ストリートボールリーグ「SOMECITY」や、3on3を競技化した新スポーツ「3X3」など、混沌とする日本バスケ界の中においても、にわかに盛り上がりを見せる3対3形式のバスケットボールシーン。
今でこそ、その存在を目にしたり、耳にしたりする機会も多くなったが、遡るコト10年前の2005年、草木も生えないような何もない時代に産声をあげ、それからおよそ5年間を走り続けたリーグがあったコトをご存知だろうか?その名を「LEGEND(レジェンド)」。あとにも先にも、世界を見渡しても稀有な、「個人戦のバスケリーグ」というレギュレーションを採用し、今のシーンの“祖”を作ったと言っても過言ではないムーブメントの本質を、誕生から10年となるいま語る。
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LEGEND
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LEGEND設立の原動力となったのは、2000年初頭より圧倒的なキャラクターとその行動力で存在感を示していた「FAR EAST BALLERS(ファーイーストボーラーズ/※以下FEB)」である。
リーダーであるAJを中心に、今やbjリーグを代表するポイントガード・青木康平や、WOWOWのNBA解説で広く知られるCHRIS、のちにLEGEND初代王者となるATSUSHIなどがフロントメンバーに顔を揃え、若手には現在SOMECITYを牽引するTANAやK-TA、MATSU、NBL熊本ヴォルターズ所属の比留木謙二などが所属。
今やシーンを代表するDJであるMIKOや、のちのMC MAMUSHIも当時はボーラーとしてサテライトメンバーに名を連ねていたコトを思うと、いかに図抜けた才能同士が引きあっていたのかが伺え知れる。FEBは、90年代の“ストバスブーム”以降停滞気味だったシーンを独自のアプローチで開拓。当時何のリーグもなかったストリートボールシーンにおいてNIKEとの契約を勝ち取るなど、「プロ」という呼称を掲げた唯一無二のクルーであった。
2005年10月、奇しくもbjリーグ開幕と同じタイミングにFEBの主要メンバーが牽引するカタチで、90年代よりその名を轟かせていた横浜「TEAM-S」、そして当時の3on3イベントで名を上げていた千葉・柏「勉族」などがコアメンバーとなって立ち上がったのが、“日本初のストリートボールリーグ”を標榜したLEGENDである。
立ち上げ当時のLEGENDは、10年後に混沌を迎える日本のバスケ界のために生まれたワケではなかった。どころか日本のバスケ界とストリートボールと呼ばれるものが、ひとつの同じヒエラルキーの中で語られるようになったのは極々最近のコトであって、当時は大きな大きな隔たりがあったように思う。
最近ではMAMUSHIが国内トップリーグ・NBLの「トヨタアルバルク東京」 のホームゲームMCを務めるなんていう事例があるが、少なくとも当時は夢のまた夢。選手はもちろんのコト、MCやDJなどLEGENDが提唱していたスタイルが日本のバスケ界に採用されるなんてコトは想像もつかなかった。それほど異端なポジションでLEGENDはスタートしたのである。
その当時LEGENDを紹介する上で、MCやDJ、クラブやライブハウスなどでショーアップされた興行を行っていたコトなどエンターテイメント要素を強調する声も多かったが、LEGENDが持つ要素の中で圧倒的にオリジナルだったのは「個人戦のバスケリーグ」であるという点。もはや“発明”に近い独自のレギュレーションを開発し採用していたコトである。
20人程度の選手がリーグと個人契約し、毎回シャッフルされたその日限りのチームで3on3ゲームをプレー。チームの勝敗によって「勝ち点」が個人に付与され、公式戦のたびにシャッフルをし続けた結果形成される個人ランキングを争うというのがLEGEND独自の個人戦レギュレーションであった。つまり参戦選手は、“全ての選手と味方になり、全ての選手と対戦する”という可能性を持つため、自分のプレースタイルを誇示しながら即興のチームプレーも必要という、実に難解なミッションを常に要求されるワケである。
