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スケートボード
スケートボード界に実在する(珍)トリック名を知ってますか ? -part 1-
いかにもスケーターらしい言葉遊びで誕生した驚きのトリック名を紹介する、マニア必見の特別企画! スケートカルチャーの魅力がギッシリ詰まってます!
オーリーというトリック名が、アラン・ゲルファンドというプロスケーターのニックネームであった“オーリー”から名付けられたように、スケートボードのトリック名にはその由来となった様々なエピソードが存在する。(※詳しくは以下の記事でチェック!)
数あるトリックの中には一見すると意味不明な名前を持つものが少なくないが、実はその裏にはそれぞれストーリーがある。スケート界に存在する珍トリック名にまつわる裏話を通じてスケートカルチャーの奥深さに触れてみよう。
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スケートボード界に実在する“珍・トリック名” を厳選 【part 2】はこちら!
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01
🛹 JAPAN AIR(ジャパン・エアー)
日本の名が付けられたその背景とは!?
トランジションなどでウェドル・エアーをしながら空中で体を反らせる動きを加えるジャパン・エアー。
トニー・ホークらによってより広く認知されるようになったこのトリックだが、実は彼らよりも早く実践していた者がここ日本にいた……。
スケートボード 雑誌『TRANSWORLD SKATEboarding』の85年2月号の日本特集ページに小さく掲載された独特な形のウェドル・エアーの写真がジャパン・エアー誕生の発端だった。写真には一切キャプション(説明文)がついていなかったため、一体誰による何というトリックなのかまったくわからなかった。トニー・ホークらは当時「こんな形のエアートリックは今まで見た事がない」と、謎の日本のスケーターによるスタイリッシュなトリックにインスパイアされトリックを習得。後にコンテストや映像などで披露しスケーターたちの間に浸透していった。そしてTRANSWORLD SKATEboardingの日本特集ページに大きく書かれていた“JAPAN”という文字をそのままトリック名として呼ぶようになり、ジャパン・エアーの名は世界中に広まっていったそうだ。
後年、長年謎だったこの写真は、日系フランス人スケーター、フィリップ・メントネが東京都清瀬市にあったムサシスケートパークでメイクしたエアートリックであったことが判明。なお、撮影したのは、知る人ぞ知る伝説の雑誌『cyxborg magazine』の生みの親であり、スケートボーダー/サーファー/アーティスト/写真家/文筆家など多くの分野で活躍した日本スケート界のレジェンド、デビル西岡こと故・西岡昌典氏である。ジャパン・エアーは正真正銘、日本で生まれたトリックだったのだ。
- 『Skate: grabs and others tricks』ジャパン・エアーは2:14〜
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02
🛹 LIEN AIR(リーン・エアー)
逆読みするとあるスケーターの名前に……
ランプやクォーターなどでフロントサイドエアーをしながらノーズ、又はかかとのエッジをグラブするリーン・エアー。このトリックの誕生には、レジェンドスケーターのニール・ブレンダーが深く関係している。
ニールはトラッカー(スケートトラックブランド)の40周年記念ブックの中において、「80年代に活躍したスケーター、ニコ・ワイスのグラブ・エアーの写真を参考にしてリーン・エアーを考案した」と語っている。
当初、体を傾けながら行うことから“LEAN(傾ける)AIR”と名付けられていたが、ある時からプロサーファー/スケーターで現在は俳優業でも有名なD・デイビッド・モーリンが、リーン・エアーのスペリングにトリックの発明者であるニール(Neil)の名前を逆に書いた“LIEN”という不思議な表記を使い始めた。これをきっかけとして一見意味不明のスペリングであるリーン・エアーがスケーターたちの間に浸透&定着していったそう。ちょっとした言葉遊びの影響が今日まで引き継がれているのだ。
- 『How-To Skateboarding: Lien to Tail With David Loy』
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03
🛹 MUTE AIR(ミュート・エアー)
トニー・ホークがWEDDLE AIRに改名。その理由が実に深い!
