Rock Steady Crew - Mr. Wiggles
© Red Bull Japan
ダンス
『ワイルド・スタイル』から35年、ロックステディクルーが語るヒップホップカルチャーの現在
"かつて俺たちがキッズだった時代はとにかくパーティで踊って、女の子をナンパして、女の子も男の子と踊って、っていうモンだった。"
Written by Red Bull Japan
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ヒップホップという言葉が生まれる前の1977年に誕生し、黎明期から(後の)ヒップホップカルチャーを牽引してきたB-Boy集団、ロックステディクルー。1983年の映画『ワイルド・スタイル』では日本に初来日し、日本のB-Boyカルチャーにも多大な影響を与えてきた集団だ。
2018年2月、プレジデントのCrazy Legsを始め、Mr.WigglesTony Touch、そして新世代のリーダーであるYnotが揃って来日するチャンスを捉え、ブレイキンシーンの最重要人物のひとりであるB-Boy Katsu1がインタビューを行った。
Rock Steady Crew - Mr. Wiggles
Rock Steady Crew - Mr. Wiggles© Red Bull Japan
ロックステディクルーやヒップホップカルチャーの黎明期についてはRed Bull BC One Japan Camp 2016のレクチャー記事もチェック!
―まずはじめに、改めてロックステディクルーとは誰なのか、何なのか、教えてくれますか。
Crazy Legs ロックステディクルーはブレイキンに関して言えば、それを発展させてきたパイオニアクルーだと言えるだろうね。俺たちが始めた1981年からずっとアクティブに続けているよ。それはダンスだけじゃなくて、世界初のヒップホップのワールドツアー、初のダウンタウンでのパーティ、初のドキュメンタリー、映画、雑誌の記事・・・色んな新しいことを起こしてきたんだ。俺たちがクリエイトしたダンスがあって、その進化にずっと関わってきて、40年近く経とうとしている今、全部やめちゃおうかなって思ってるよ(笑)。

新しい世代には、新しいアイディアや新しい方向性を許容してあげなくちゃいけない

Rock Steady Crew + Katsu1
Rock Steady Crew + Katsu1© Red Bull Japan
ハハハ、もちろんそれは冗談だけど、今ロックステディクルーがやるべきことは、未来と関わっていないといけないと思ってるよ。新しい世代には、新しいアイディアや新しい方向性を許容してあげなくちゃいけない。今はYnotやB-GirlのFeenxがロックステディクルーを率いていて、俺やMr.Wigglezは一歩引いて、メンター的な立場で関わってるって感じかな。俺たちはそれぞれ役割があって、Feenxがクルーのリーダーとして成長していけるようにサポートしないといけないんだ。B-Girlをリーダーにしようと思っているんだよ。
メンバー数は今、おそらく35〜40人くらいかな。世代交代したいのは明確に思っているし、次世代がロックステディクルーの再出発に向けて、自由にやれるようにしてあげたいと思っているんだ。
―日本人初のメンバーであるMasamiさんは、いつごろロックステディクルーにジョインしたのでしょうか。
Masami 私は1992年ですね。Mr.Wigglesの奥さんが当時ダンスパートナーで、ちょうどダウンタウンのクラブでズールーネイションのアニバーサリーがあったときに、彼女がみんなを紹介してくれたんです。そこからロックステディクルーとショーをして回ったりする中で、Crazy Legsがメンバーとして認めてくれたんです。
Crazy Legs 俺たちは日本に来るたびに、Masamiのスタジオで色んなワークショップを開くんだ。Masamiがいるおかげで、ロックステディクルーを日本や東京の皆が認知し続けてくれていると思うよ。
Rock Steady Crew  - Crazy Legs
Rock Steady Crew - Crazy Legs© Red Bull Japan
―ロックステディクルーという名前が世界に広まったきっかけは、1982年に製作され、1983年に公開された映画『ワイルド・スタイル』だったと思います。1983年にそのツアーとして日本を訪れたわけですが、その当時の日本のヒップホップシーンについてどういう印象を持っていますか。
Crazy Legs 当時は日本にB-Boyはまだいなかったと記憶しているよ。代々木公園にいた、エルヴィス・プレスリーをマネしたロックの奴ら(注:竹の子族)は覚えているね。ラッパーもいなかったし、B-Boyもまだいなかったと思うよ。