5年間というリーグ継続期間の中で、国内トップリーグのプロ選手や、その先に続いた3対3形式のバスケシーンにおけるトップ選手をLEGENDが数多く輩出できたのは、この過酷かつハイブリッドなバスケレギュレーションによって選手やそのプレーの質が格段に高まったコトに他ならないが、立ち上げ当初のLEGENDがこのレギュレーションを採用したのは、どちらかと言うと競技という観点からではなかった。
前述の通り、LEGENDが設立されたのは2005年10月。これは奇しくも国内プロリーグ「bjリーグ」の開幕と全く同じタイミングであった。それが10年の邂逅を経て、昨今の大いなる混沌を生むというコトは当時予期していたワケではないが、少なくとも国内プロリーグが開幕するタイミングで立ち上がったバスケリーグであり、独自のポジションをLEGENDは築く必要があった。
また、ストリートボールリーグを標榜したLEGENDには、当時のトップリーグ「スーパーリーグ」やそこからスピンアウトしたプロリーグ「bjリーグ」に続く“第三のリーグ”という意識は全くなかったし、事実LEGENDに集まる選手も例えば実業団の選手などそれに次ぐプレーレベルの選手ではなかった。そういうバスケ界の文脈や競技という軸ではないLEGEND独自の狙い、それが個人のキャラクターやドラマに焦点を当てそのストーリーに共感を生むというアプローチであったし、そのやり方として行きついたのが「個人戦」のレギュレーションというワケである。
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LEGEND
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縦軸、つまり競技という観点からすれば、「日本のバスケを強くする」ために必要な選手というのは限られるのかも知れない。バスケというスポーツにおいて個人能力で劣る日本にとって、それはチームのために役立つロールプレイヤーや、より現実的な戦い方ができる選手であろう。しかし横軸、「バスケの面白さ」というような観点から俯瞰で眺めてみると、縦軸のヒエラルキーからこぼれたような選手の中にこそ、個性が溢れる選手がいたというのがLEGEND発足当時の感触である。
逆にバスケに対するコダワリや個性が強すぎるからゆえ縦軸からはみ出してしまっているような、プレースタイルはもちろん、背景のストーリーも含め「面白い」と思える選手をLEGENDは探し求めた。5年もの間、そんなコトを繰り返しやっているうちに、「個人戦」というシステムが選手個々の意識レベルを高め、伴ってプレーの質をも向上、気がつけばLEGENDは魅力的なキャラクターの揃ったリーグとなり、しかもそれを余すコトなく発信できる“ひとつのクルー”になっていたように思う。
しかし、あとにも先にも例外と言っていいLEGENDは、設立当初から前例がないがゆえに様々な困難があったコトも事実。その蓄積、経年劣化によって人気絶頂の2010年秋、「解散」という決断を余儀なくされるコトとなる。解散によって多大な迷惑をかけた方々も大勢いるのでその経緯は割愛するが、少なくともLEGENDのイズムを持った選手やスタッフに関しては、その後もそれぞれのフィールドでそれぞれがそれぞれのカタチで奮闘し、現在を迎えている。
時は流れ、草木も生えなかった2005年とは違い、現在はむしろ恵まれ過ぎているくらいプレイグラウンドが存在する。しかしながら、そういう時代を迎えられた中で何か釈然としない“もやっとした部分”があるのも事実である。LEGENDというのが現在の“祖”を作ったという自負は少なからずあるものの、果たしてその本質はあまり理解も継承もされておらず、選手やMC・DJ、そのやり方だけが何となく採用され消費されているという感覚。
くだんの日本バスケ界の未曾有の危機があり、おそらくこれから劇的に変わって行くだろう今、過渡期であるからこそLEGENDが何かできるのではないか?そんな想いが浮かび当時の選手やスタッフに共有したところ、幸いにも同じ感覚と前向きな感触をその多くから得ることができた。
2005年からちょうど10年、4年半も休んでいて10周年もへったくれもないコトは重々承知ながら、懐古的な意味ではなく発展的な日本バスケの未来のために、今一度「競技」という縦軸のみならず「面白い」という横軸でバスケの魅力を発信する。そんな最初で最後の「LEGEND復活」を、我々はいま準備中である。