世界で最もインスピレーションに溢れるアスリートのひとり
© Kirstie Ennis
登山
大腿義足でエベレストに挑む元海兵隊員
ヘリコプター事故で片脚を切断したあと7大陸最高峰制覇に挑む登山家に転身して世界にインスピレーションを与えている女性を紹介する。
Written by Paddy Maddison
読み終わるまで:10分Published on
ネパールへ向かい、エベレストのベースキャンプまで登りました。3日目か4日目に空が晴れてエベレストの威容を初めて見た時は、自然に涙が出ましたね
このような感想は、エベレストへ向かった登山家の間で良く見られるものだが、現在27歳のクリスティー・エニスにとってその景色は世間一般の想像を遥かに超えるレベルの忍耐と献身、努力の結果を意味していた…。
6年前の2012年、米国海兵隊ドアガンナーだったクリスティーの人生は急転直下した。アフガニスタンで乗っていたヘリコプターが墜落し、彼女は片脚を失うだけではなく、命も失いかけたのだ。
しかし、あらゆる逆境を乗り越えた今、彼女は登山に新たな情熱を見出しており、7大陸最高峰登山に挑んでいる。すでにそのうちの3峰をクリアしている彼女は、2019年の目標に霊峰エベレストを定めている
2012年に人生が一変する事故に遭ったクリスティー・エニス
2012年に人生が一変する事故に遭ったクリスティー・エニス© Kirstie Ennis
クリスティー・エニスのストーリーは海兵隊から始まる。海兵隊入隊は、彼女が幼い頃から思い描いていた夢だった。
「両親が海兵隊だったんです。2人に憧れていたので、いつかわたしを誇りに思ってもらいたい、わたしを見て、自分たちと同じだと感じてもらいたいと考えていました」
「自分で自分を守れない人たちを守るという大きな目的のために人生を捧げるというのはどういうことなのか、それを自分で体験したいと思っていました」
顔の右下部分に拳をすっぽりとはめることができました。粉々に折れた顎の骨が喉に詰まっていて、口の中は鉄の味がしていました
クリスティー・エニス
海兵隊に入隊したクリスティーは世界を飛び回ることになり、アフガニンスタンにも数回従軍した。この国が、やがて彼女の人生を永遠に変えることになる墜落事故の現場となった。
2012年6月23日、アフガニスタン・ヘルマンド州はいつもと同じように始まった。
「物資の再補給をしたあと、仲間を回収するというスケジュールでした。それで、衛生兵3人を回収したあと、ナウ・ザードの司令部へ向かったのです」
しかし、輸送中に悲劇が起きた。彼女たちが司令部へ帰還することはなかった。
「暗視ゴーグルを装着していたのですが、ヘリコプターの機首が下がり、テールガンナー(尾部銃手)がパワーがないと叫んでいたのを覚えています」と振り返るクリスティーが事態を把握するよりも先にヘリコプターはバランスを失い、急降下していった。クリスティーが続ける。
「そうなればもう終わりです。ホバリング能力を失ってしまえば、もうどうすることもできません。落ちるだけです」
事故のあと30回以上の手術を経験した
事故のあと30回以上の手術を経験した© Kirstie Ennis
クリスティーは墜落直後をはっきりと記憶している。彼女は巨大な鉄板と、ヘリコプターの壁部分に挟まれていた。呼吸はほぼ不可能で、口の中は血で溢れかえっていた。
「鉄の味がしました。また、粒のようなものが喉に詰まっていました」
その粒とは、クリスティーの顎の骨と歯の欠片だった。
「顔の右下に自分の拳をすっぽりとはめることができました。顎が粉々に折れていたんです」
クリスティーは何とか抜けだそうと試みたが、その努力は全く役に立たなかった。
「腕は力が入らず、脚は激しい痛みに襲われていました。叫びましたが、それは助けを求める声というよりは、ショックの声でした。テールガンナーの目を覚まそうとしていたわたしはパニック状態に陥っていました」
米国第1海兵師団第5連隊第2大隊が救援に訪れると、クリスティーはヘリコプターの後部に放り込まれた。
「“目を閉じたら終わりだぞ” と言われていたのを覚えています。わたしは胸ポケットに両親と妹の写真を入れていつも持ち歩いていました。ですので、ヘリコプターの天井のライトを見つめながら、妹に会うまでは絶対に死なないと自分に言い聞かせていました