ロックスターのような経験だったけど、ゲトーなスタイルをそのまま持ち込んでいた

俺たちがやっていたことを理解していた人はまだ日本にいなかったんじゃないかと思うけど、視覚的にブレイキンやグラフィティ面白いし、DJも解りやすかった半面、ラップは言葉の壁があってちょっと難しかったんじゃないかと思うね。まぁでも、ツアーは本当に楽しかったよ。クレイジーな旅だった。まさに『ワイルド・トリップ』だったね(笑)。ロックスターのような経験だったけど、ゲトーなスタイルをそのまま持ち込んでいたからね。
Mr.Wiggles 『ソウル・プレイン』だな。
Crazy Legs B-Boyもラッパーもいなかった中で、おそらく、俺たちが最初にフックアップした日本人がCrazy-Aだろう。Crazy-Aが俺たちの『ワイルド・スタイル』ツアーを生で観て、ブレイキンをやり始めたり、教え始めたりした感じだろうね。ヒップホップが日本で今ある姿になるために俺たちがサポートした男、それがCrazy-Aさ。今でも時々連絡を取ったりしているよ。
Rock Steady Crew - Crazy Legs
Rock Steady Crew - Crazy Legs© Red Bull Japan
―前回個人的に話をした時に、Ynotが”HIP-HOP is missing something(ヒップホップは何かを失っている)”と話していたのが印象的でした。その失っているものは何だと思いますか。
Ynot う〜ん、全体的に”空気感”が少し失われているんじゃないかなって思うんだ。B-BoyがB-Boyすぎるっていうか、他のコトにあんまり入っていこうとしていない感じがするんだ。音楽やヴィジュアル・アート、ファッション・・・ブレイキン以外にもたくさんのコトがあるハズなんだけど、それが失われているように感じるんだ。小さな一つの視点じゃなく、もっと大きく捉えられるのになって思うよ。
例えば俺はヒップホップカルチャーのファンだから、ラップのショウも観に行くし、ラップのバトルも楽しむ。それがダンスに影響することもあるしね。とにかく、他のいろんなコトに足を踏み入れてみるっていうのが大事だと思うね。
Rock Steady Crew - Ynot
Rock Steady Crew - Ynot© Red Bull Japan
―Crazy LegsやMr.Wigglesも、ヒップホップが何かを失っていると思いますか。
Crazy Legs B-Boyに関して言えば、今の時代は10年前とくらべてすべての要素でレベルも上がって、幅が広くなってきていて、すごくいいんじゃないかと思うね。
ヒップホップが何かを失うとしたら、どの方向を向いているか、にかかっていると思うね。たった一つのことにしか向いていないとしたら、たくさんのことを失ってしまうと思うよ。

女の子とバトルなんかやめて、一緒に踊るべきだし、オシャレも忘れちゃダメ

Mr.Wiggles 前も話したけど、ヒップホップが見失っているものの一つに、パーティがあると思うよ。かつて俺たちがキッズだった時代はとにかくパーティで踊って、女の子をナンパして、女の子も男の子と踊って、っていうモンだった。今は男のほうがシャイすぎると思うね。女の子とバトルなんかやめて、一緒に踊るべきだし、オシャレも忘れちゃダメだ。最高のアイテムで着飾るのは、パーティやジャムに行くなら一番重要なパートだよ。
ソーシャルダンスの文化があるヨーローパのいくつかの国は自然とパーティがいい雰囲気だけど、”ダンス部屋”っぽいジャムの国も少なくないんだよ。パーティの本来あるべき姿を取り戻すことが大切だと思うね。
Rock Steady Crew - Mr. Wiggles
Rock Steady Crew - Mr. Wiggles© Red Bull Japan
―次は、テクノロジーとDJの関係についてTony Touchに聞きたいのですが、デジタルDJ全盛の今、DJはヴァイナルでDJするべきだ!っていう人もいるし、曲の情報を手に入れるのも簡単になってきました。そういう新しい流れについてはどう考えていますか。
Tony Touch 観客をロック出来るんだったら、何を使おうか関係ないと思うよ。ヴァイナルだろうが、PCだろうが、ドラムマシーンだろうが、”その場所をロック出来るかどうか”、それがすべてだと思うね。ツールの問題じゃないね。
俺もヴァイナルの時代の人間だけど、新しいモノを嫌ったりはしないし、過去にしがみついたりもしない。とにかくDJなら、客をロック出来るかどうかが全てだ。

