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追悼:任天堂社長 岩田聡

経営面は忘れて欲しい。任天堂社長岩田聡は「人々を笑顔にする」その才能で永遠に語り継がれるだろう。
Written by Chris Scullion
読み終わるまで:4分Published on
2015年7月13日、ゲーム業界は 任天堂社長岩田聡(55)死去の知らせを聞いて打ちひしがれた。7月11日に彼が胆管腫瘍でこの世を去ったというその知らせは、ゲーム業界にとっては特に大きな打撃だった。それは岩田聡という人物が、社長という肩書きでありながらも、ただ収益だけに拘っていた典型的なビジネスマンではないように思えていたからだ。故に彼の死は我々の仲間をひとり失ったように感じられた。そして彼は実際にそういう人物だった。
『Nintendo Direct』でマリオ&ルイージと共にポーズ

『Nintendo Direct』でマリオ&ルイージと共にポーズ

© [unknown]

任天堂の第4代社長に就任するかなり前から、岩田はプログラマー/ゲームデザイナーとして活躍していた。岩田は東京工業大学で情報工学を学んでいた学生時代から既にHAL研究所でゲーム制作に携わっていた。
そしてそのままHAL研究所の正社員となった岩田は同社の社長にまで出世したあと、任天堂の取締役経営企画室長に就任すると、2002年に同社の社長に就任した。岩田のこの急速な出世の理由は明らかだ:彼はゲームへの情熱を持っていると同時に、ゲーマーたちがどんなゲームを求めているかも理解していた。
長年に渡り、岩田は数多くの人気ゲーム・人気シリーズの開発を手がけてきた。名作『 バルーンファイト』のプログラムを手がけた他、『 星のカービィ』シリーズや、スーパーファミコン史上に燦然と輝く名作RPG『 MOTHER2 ギーグの逆襲』にも携わっている。
しかし、近年の岩田は任天堂の顔役としてよく知られていた。そして岩田ほど企業の主義や信念、そして価値を体現していた社長はいない。
岩田聡が手がけた不朽の名作『バルーンファイト』

岩田聡が手がけた不朽の名作『バルーンファイト』

© Nintendo

岩田がかつて「自分が本来はゲーマーであること」、また「任天堂の目的は利益を上げることではなく、人々を笑顔にすることだ」と言った時、我々は彼が本気でそう言っていることを理解していた。岩田は自分がどう間抜けに思われようと、面白おかしいことを好んでいたのだ。
これは『Nintendo Direct(ニンテンドーダイレクト)』に集約される。これはもともと世界中のファンに向けて任天堂の最新ニュースを効果的且つ定期的に届けるためのものだったが、すぐに岩田が面白いことをやる場所として愛されるようになった。
『ドンキーコング』の新作を紹介するエピソードではカメラに気付くことなくバナナを真剣に見つめる姿を見せ、また他のエピソードでは、大量のルイージに囲まれている姿を披露している。
また、岩田は様々な「形」でも登場している。『レゴシティ アンダーカバー』を紹介するエピソードではレゴの姿で登場し、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』のポリゴンでエピソードに登場した時もある。
ギャラリー:『Nintendo Direct(ニンテンドーダイレクト)』の岩田聡
岩田は任天堂の精神である「楽しさ優先」の完ぺきな体現者だった。いつの日も、任天堂のゲームは利益を上げることではなく、「金はあとからついてくる」という信念の元でエンターテイメント性を可能な限り高める努力をすることが優先されているように思えた。
岩田はただのカリスマ社長ではなかった。彼は任天堂そのものだったのだ。故に、伝えられた彼の死は、世間から愛されていたひとりの社長の死ではなく、明るく希望に満ちたゲーム作りに専念していた企業には滅多に訪れることのない、暗く辛い1日となったのだ。
岩田聡の死の知らせを聞き、悲しみに暮れている人もいるだろうが、彼の功績を称えることを忘れてはならない。是非Wii Uや3DSを立ち上げてニンテンドーeショップへアクセスし、Wii Uならば『バルーンファイト』や『MOTHER2 ギーグの逆襲』、3DSならば『星のカービィ』シリーズなど、彼が手がけた数々の名作をダウンロードして彼に敬意を表したい。
これらの数々の名作は彼が我々に遺した遺産であり、リリースから何年も経過した今も、「人々を笑顔にする」という彼の素晴らしい才能を完ぺきなまでに表現している。
ありがとう、岩田聡。
(名前は敬称略)