1日も早く退院したいと思っていたので、がむしゃらに努力しました。その結果、理学療法士から人工装具と一緒に退院して良いと許可をもらいました
クリスティー・エニス
エニスの登山は多くの人のインスピレーションになっている
エニスの登山は多くの人のインスピレーションになっている© Kirstie Ennis
クリスティーの怪我は深刻だった。脳、脊髄、顔面に外傷を負っていた彼女は、両肩と片脚にも深刻な怪我を負っていた。
そして、30回を超える手術と3年という長い時間を経たあと、彼女は左脚の下部を切断しなければならなくなった。さらにそれから数ヶ月後、ウイルス感染が原因で左脚の膝から上も切断することになった。
「あらゆる外傷が治ったあとは、抜糸や吸引で1ヶ月を費やしましたが、それから自分で立てるようになるまではそこまで時間はかかりませんでしたね。1日も早く退院したいと思っていたので、がむしゃらに努力しました。その結果、理学療法士から人工装具と一緒に退院して良いと許可をもらいました」
こう振り返るクリスティーは、たった2週間で立てるようになった。これはあらゆる医者が聞いたことがないと言うスピードだ。しかし、本当の戦いはまだ始まっていなかった。
脚の付け根からの義足、つまり、大腿義足での生活は赤ちゃんに戻ったような感じでした。全てをいちから学び直す必要があります。バランスを取ったり、歩いたり、走ったり、地形に対応したりを最初から学んでいくのです」
「大腿義足を信頼できるようになるのも時間がかかります。慣れるまでは簡単ではありませんでしたし、痛みも伴いました」
片脚を失ったあとスノーボードを始めた
片脚を失ったあとスノーボードを始めた© Kirstie Ennis
昔から運動好き(そしてコロラド出身)の彼女は、リハビリの一環としてスノーボードを学ぶと、自分にその才能が備わっていることに気が付いた。
「スノーボードは自然に学べました。変な癖がついていなかったことと、比較できる対象が何もなかったことが功を奏したのでしょう」
「難しかったのは、トランジションですね。快適に義足側へ重心を移動させる方法を学ぶのに苦労しました。ですが、幸運なことに、わたしの大腿義足の膝関節は非常に優れた油圧式でした。負荷がかけられても、スムーズに対応できるんです」
登山は諦めない心を思い出させてくれます。登山では誰も助けてくれません。自分の足を一歩前に出すのは自分です。これが、わたしがやろうとしていることです
クリスティー・エニス
登山に関しては、クリスティーはオセアニア最高峰(標高4,884m)のプンチャック・ジャヤが今のところの一番のお気に入りだとしている。
「多くの人が何を言っているんだと思うはずですが、この山でわたしは神を畏れる心を理解しました。酷い吹雪に悩まされ数十日を過ごしたあと登頂したわたしたちは疲れ切っていました。寒さに震えていました。ですので、懸垂下降時にパニックに陥ってしまったんです」
「その時、同行していたカメラマンから顔を掴まれて、しっかりしろと言われました。この山で命を落とした人たちの名前が書かれた額や記念碑を途中で見てきただろう、と」
7大陸最高峰チャレンジに挑戦中のクリスティー・エニス
7大陸最高峰チャレンジに挑戦中のクリスティー・エニス© Kirstie Ennis
アラスカ州にそびえるデナリ(標高6,190m)もチャレンジが続いたとクリスティーは振り返っている。
「デナリで最も厳しかったのは、標高4,267m地点で17日間も足止めを食らったことでした。テントの中にいる時間が長かったのですが、わたしはジッとしているのが苦手なんです」
実際の彼女は「ジッとしているのが苦手」どころではない。アイコニックな名峰に登山するだけでは満足していない彼女は、そこでのスノーボードにも挑戦している。
「神様が許してくれるなら、全てが予定通り進んでくれるなら、エベレストでもスノーボードをして、世界初のエベレスト義足スノーボーダーを目指したいですね」
「もちろん、エベレストは岩やクレバスが多い厳しい地形なので、スノーボードができない可能性は高いですし、デスゾーンにいる時は考えることさえしないでしょう」
デスゾーンを知らない人のために説明すると、これは呼吸困難に陥る低酸素エリアを指す。標高8,000mより上のこのエリアを往く登山家には大きなプレッシャーがかかることになる。なぜなら、ここから上は生きるか死ぬかの世界になるからだ。
