メンタルヘルスへの世間のイメージと理解はゆっくりだが確実に進歩している。
うつや不安を抱える人に「あなたの苦しみは普通ですよ」というメッセージを送る “It’s Okay To Not Feel Okay” などのキャンペーンが展開されるなど、以前よりもメンタルヘルスは話題にしにくいトピックではなくなっている。
スポーツ界でも、英国プレミアリーグ・トッテナムで活躍するサッカー選手ダニー・ローズや2004年アテネメダリストの元英国代表陸上選手ケリー・ホームズなど、数々の有名選手たちがうつと闘ってきた過去を告白している。
しかし、スポーツはメンタルヘルスにより具体的な貢献ができる。フィットネスを鍛えれば、メンタルヘルスにポジティブな影響を与えられるのだ。
10月10日の世界メンタルヘルスデーを記念して、メンタルヘルス専門医やアマチュアアスリートたちが充実した日常生活を送るために最適な5種類のスポーツについての知識と経験を明かしてくれた。
インスピレーションに満ちた5つのストーリーを読み進めよう。
1:ランニング
ランニングがフィットネスにどれだけ有益なのかについては様々な形で述べられてきた。しかし、自分のマインドの向上を目的として走っているランナーも多い。
その背景には、ランニングではエンドルフィンの分泌で大きな高揚感 — いわゆる “ランナーズ・ハイ” — が引き起こされ、痛みやストレスを軽減するだけでなく幸福感を増進させてくれるという事実がある。
2008年、ドイツの神経科学者のグループはベテランランナーを対象にして脳機能イメージングを用いて2時間走ると脳内のβ-エンドルフィン分泌量が急増することを証明した。また、エンドルフィンの分泌量増加はランナーが報告した多幸感と相互関係にあることも示された。
ソーシャルランニングネットワーク261 Fearlessで女性の健康に関する研究チームリーダー兼主任コーチを務めるジュリエット・マクグラタン博士は上記の研究結果に同意した上で次のように語る。
「集中的・持続的なエクササイズは大量のエンドルフィン分泌を促します。ロングランが高揚感を生み出す “ランナーズ・ハイ” はこの現象の実例です」
「エンドルフィンは体内で生成される麻薬で、モルヒネなどに似た効果があります。同じ効果を脳へ及ぼすため、強い多幸感を引き起こします。ランニングが中毒的なのはこれが理由です」
レディング在住の宗教学教師マーク・ベイカー(40歳)にとって、ランニングは中毒であると同時に救済でもある。
30代で双極II型障害(躁うつ病)と診断された彼は、3度の自殺未遂で病院へ搬送された過去を持っているが、ランニングと出会ってからは平穏なメンタルを取り戻している。
ランニングを始めたきっかけについて、ベイカーは次のように切り出す。
「新薬の副作用で体重が激増してしまった私はリカバリーの一環としてランニングを始めました。『ランニングは気分向上の助けになるし、日常生活を取り戻そうとする際にある種の大枠を作ってくれる』と言われたからです」
「実際その通りの効果がありましたし、さらにCouch to 5kというアプリのおかげですぐにランニングの虫が目覚め、ファンラン(タイムや順位ではなく、ランニングを楽しむことを主体としたイベント)へ参加するようになると、やがてハーフマラソンにも挑戦するようになりました」
「メンタルヘルス・サポートコミュニティ」という別称を掲げて、世界各地で毎週5kmランを開催しているRun Talk Runというランニンググループで、ベイカーは現在ランリーダーを任されている。また、彼はソロランも続けており、両アクティビティからメンタルヘルスへの大きな恩恵を得ている。
ベイカーは次のように語っている。
「ソロで走っている時に気付いたのですが、気分が落ち込んでいる時や、元々引きこもりがちな性格の人も、ランニングをすれば気分が向上するんです。また、躁状態の時は落ち着かせてくれます」
「充実したランは、私にとって最高の瞑想です。人の意見を理解したり、あるいは雑音からしばらく逃避したりするためのひとりの時間なのです。走っていて気分が落ち込んだ経験は一度もありませんね」
「グループランでも同じようなメリットを得られますが、グループランでは自分と同じ経験をしたことがあるかもしれない人たちに胸の内を明かしたり、他の人の話に耳を傾ける立場になったりと、コミュニティ的な感覚が加わります」
「私たちは専門のセラピストではないので、他人が抱える問題に立ち入って解決することはできませんが、 “ランニングのあらゆるメリットを得ながら、自分に正直になれる空間” を提供しています」
2:スイミング
2018年に発表された英国の成人140万人を対象にした研究は、スイミングには不安症やうつ病を劇的に改善する効果があると結論づけている。
また、メンタルヘルスの問題を抱える英国の成人の約49万2,000人がスイミングのおかげでメンタルヘルス専門家への訪問回数が減少したと報告している。
さらに、Swim Englandの依頼で実施されたYouGov(英国の市場調査・データ分析企業)の統計は、スイミングによって49万人超がメンタルヘルス関連薬の服用量が減った、または服用しなくなったことを示している。
ボーンマスに住むマリア・パーカー=ハリス(32歳)もスイミングのメリットを証明している。約2年続いた不妊治療により彼女のメンタルヘルスには深刻な打撃がもたらされ、「生きているのが恥ずかしく、孤独で、屈辱的で、恐怖の中で完全に孤独」(パーカー=ハリス談)な状態まで追い詰められてしまった。
治療のために体重を10kg減らすようアドバイスされた彼女は、スイミングという「自分でコントロールできる新たに打ち込める対象」を見つけたことで「目的意識が生まれ、自分の中の可能性が書き換えられた」としている。