“ヒップホップ生まれ”みたいな宗教じみた言い方はやめた方がいい

Crazy Legs 1970年代のDJは、パーティーをロックするために、レコードで満タンになった木箱を常に10個も持ち歩かないといけなかったんだ。それをリアルだと主張して、続けたいヤツがいるか?DJブースは今より何倍もデカくなくちゃいけないだろうね(笑)。
俺たちが始めた頃はヒップホップなんて言葉すらなかった。ヒップホップを”宗教”のように扱う人たちもいるけど、”ヒップホップなら、こうじゃなきゃいけない”なんてことは一つもないんだよ。たまたまダンスやパーティを楽しむのが元から好きだっただけさ。お互いのスキルを高め合うのが楽しかったんだよ。バトルして、誰か他のヤツのスキルを認めて、次の週にまたそいつとバトルする、みたいな感じさ。“ヒップホップ生まれ”みたいな宗教じみた言い方はやめた方がいいと思うね。
Rock Steady Crew - DJ Tony Touch
Rock Steady Crew - DJ Tony Touch© Red Bull Japan
―あともう少し聞いてみたいことがあるのですが、ロックステディクルーはかつて、アフリカ・バンバータが設立したヒップホップ組織、ズールーネイションをレペゼンしていた時期がありましたよね。ズールーネイションとの関係について、教えてもらえますか。
Crazy Legs かなり前にズールーネイションと一緒にやっていたね。はじめはロックステディ・ズールーキングスっていう名前だったんだ。1980年くらいかな?Frosty Freezeと俺がチャプターを任されて、ロックステディクルーのメンバーをロックステディズールーキングスにしようとトライしたんだ。すでに当時ストップしていたズールネイションのエレメントを存続させるためにね。3〜4年くらい続いたんじゃないかな。1990年代はもうちょっと、ロックステディクルーはズールネイションの一部分、っていうくらいだったね。ナレッジをきちんと学びたいって言う人も多くいたから、そういう人たちのヒップホップへの思い入れを分断したくなかったんだ。一つのクルーとしてまとまっていたほうがいいんじゃないかって考えた結果さ。カルチャーを分断することは出来ないからね。
Tony Touch (アフリカ・)バンバータもまだ活動しているよ。今はブラジルをツアーしているみたいだね。彼のインスタグラムもあるよ。

NYでヒップホップが持つべきものをすべて持っているのがウガンダだよ

Crazy Legs 俺たちは本当にやりたい放題なキッズだったけど、バンバータがクリエイトした道しるべのおかげで、多くの人達がより良い人生を送ってこれたと思うんだ。遅かれ早かれね。
ヒップホップという名付けをしたことや、ヒップホップというのはこういうモノなんだとか、原則を作ろうとか、方向付けをしようとか、ナレッジ、知恵、理解・・・ヒップホップに関するそういう要素は、バンバータによるものだよ。ヒップホップの4エレメンツを規定したりしたのもバンバータだ
例えばウガンダのBreakdance Project Ugandaは、ヒップホップの原則にもっとも忠実だと思うんだ。NYでヒップホップが持つべきものをすべて持っているのがウガンダだよ。本当に素晴らしいと思うし、それすらもバンバータがクリエイトした原則なんだ。
―最後に、ロックステディクルーのミッションとは何か、教えてください。
Crazy Legs これはYnotが答えるべきだね。
Ynot ロックステディクルーは変わらない、ってことを続けることかな。
Rock Steady Crew
Rock Steady Crew© Red Bull Japan
Special Thanks to:
RSC Masami Studio
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