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ミュージック

モッシュ/ダイブの歴史を探る【前篇】

ラウドロックシーンで見かけるモッシュ、クラウドサーフ、ウォール・オブ・デスといった観客のアクションを、それらが生まれた歴史を振り返りながら紐解いていく。
Written by 西廣智一
読み終わるまで:5分Published on
今やロックバンドのライブで当たり前のように目にする、モッシュやクラウドサーフといった観客のアクション。これらはいつ頃どのようにして生まれ、そういう経緯を経て浸透していったのか、考えたことがあるだろうか? このコラムではモッシュやクラウドサーフの歴史と日本での浸透について調べていく。
まず最初に、モッシュやクラウドサーフ、ダイブなどの行為がどのようなものなのか、改めて説明したい。
<モッシュ>
ライブ中に盛り上がった観客が、体を他の観客とぶつけ合ったり押し合ったりする行為。
<ダイブ>
興奮した観客やアーティストが、ステージ上からライブハウスの客席めがけて飛び込む行為。
<クラウドサーフ>
上記のダイブをした者がフロアの観客頭上を、まるでサーフィンをするように転がる行為。もしくは、フロアで柵や観客の上によじ登り、ステージめがけて転がる行為。
簡単に説明すると上記のようになる。よくダイブとクラウドサーフを同じ行為と勘違いする者も多いが、実は異なる行為であることを先に知っておいてほしい。
さて、こういった行為の起源については諸説がある。英語版Wikipediaに記されていることを信じるならば、モッシュは80年代前半にアメリカのハードコアシーンから生まれたとのこと。確かにその時代のハードコアシーンを収めたドキュメンタリー映画『The Decline of Western Civilization』『American Hardcore』などでそういった場面を目にすることができるので、少なくとも1980年前後にはすでに存在していたことになる。また、ダイブに関して言えば、同じく英語版Wikipediaによると60年代にはすでにイギー・ポップやジム・モリソン(THE DOORS)が客席にダイブしていたという。こういったパンクシーンでのアクションは、のちにヘヴィメタルシーンにも伝達。ハードコアパンクと交わることで派生したスラッシュメタルでは、オールドスクールのメタルバンドでは成しえなかったモッシュやクラウドサーフが続出するようになる。そして90年代以降、グランジやオルタナシーンでも定着。今やモッシュ、ダイブ、クラウドサーフなどのアクションはライブに欠かせないものとして浸透している。
ここまでは海外での話。では日本ではいつ頃、どのようにして広まったのだろうか?
ここ日本でも80年代前半にザ・スターリンやアナーキーのようなパンクバンドが一部で人気を博し、ライブ会場では荒れ狂う観客を目にすることができた。が、当時それを「モッシュ」と呼んでいたかどうかは定かではない(このへんは私よりも年上で、当時のシーンど真ん中にいた諸先輩方からのフォローを願いたい)。とはいえ興奮状態のなか飛び出すアクションとしては、国を問わず共通するものがあるのではないだろうかと想像する。
しかし、日本においてこういった行為が広まる際の障害となる出来事が、70年代末から80年代半ばにかけて起こる。1978年のRAINBOW来日公演では観客がステージ前方に向かって詰めかけ、下敷きになった女性が死亡する事故が発生。1987年にはラフィン・ノーズの日比谷野外音楽堂公演でも同様な死亡事故が起こり、こういった負の出来事が一部の人間に「ロックコンサート=危険」という間違ったイメージを植え付けてしまったことも否めない。
もちろんライブハウスシーンでは、海外同様に独自の盛り上がりを見せていた。だが、あの頃は今と比べて「ライブハウスは怖い場所」というイメージがあったのも事実だ。そういう文化の違い、そして不幸な出来事がモッシュ、ダイブの妨げになったことも否定できないだろう。
そんな、一部の層のための盛り上がり手段であったモッシュやダイブが、現在のように浸透する大きなきっかけとなったのは恐らく90年代半ば、Hi-STANDARDを筆頭としたパンク/メロコアバンドの大躍進だろう。特にハイスタ主催による「AIR JAM」、そして同じ頃にスタートした日本初の本格的野外フェス「FUJI ROCK FESTIVAL」、および「SUMMER SONIC」や「RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」などフェス参加者が増えることにより、モッシュやクラウドサーフなどは一般化(「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」におけるダイブ、クラウドサーフ禁止については後日改めて触れたい)。これにより、小さなライブハウスシーンで一部のファンのみが知っていた楽しみ方が、フェス文化を通してより広まっていったと想像する。
ロックに対する盛り上がり方は万国共通だが、その浸透のスピードは文化の違いによって異なるのも事実。特に海外ほど音楽と生活が密着していなかった以前の日本では、そこに遅れがあったとしても不思議ではない。しかし、現在はそこにおける遅れは一切感じられないし、ある面においては日本独自の文化を確立しつつある。そこについては、別の機会にまとめてみたいと思う。
最後に、モッシュやダイブはときに危険を伴う行為だということを常に意識しておいてほしい。自分さえよければいいというものではなく、周りの協力があってこそ成立するものであり、困っている者がいれば手を差し伸べて助けてあげることも必要だ。
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