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サウンドクリエイター佐宗綾子さんの「椅子を並べて寝た」ナムコ時代 ――ゲーム業界、彼女の履歴書
佐宗綾子さんが自身の最初の就職先、ナムコでの働きぶりを振り返る
女性開発者の割合が低く、離職率も高いと言われるゲーム業界で、25年以上も第一線で活躍し続けてきた、サウンドクリエイターの佐宗綾子さん(株式会社スーパースィープ取締役)。音楽やゲームと出会った子供時代から就職活動に出遅れた学生時代までを追った 前回の記事に続いて、今回は最初の就職先であるナムコ(※本文中のナムコとは、現在の株式会社バンダイナムコエンターテインメントを指す)での7年間にフォーカスし、キャリアを振り返る。
新人研修で書いた曲がアーケードゲーム『倉庫番DX』に正式採用
1989年、電子オルガンで有名な音楽専門学校から、株式会社ナムコに新卒採用された佐宗さん。配属された開発一部での新人研修では、当時稼働していたアーケードゲーム『ロンパーズ』の基板を元に、新たにサウンドデータを作るという課題に取り組んだ。実際に使われる曲ではないとは言え、新入社員がいきなり作曲を任せられることに驚いたそうだが、これはナムコサウンドチームの伝統で、数年後には自身が担当したアーケードゲーム『ローリングサンダー2』の基板が研修用に使われたのだとか。
実は佐宗さん、本格的に作曲に取り組んだのはこれがはじめてだった。「電子オルガンって、既存の曲をいかに再現するか、完コピを競ったりする部分もあって、人の曲のアレンジとかは好きでした。もちろんオリジナル作品を作られる方もいますが、私の場合は授業の課題やナムコ受験用のデモテープのために、仕方なくやった程度で」。また、専門学校ではコンピュータミュージックを履修していたものの、ゲーム開発上の制作行程や技術を学んだわけではない。「PC-9801を使って作業するということで、学校で使っていたから大丈夫と思ってたんですけど、電源を入れたらMS-DOSが立ち上がって『なにコレ???』って。学校のキューハチ(PC-9801)ではシーケンスソフトしか使わなかったので、OSという概念すら知らなかったんですよね(笑)」。
それでも、使っていたシーケンサーとナムコの開発ツールとに共通性を見い出すと、それを手がかりに制作を進め、早くに完成にこぎつけた。楽曲自体も評価され、のちにアーケードゲーム『倉庫番DX』のBGMとして世に出ることに。先輩の小沢純子さんが新人時代に書いた曲が、アーケードゲーム『ドルアーガの塔』に採用されたというエピソードを想起せずにはいられない。作曲もゲーム開発もほとんどはじめてというなか、なんとかしてしまう適応力と持ち前の才能とで、佐宗さんは頭角を現していく。
『ギャラクシアン3』担当になると「女捨て気味」の仕事ぶりに
それからしばらくは、東京都大田区にあったナムコ本社に勤務。「早く仕事に慣れたい」と自ら残業したり、担当プロジェクトが大詰めを迎えて仕事が終わらないこともあったが、遅くてもその日のうちには帰路についていたという。ちなみに、研修後の最初の仕事は、CD『ビデオ・ゲーム・グラフィティVol.5』のブックレットに掲載するため、アーケードゲーム『オーダイン』の曲を聞き取って楽譜に起こすことだった。
やがて、その『オーダイン』の作曲者で職場リーダーの"めがてん細江"こと細江慎治さんらとともに『国際花と緑の博覧会』に向けたアトラクション『ギャラクシアン3』の担当になり、神奈川県にあったナムコ横浜未来研究所勤務となると、忙しさや交通の便の問題から会社に泊まり込むことが多くなっていく。「もう、"セルフブラック"状態でしたね(笑)。よりよいものを作りたいと、自ら望んで時間外労働してしまうという。段ボールや椅子を並べて寝たりして、女捨て気味でした。深夜でもクルマで帰れるようにと教習所に通ったんですが、忙しくて仮免のまま3ヵ月経ったりもして」。
こうして、男性社員と何ら変わりなく働いていた佐宗さんだったが、女性ゆえの面倒も感じていたそうだ。ひとつは目立ってしまうこと。泊まり込みで働く社員はほかにもいたが、女性社員の中で突出して残業の多い佐宗さんは、目に留まる存在だったのだろう。残業過多で指導され、始末書を書いたことも……。もうひとつは、仕事漬けの日々を心配する家族の小言で、「男だったらうるさく言われずにすんだのに」と思っていたとか。ところがある日、仕事風景を記録した映像を見た親族が「こんな楽しいことやってたら、そりゃお嫁にいかない。帰ってこないのも仕方ない」と口にして以来、何も言われなくなったという。「よっぽど楽しそうに映ってたんでしょうね(笑)」と佐宗さんが回想したその映像とは、大阪にあったゲームセンター、プラボ千日前店での『ギャラクシアン3』16人版の設置作業を記録したもので、深夜に音の鳴り方をチェックするなど、プロジェクトチームみんなでワイワイやっている映像だった。
プライベートも充実、ナムコサウンドチームの仲間と趣味のインディーズ活動も
当時の佐宗さんの働きぶりは、同僚から「いつ寝てるの?」と聞かれるほどだったが、一方で彼氏と映画を観たり、釣りへ行ったりと、しっかり遊んでもいたという。会社も職務内容も違う彼氏と予定を合わせるのはたいへんだったが、たとえば帰りが遅くなったときにクルマで迎えに来てもらい、そのまま食事へ出かけるなど、うまくデートの時間を見つけていたとのこと。
また、職場でともに『ギャラクシアン3』やアーケードゲーム『リッジレーサー』シリーズを担当していた細江さん、相原隆行さん、佐野電磁さんたちサウンドチームの面々とは、趣味でインディーズでの活動を行っていた。その一環として、キーボードで参加していたテクノポップバンドの"まにきゅあ団"は、メジャーデビューまで果たしている。仕事一辺倒ではなく、プライベートライフも充実していたのだ。
勤続7年で訪れた転機。退職日ギリギリまで『ゼビウス3D/G』にかかりきりに
ナムコに勤めて7年目に、転機が訪れた。入社以来、苦楽をともにしてきた細江さんが、勤続10年を機に独立を考えていることを知る。それを聞いて、まずは「つまらなくなるな~」と思ったという佐宗さん。結局のところ細江さんは、いきなり独立するのではなく、知人が新しく設立したゲーム会社に誘われて転職することに。一緒にやれなくなることを残念がる佐宗さんと相原さんに、細江さんは「できたばかりの小さな会社だから、今はサウンド部門に3人も抱える余裕がないはず。ふたりが来ても大丈夫な基盤を作るから、それまで待っていて」と言い残し、ナムコを去っていった……はずが、翌月には「ふたりとも、来ていいって!」との連絡が。
それまで、転職や独立については考えてこなかった佐宗さんだったが、これが契機となり、相原さんとともに株式会社アリカへの転職が決まった。ナムコで最後に担当していたのはアーケードゲーム『ゼビウス3D/G』で、退職日ギリギリまで作業をしていたために本社へ挨拶にも行けなかったというのが、なんとも佐宗さんらしい。
性差を意識せず、タフに働き続けた、佐宗さんのナムコ時代。ハードワークを苦にせず、逆に楽しむという姿勢が、1990年代前半のゲームミュージックシーンを代表する、佐宗さんの仕事の数々につながっていったのだろう。また、激務の続くなか、うまく時間をやりくりして遊んでいたところにも、トップクリエイターとして新しいものを生み出すためのヒントがある気がしてならない。
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