地上最速の動物はチーターで、彼らは時速60.0マイル(約96.6km)で走る。人間とチーターがスプリント勝負をすれば、100mの平均速度23.35マイル(37.58km)を誇る世界最速の人間、ウサイン・ボルトでもチーターにはまったく敵わない。
幸いなことに、我々人類には優秀な頭脳が備わっており、その頭脳でチーターたちを出し抜くスピードの自動車を開発しながら地上最速の生物を目指し続けている。そう、“チーター(チートする人)に栄光はやって来ない” のだ。
現在の有人自動車最高速度記録は時速1,000kmを超えており、音速の壁の遙か向こう側に位置している。また、1980年代前半から自動車最高速度記録をリードし、現在も世界記録を保持しているアンディ・グリーンとリチャード・ノーブルの2人は、人類史上初となる時速1,000マイル(1,600km)の壁を突破する自動車を開発する手がかりを掴んでいると言われている。
今回は、自動車最高速度記録の歴史を形成してきた驚愕マシン10台を振り返っていく。
【史上初の公認記録】ジャントー
- ドライバー:ガストン・ド・シャセルー=ロバ伯爵
- 場所:フランス
- 記録年:1898年
ジャントーは1883年から1886年にかけてパリで生産されたフランス車だった。
この車を設計した車体製造業者シャルル・ジャントーは1881年には電気自動車を製作したことでも知られているが、彼が手がけた車の1台が、ガストン・ド・シャセルー=ロバ伯爵のドライブによって史上初の自動車最高速度記録(時速39.24マイル / 63.15km)を樹立した。
【100マイルの壁を突破】ゴブロン=ブリリエ
- ドライバー: ルイ・リゴリー
- 場所:シャティヨン=シュル=セーヌ(フランス)
- 記録年:1904年
1898年初頭、フランス人エンジニアのウジェーヌ・ブリリエと実業家のギュスターヴ・ゴブロンはソシエテ・デ・モトゥール・ゴブロン=ブリリエ(Societe des Moteurs Gobron-Brillié)という企業を設立し、1930年までゴブロン=ブリリエという自動車を生産した。
この車は初めて時速100マイルの壁を破った — 正確には時速103.56マイル(166.66km)— ことで名を馳せた。
【新たな次元へ】スタンレー・ロケット
- ドライバー:フレッド・マリオット
- 場所:デイトナビーチ・ロードコース(米国)
- 記録年:1906年
米国人ドライバーのフレッド・マリオットは、1906年にデイトナビーチ・ロードコースで当時の世界最速となる時速127.659マイル(205.5km)をマークした。
マリオットは翌1907年に改良を加えたマシンで記録更新を狙ったが、障害物と接触してしまい、マシンは宙を舞って大破した。
【時速200マイル突破】サンビーム1000HP
- ドライバー:ヘンリー・シーグレーブ
- 場所:デイトナビーチ(米国)
- 記録年:1927年
“The Slug(ナメクジ)” の愛称で知られたサンビーム1000HPを製作したのは、英国・ウルヴァーハンプトンの自動車メーカー、サンビームだった。このマシン最大の特徴は、ジェットエンジン2基を動力源としているところにあった。
初めて時速200マイル(322km)を突破したサンビーム1000HPは、デイトナビーチのレースに出走した初の国外マシンにもなった。
【不可能を可能に】ブルーバード
- ドライバー:マルコム・キャンベル
- 場所:ボンネビル・ソルトフラッツ(米国ユタ州)
- 記録年:1935年
ブルーバードはそれまでの記録をことごとく破った。
スピード狂だったサー・マルコム・キャンベルは1935年9月3日にユタ州ボンネビル・ソルトフラッツで当時の最高速度記録を更新し、初めて自動車を時速300マイル(正確には時速301.337マイル / 484.955km。2ラウンドの平均速度)で走らせた人物になった。
【スピードは家族の伝統】ブルーバードCN7
- ドライバー:ドナルド・キャンベル
- 場所:エア湖(オーストラリア)
- 記録年:1964年
サー・マルコムの息子ドナルド・キャンベルは家族の伝統を継承し、自動車最高速度新記録を樹立した。
ブルーバードの改良版プロテウスCN7をドライブしたドナルドは、当時の新記録となる時速403.10マイル(645km)をマーク。しかし、CN7は時速500マイル(804.6km)突破を念頭に設計されていたため、ドナルドにとっては残念な結果だった。
【音速の領域に近づく】スピリット・オブ・アメリカ
- ドライバー:クレイグ・ブリードラブ
- 場所:ボンネビル・ソルトフラッツ(米国ユタ州)
- 記録年:1965年
1960年代後半、自動車のスピードは徐々に音速の領域に近づきつつあった。
その中で、米国人クレイグ・ブリードラブは15,000馬力を発生するゼネラル・エレクトリック製エンジンを搭載したマシン “スピリット・オブ・アメリカ” の初号機を製作し、1964年10月15日に時速526.277マイル(846.961km)を記録。翌1965年11月15日には2代目の改良型で時速600.601マイル(966.574 km)を樹立した。この記録は1970年まで破られなかった。
【地を這うロケット】ブルー・フレイム
- ドライバー:ゲイリー・ガベリッチ
- 場所:ボンネビル・ソルトフラッツ(米国ユタ州)
- 記録年:1970年
ブルー・フレイム(青い炎)はウィスコンシン州ミルウォーキーに拠点を置くリアクション・ダイナミクス社が製作したマシンだ。
ピート・ファーンズワース、レイ・ダウスマン、ディック・ケラーによって設立されたこの企業は、過酸化水素(天然ガスを液化しヘリウムガスを高圧注入したもの)を燃料とする世界初のロケット・ドラッグスターを開発。この結果、時速630.3マイル(1014.52km)で地を這うミサイルが生まれた。
【もはや限界領域?】スラスト2
- ドライバー:リチャード・ノーブル
- 場所:デザートロック(米国ネバダ州)
- 記録年:1983年
ジョン・アクロイドの手によって設計されたこのジェットエンジン自動車は、ロールス・ロイス製エイヴォン・ジェットエンジンを1基搭載していた。1983年10月4日、スラスト2は時速650.88マイル(1,019.468km)を記録すると、1997年にスラストSSCが更新するまで世界最速記録を保持した。
【ついに音速を突破】スラストSSC
- ドライバー:アンディ・グリーン
- 場所:ブラックロック(米国ネバダ州)
- 記録年:1997年
スラストSSC(SuperSonic Carの略)は自動車とジェット戦闘機のハイブリッドだ。
このマシンにはF-4ファントム(F-15の前世代機)と同じロールス・ロイス製スペイ202ジェットエンジンが2基搭載されており、110,000馬力を誇った。この地を這う野獣は時速763マイル(1,227km)を記録し、初めて音速の壁を破った陸上走行車両となった。