進行方向に対して前の手で前脚のヒザを抱え込むような形でグラブするミュート・グラブ。スノーボードのトリックとしても定着しているこの技は、聴覚障害を抱えながらも活躍していたスケーターのクリス・ウェドルによって80年代前半に考案された。
当時、インディー・エアーはすでに存在していたため、一部のスケーターらはインディーに次ぐ新しいエアートリックを“トラッカー・エアー”と呼んでいた。(“インディー”、“トラッカー”は当時の2大スケートトラックブランド)。
しかし、それがどういったことからだか、発明者であるクリスの身体的特徴を誤解して“話せない、無言”という意味の“MUTE(ミュート)” グラブの名前で浸透してしまった。
自由を愛し、個人を尊重するスケーターたちの多くは、クリスに対するリスペクトの足りないトリック名に長年疑問を感じていた。
そして2019年、スケートボード界のレジェンドであるトニー・ホークはクリス・ウェドルにトリック名についてどう考えているかを尋ねた。クリスは「確かに音は聞こえないが話せないわけじゃない。もしこのトリックの命名権をもらえるなら“DEAF(デフ:聴覚障害)”、 それか本名の“WEDDLE”と名付けたい」と返答したそうだ。それを聞いたトニーは、即座に自身のSNSでトリック名を“ミュート・グラブ”から“ウェドル・グラブ”に変更することを提案。
さらに、自身がプロデュースする人気スケートボード・ゲームシリーズの最新作『トニー・ホーク プロ・スケーター1+2』の中から“ミュート・エアー”の表記をなくし、すべて“ウェドル・エアー”へと変更したのだ。
スケートボードは技術だけでなく、精神面でも良い方向に進化しようとしていることを証明するようなトリック名に関するエピソードのひとつだ。
- 『How-To Skateboarding: Ollie Grab with Tony Hawk & Mike Vallely』
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04
🛹 STALE FISH(ステイル・フィッシュ)
直訳すると“腐った魚”!?
トランジションなどでフロントサイド・エアー、またはバックサイド・エアーをしながら進行方向に対して後ろの手でバックサイド・グラブをするトリックのステイル・フィッシュ。トリック誕生のストーリーには諸説あるが、1985年にスウェーデンのストックホルムで行われたサマーキャンプ中にトニー・ホークが考案したという説が濃厚だ。
以前、トニーがとあるメディアに語ったインタビューによると、直訳すると“腐った魚”というこのトリック名は、サマーキャンプ中の昼食として出されたニシンの缶詰のことを指しているそうだ。この缶詰があまりにもグロテスクで気持ち悪かったことから、彼はツアー中の日記に“Stale fish with many bones(骨だらけの腐った魚)”と書き残した。なぜかその日記を読んだツアー参加仲間は「ステイル・フィッシュっていうのはお前が後ろの手でグラブしてるあのトリックのことか?」とトニーをからかったらしい。するとトニーは、トリック名がまだ決まっていなかったことをいいことに“Sure!(もちろん!)”と返答。これがステイル・フィッシュの名前の由来なのだとか。
なお、現存する一番古いとされているステイル・フィッシュの写真は、1985年にマーティン・ウィルナーズにより撮影されたトニー・ホークのバックサイド・ステイル・フィッシュ。フロントサイドでなくバックサイドのステイル・フィッシュが一番古いとはなんとも渋い。
- 『FER DAYZ | The CJ Collins Video Part』ステイル・フィッシュは3:19~
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05
🛹 Roast beef(ローストビーフ)
THARASHERが勝手に面白く改名!?
進行方向に対して後ろの手でデッキの中央を腹側からグラブするトリックのローストビーフ。考案者は惜しくも2020年に亡くなってしまったレジェンドスケーターのジェフ・グロッソだ。
ステイル・フィッシュをいくら練習しても腕が膝の後ろにまわらなかった彼は両足の間から強引にデッキをグラブするトリックを考案。スケート仲間たちは「かなり酷いトリックだけど見た目は面白い」と撮影した。なんと後日、その写真が宣材写真に採用されることとなったそうだ。
ジェフは「こんなダサい写真が俺のポスターか?」と思いつつもオリジナルのトリックであることから渋々納得。トリック名はグロッソという自分の名前に因んで“グラスマン・エアー”と名付けた。
しかし、その写真がスケートボードマガジン『THARASHER』に掲載される際、編集部は彼の破天荒なスタイルに負けないインパクトのある名前として、なんの断りもなくローストビーフに改名して掲載してしまった。
後年、ジェフは若いスケーターに向けてアドバイスを送っている。「俺は人様に何かを教えられるような人間じゃないが、ひとつだけ忠告しておきたい。トリックに自分の名前をつけることは絶対にやめておけ。自分の名前がついたトリックをメイクできなかったら最高にダサいし、どうせそういうトリック名は誰かが酷い名前に変えちまうんだ」と。
- 『Trends | Jeff Grosso's Loveletters to Skateboarding | VANS』ローストビーフは1:39〜
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06
🛹 SALAD GRIND(サラダ・グラインド)
一体なぜスケートと無関係の“サラダ”が?
