかったですね。そもそも高校在学中にプロと同じくらいの時間『OW』をプレーしていて、プロになっても生活は今と大して変わらないなと思ったので」
ta1yo|プロゲーマーを目指す『高校時代』

ta1yo|プロゲーマーを目指す『高校時代』

© Tomofumi Sugiyama

両親から“出世払い”という名目で借りていたゲーミングPCの購入費は、世界大会 (Overwatch World Cup 2017) の賞金でスピード完済。
これで両親の見る目も変わり、ta1yoが海外大会に出場するべく高校の公欠を取得しようと学校側に直談判した際には、両親が全力でサポートしてくれたのだそう。
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◆海外に挑戦を決めた『大学時代』

2017年~2019年初頭にかけて複数のプロチームを渡り歩き、数々の好成績を収めたta1yo。
大学への進学に伴い、一時プロシーンの最前線からは離れるものの『OW』への情熱は冷めないどころか、彼の中でより大きく燃え上がった。
『自分には何ができるんだっけ?』と考えたときに...。
ta1yo「大学生活を楽しみたくて『OW』の第一線から離れたんですが、1年の夏休みに『これ本当に自分がやりたかったことなのか?』って思ったんです。サークルの飲み会に参加しても、当時19歳でまだお酒も飲めないし。『何が楽しいんだコレ』とがっかりして自分を顧みた時、もう一度『OW』にチャレンジしてみようという気持ちになりました」
ta1yo|海外に挑戦を決めた『大学時代』

ta1yo|海外に挑戦を決めた『大学時代』

© Tomofumi Sugiyama

日本『OW』界のトッププレイヤーであったta1yoは、新天地を求め複数の海外プロチームへ連絡。
結果、北アメリカを拠点とするプロチーム"Third Impact"のトライアウトに合格。
当時、オーバーウォッチ リーグの2部リーグにあたる大会に所属していた当チームから“無給の契約”を提示されたta1yoだったが、迷わず合意。大学を休学して渡米し、現地のゲーミングハウスから競技活動を行うことに。
04

◆ストリーマーへの転向『2021年10月』

「脳みそを1個にしようぜ!(※3)」の合言葉でチームをリーグ上位へと引き上げ注目を集めていったta1yo。その活躍が認められ、2020年には強豪チーム"San Francisco Shock"へ移籍加入。
日本勢初にして唯一の“オーバーウォッチリーガー”となった彼は、リザーバーとしてチームの世界制覇に貢献。優勝賞金150万ドルを手にした際は「とにかく無我夢中で叫んだ」とのこと。
そして2021年10月、チームとの契約満了に伴い帰国。ストリーマーに転向した。
ta1yo|ストリーマーへの転向『2021年10月』

ta1yo|ストリーマーへの転向『2021年10月』

© Tomofumi Sugiyama

ここは悩んだけど、最初から答えは出ていた。
ta1yo「"San Francisco Shock"から脱退した時、他チームからもオファーをもらったんですが、どこもあくまで『リーグ上位狙い』を目標としていたので、僕の『優勝を目指す』という思いは叶わないなと。だから日本で海外の経験を活かしてストリーマーをやろうと決めました。結構悩んだ気もしますけど、結局『優勝を目指せないなら続ける意味はないな』と思い、ほぼ即決でした」
2022年1月、ta1yoはZETA DIVISIONのCREATOR部門にストリーマーとして加入。持ち前の親しみやすい性格でリスナーのハートを掴み、さまざまなイベントにも精力的に出演するなど、活躍の場を広げ続けている。
今後の目標については、「ストリーマーという性質上、ファンの方々とお会いできる機会が少ないので、もっとファンの方と交流できる場を増やしていきたい」とのこと。プロゲーマーとして海外で活動していた期間が長かった彼だからこそ、ファンへの感謝の思いは人一倍強いのだろう。
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◆『ta1yoの人生』に学ぶ

かくして、ta1yoの24年間の歩みを紐解いてきたわけだが――。
――彼が人生における岐路を“ターニングポイント”とも思わず、常に即断即決で“最適解”を選択し続けられたのはなぜなのか?
これほどのスターダムを駆け上がった彼には、決断においての秘訣やコツがあるはず……と思い質問してみると、こんな答えが返ってきた。
ta1yo

ta1yo

© Tomofumi Sugiyama

大切なのは“選択”ではなく、選択した後それを“正解”にすること
ta1yo「結局、選択することよりも、選択した後のほうが大切じゃないですか。選んだ道を後から振り返ったときに『これが自分にとって正解の道だった』って思えるようにしなきゃいけないですから」
重要な決断を迫られたとき、歩むべき道に悩んだ時は、彼の考え方を思い出してみてほしい。そしてぜひ、“不断の努力家”たるta1yoの今後の活躍にも注目していただきたい。
 
脚注