いずれにせよ、2019年春にネパールに戻る予定の彼女は、この国で人生最大の登山に臨むことになる。
エベレストに畏怖の念を抱き続ける2ヶ月を楽しみにしています。全てを出し切ることになるでしょう。わたしが絶対的な信頼を置いている2人の米国人ガイドに同行してもらいます。地元のシェルパチームにも加わってもらいます。あと、親友数人にベースキャンプまで来てもらいたいと思っています」
「実は、Kristie Ennis Foundationの募金活動の一環として、ベースキャンプまでのトレッキング参加権をいくつか販売する予定です。わたしを含めたチームと一緒にベースキャンプまで向かい、そこから先はわたしたちの無事を祈ってもらうという感じですね」
雪山に挑む
雪山に挑む© Kirstie Ennis
念のため言っておくが、当然ながらエベレストでのスノーボードにはリスクが伴う。そのため、クリスティーとチームは知恵を絞っている。
チームではなく、ひとりずつ降りることになるでしょうね。そうなると、もちろんラインを見出す必要がある一番手が一番大きなリスクを負うことになります。わたしもターンを意識して、自分に集中する必要があります」
「スノーボードをする時のわたしは常にリッジの上や、何かしらのフィーチャーの上部を通過するようにラインを取って、何か問題が起きたとしても、回避できるようにしています」
その問題のひとつが雪崩だが、クリスティーはそこまで心配していない。
「雪崩が兆候なしに突然発生することはまずありません。ですので、スライドする可能性があるエリアや斜面の角度のチェックが非常に重要です。雪崩が発生した跡を見逃さないようにする必要があります
スラブや風で雪が堆積している斜面、短時間で緩斜面から急斜面に変化したエリアなどは注意が必要です。デナリはクレバスの位置を確認するのが他の山よりも難しかったですね」
クリスティーはエベレストの前にアコンカグアに挑戦する計画を立てている。この山は南米最高峰として知られているが、南半球・西半球最高峰でもある。
彼女は友人の退役兵と一緒に向かう予定で、登頂に成功すれば、7大陸最高峰チャレンジの半分を終えることになる。
ちなみに、7大陸最高峰チャレンジのラストは、2020年に予定されているデナリだ。クリスティーが語っていた通り、前回の彼女たちは標高4,267m地点で17日間足止めを食らったあと悪天候を理由に登山を断念していたため、これはリベンジになる。
世界で最もインスピレーションに溢れるアスリートのひとり
世界で最もインスピレーションに溢れるアスリートのひとり© Kirstie Ennis
デナリのリベンジに成功すれば、7大陸最高峰チャレンジは終了になるが、このチャレンジは、クリスティーのアドベンチャースポーツキャリアの始まりにすぎない。
クリスティーは「チャレンジ終了後も登山を辞めるつもりはありませんし、他にも色々な予定を立てています。南極・北極遠征、世界7大火山(7大陸火山最高峰)制覇、ドーバー海峡水泳横断、7日間での7大陸7マラソン完走などを考えています」としている。
とんでもないプランだと思う人もいるだろう。しかし、「限界を超える」 - これこそが彼女が最悪の時期を乗り越えることができた理由だ。クリスティーは次のように語っている。
「車いす生活を避けるために長く厳しい戦いをしてきました。自立するための戦いを続けてきたんです。登山は諦めない心を思い出させてくれます。登山では誰も助けてくれません。自分の足を一歩前に出すのは自分です。これが、わたしがやろうとしていることです」
クリスティー・エニス登山記録
  • キリマンジャロ(標高5,895m)制覇 - アフリカ最高峰
  • エルブルス(標高5,642m)制覇 - ヨーロッパ最高峰
  • プンチャック・ジャヤ(標高4,884m)制覇 - オセアニア最高峰
  • イリニサスル(標高5,126m)制覇 - エクアドル
  • デナリ(標高6,194m)途中下山
  • コトパクシ(標高5,897m)途中下山
クリスティー・エニスの財団「Kristie Ennis Foundation」の詳細はこちら>>
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