サラダ・グラインドの“サラダ”はもちろん、あの野菜のサラダ。一見スケートと関係なさそうな“スケート”と“サラダ”を繋ぐキーとなるのはレジェンドスケーターのエリック・ドレッセン(※1)だ。
5-O グラインド(※2)をフロントサイド側に斜めに角度をつけたこのトリックは、80年代後半にエリック・ドレッセンにより考案されたもの。ドレッセンがオマー・ハッサン(※3)らとミニランプを滑っていた時、オマーがバックサイドでこのトリックをメイクし、それをドレッセンがジョークでフロントサイド側でやり始めたのがこのトリックの始まりと言われている。
- エリック・ドレッセン本人によるサラダ・グラインドは、2:08〜
当時の『THRASHER MAGAZINE』の編集長であるケビン・サッチャーは、ドレッセンの名前の響きが“ドレッシング”に似ていたことから、①ドレッセン→②ドレッシング→③サラダ・ドレッシングと脳内変換し“サラダ・グラインド”と命名したそう。
ちなみにドレッセン本人はノーズをフロントサイド側に振るこのトリックのことを、フロントガラスのワイパーを意味する“ウインドシールド・ワイパー”と呼んでいたらしい。実は“サラダ”と名付けられる前からすでに十分変わった名前だったというわけだ。
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07
🛹 MADONNA(マドンナ)
80年代を代表するトップシンガーが関係する!?
トランジションでリップを跳び出してフロントサイドに180しながらデッキのノーズを掴み、空中で前足をヒール側に外し、テールをコーピングに叩きつけるグラブトリックのマドンナ。
このトリックは80年代にトニー・ホーク(※4)によって考案されたものだが、当時のスケーターにあまり浸透しなかった。トニーが友人のプロスケーター、レスター・カサイ(※5)にこれを相談したところ、レスターはトニーに「すでに人気のある名前をそのままトリック名にすればいい」という珍アドバイスを与える。気心の知れたレスターとトニーのコンビネーションが生み出したのが、80年代を代表するシンガーの名前を冠したトリック、マドンナというワケだ。
- レッドブル・アスリートのカール・バーグリンドによるマドンナは0:45〜。
なお、その後一気にこのトリックがポピュラーになったことを考えると、レスターのアドバイスもあながち間違いではなかったのかもしれない……。
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08
🛹 SEAN PENN(ショーン・ペン)
フロントサイドとバックサイドは夫婦ってこと?
ショーン・ペンは、マドンナのバックサイドバージョンのトリック。トリック名はもちろんアメリカの俳優ショーン・ペンのこと。勘のいい読者ならその理由にもうお気づきだろう。このトリックが考案された1985年当時、マドンナの夫だったのがショーン・ペンだ。
このショーン・ペンを発明したのは80年代にビジョンのプロとして活躍し、スケート界のスターだった“Gator”ことマーク・アンソニー・ロゴウスキー(※6)。フロントサイド、バックサイドの違いを夫婦に例えるというユーモアが生んだ珍トリック名だ。
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09
🛹 BONELESS(ボンレス)
1体のパペット人形がルーツだった!?
直訳で“骨なし”を意味するボンレス。普段はBoneless Chicken(骨なしチキン)などの使い方をされるこの言葉が、なぜスケートトリックの名前になったのか。
テール側の手でデッキの中央を掴み、前足でデッキから下ろして地面を蹴り飛び上がるこのトリックが誕生したのは1979年のこと。『SKATE FATE』というスケート雑誌を創刊し、“GSD”の愛称で知られるプロスケーター、ゲイリー・スコット・デイビスは、友人のロバート・ハムリックと家のリビングで新しいトリックを考えていた。
2人はバックサイド・フットプラント(※7)の変形バージョンであるフロントフッテッド・フロントサイド・フットプラントというトリックを思いついたが、その時は実現不可能なトリックと判断し、しばらくの間そのトリックのことは忘れていた。
翌年1980年の春、ハムリックとマーク・マウンツは、不可能だと思われたフロントフッテッド・フロントサイド・フットプラントは、バンクなら簡単にメイクできることを発見。実際にトライしてみると、さほど難しくない上に高さを稼げるトリックであることが判明し、一気にスケーターの間に広まることとなった。
- 完成度の高いトランジショントリックでおなじみのロニー・サンドヴァルによるボンレスのHow to動画。
このトリックは後に、ロバート・ハムリックが持っていたパペット人形の名前である“ハリー・ザ・ボンレス・ワン”に因んで“ボンレス・ワン”と命名され、現在はその省略形である“ボンレス”という名前で定着している。手を入れないと形を保てない(骨なしの)パペット人形の名前がトリック名になったという経緯だ。
なお、同時代のプロスケーター、故ジェフ・フィリップスも「ボンレスを考えたのは自分だ」と主張してはいたが、ボンレスという名前はゲイリーとその仲間たちが命名したものであるという説が有力だ。
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10
🛹 NO COMPLY(ノーコンプライ)
「全然理解できない!」の感想がそのままトリック名に!
現在では数々のバリエーションがあるノーコンプライ。現在最も一般的なノーコンプライと言えば、前足を地面に下ろし、デッキ、体共にフロントサイドに180度回るフロントサイド180ノーコンプライを指す(ボンレスのノーハンドバージョン)。その原型を作ったのはブラックレーベル スケート ボード (※8)のオーナーであるジョン・ルセロであるとルセロ本人は語る。
駐車場の車止めにテールをヒットさせ、そのままノーハンドのボンレスで飛び越えるトリックを思いついたルセロは、当初このトリックを“カーブ・スマッシャー”と呼んでいた。このトリックを初めて目撃したニール・ブレンダー(※9)は、“I don’t understand, it’s stupid. No comply.(何が何だかわからないし、馬鹿げてる。理解できない。)”と感想を述べ、この事がきっかけで“ノーコンプライ”というトリック名が生まれたというのがルセロの語るところ。
「誰にも理解できない」を意味するスペイン語「no comprende」の英語表現「no comply」がその由来だというわけだ。
- 日本を代表するワールドクラスのスケーター瀬尻稜のパート。0:47〜のラインの途中にさりげなくノーコンプライが組み込まれている。
なお、ルセロとランス・マウンテン(※10)が共同で考えたという逸話もあり、あくまでも一説とであることを付け加えておく。
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(※1)エリック・ドレッセン
アルバ・スケーツ、ドッグタウン スケートボードなどのライダーだったスケート界のレジェンド。現在もサンタクルーズ、オージェー ウィールなどからスポンサードされる現役ライダーであり、タトゥー・アーティストとしても活躍する。
(※2)5-Oグラインド
ノーズを上げて後ろのトラックのみでグラインドするトリック。
(※3)オマー・ハッサン
アメリカ合衆国カリフォルニア州コスタメサ出身のプロスケーター。47歳を超えた2020年現在も現役バリバリのプロスケーター。
(※4)トニー・ホーク
900をバーチカルで史上初メイクを果たし、世界で最も有名なプロスケーターといっても過言ではないスケート界のスーパースター。
(※5)レスター・カサイ
70年代、80年代に活躍した日系トッププロスケーター。2020年現在も現役でバーチカルランプを攻め続けている。
(※6)マーク・アンソニー・ロゴウスキー
"Gator”のニックネームで知られるロゴウスキーは80年代のバーチカルスケートのアイコンの一人。現在は91年の出来事で……。詳しくは、2003年のドキュメンタリー映画『Stoked: The Rise and Fall of Gator』を観てほしい。
(※7)バックサイド・フットプラント
バックサイドグラブの形で前足をコーピングにつき、Rに戻るトリック。
(※8)ブラックレーベル スケート ボード
ジョン・ルセロが1990年に立ち上げたスケートカンパニー。
(※9)ニール・ブレンダー
コンテストランの最中にスプレーアートを描き始めた逸話も有名な80年代のプロスケーター。デッキのグラフィックを初めて自ら手がけたことでも知られ、スケートにおけるスタイルとは何かを体現し続けている。
(※10)ランス・マウンテン
伝説のスケートチーム、ボーンズ・ブリゲードのメンバーであり、スケートビデオマガジン『411 VM』のナビゲーターとしても活躍した。2020年現在もフリップ スケート ボードやナイキなどからスポンサードされる。
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