「Aspire Channel Swim(英国で行われているスイミングチャレンジ)の広告を見てピンときたんです」と語るパーカー=ハリスは徐々にスイム距離を延ばし、最近はハーフマラソン距離も完泳した。彼女はさらに続ける。
「10代以来まったくスイムしていませんでしたが、このチャレンジが気に入りましたし、自分の身体でできないことに打ち込むより、自分の身体でもできることを見つけたいと思っていました」
「驚かされたのは、スイミングがわたしのメンタルヘルスにもたらすポジティブな効果でした。まず身体が強くなり、できることが増えました」
「また、プールでラップを重ねることにだけに集中する時間を週2時間設けた結果、その週のフラストレーションや悪いニュース、苦しい治療やその他のストレスを解消できるようになりました。スイミングのおかげで自分を解放できましたし、マインドがとてもハッピーになりました」
パーカー=ハリスは最後に次のように付け加える。
「スイミングは忙しい日常生活の中にも簡単に取り入れられますし、リラックスして内面の苦しさを解放できる貴重な時間が持てます」
「自然の中、地元の室内温水プールを問わず、自分の身体とメンタルヘルスのための時間を作ることは充実した生活には不可欠です」
3:チームスポーツ
米国のジャーナルLancet Psychiatryの研究結果は、チームスポーツはその他の運動よりもメンタルヘルス面のメリットがわずかに多いことを示している。
米国疾病管理予防センターが2011年から2015年にかけて米国の成人120万人を対象に行った調査データを年齢層 / 性別 / 学歴 / 収入など複数の項目で分析したある研究グループは、エクササイズを習慣化している人はエクササイズをしない人よりメンタルヘルスが悪化する日数が少なく、チームスポーツを楽しんでいる人はメンタルヘルスが落ち込む日数が最も少ないという事実を発見した。
この研究結果について、イングランド・ウェールズ・クリケット評議会(ECB)の医務部長を務めるニック・パース博士は次のように語っている。
「レクリエーション関連とプロスポーツ関連の調査によって、チームという環境がコミュニケーション能力・自信・親交・笑い・成長・忍耐・リーダーシップスキルなどを向上させる傾向があることが分かりました」
「また、チームスポーツには外社会で不安を感じているメンバーに安心できる場所を提供します」
英国南西部バースに暮らすストレングス&コンディショニングコーチのジョージ・スタッド(27歳)は16歳から重いうつや不安症に苦しんでいたが、チームスポーツに活路を見出した。
オトリーのラグビークラブでセミプロとして活躍していたスタッドは、23歳でキャリアを終えてからうつ症状を悪化させてしまったが、やがてバスケットボールに安息の地を得た。
「バスケットボールは感情のはけ口でありルーティンでもあります。なぜなら、ひどく落ち込んで他人と触れ合いたくない時でもひとりで打ち込めるからです。また、チームに溶け込んで友人たちと共に過ごせば気分も上向きになります」
「若い頃にバスケットボールに打ち込んでいて、U16まで国内リーグのダーハム・ワイルドキャッツに所属していました。そして大学で怪我をしてラグビーができなくなったあと、またバスケットボールに取り組むようになりました」
「徐々に上達していくことが(うつ症状改善の)大きな助けになりました」
「バスケットボールではフォームや一貫性、そして小さな成功の積み重ねが重要になります。ジャンプショットや、疲れている時のほんの少しの踏ん張りなどでこれらが活きてくるのですが、僕は治療プロセスにも上手く活かせました」
「さらに言えば、プレー時に分泌されるエンドルフィン分泌は平静さを保つために欠かせません。また、そして、バスケットボールはとても敷居の低いスポーツです。ボールを持って公園に行けば、そこでプレーしている人たちに混ぜてもらって気分爽快になれます」
「現実世界との繋がりを持てるという点でも、バスケットボールのチームスポーツの側面はとても重要です」
「気分が落ち込んでしまうと外に出て他人と話すのがとても難しくなります。チームとそのカルチャーの中に入り、同じものが好きな人たちに囲まれていると高い没入感が得られます」
4:エクストリームスポーツ
どのスポーツもアドレナリンラッシュをもたらしてくれるが、大半がハイリスクという事実を踏まえればアクション&アドベンチャースポーツほどアドレナリンに満たされたスポーツはないだろう。サーフィンや登山、パラシュートを含むエクストリームスポーツはスピードや高高度、強烈な運動を伴う。
2016年に行われたある大規模な研究は、エクストリームスポーツ、特にタンデムスカイダイビングが無快感症(一般的には楽しいと言われている活動や行為を楽しく感じなくなってしまう症状)を抱える若い成人の治療経過を改善することを明らかにした。
この研究を行ったチームは、強い情動反応が得られるという理由でスカイダイビングを研究対象に選択した。スカイダイビングは大半の人が恐怖を感じるアクティビティだが、放出されるアドレナリンに脳内のドーパミン分泌が加わって多幸感を得られる時がある。
エクストリームスポーツがメンタルヘルスにもたらす心理的な高揚効果を実際に体験している人物がロンドン在住の映像プロデューサー、トーマス・パーマー(29歳)だ。
彼も長年うつに苦しんできたが、つい最近コロンビア最高峰10峰に登頂するという驚異的なチャレンジに挑んだばかりだ。しかもこのチャレンジまで彼の登山経験はゼロだった。
パーマーにうつと不安症の傾向が表れたのは21歳の時だった。彼は次のように回想する。
「まるで双子の姉妹と黒犬に追いかけ回されているような感覚なんだ。笑顔を浮かべ、笑い声を上げてもうつは影をちらつかせる。どんな時もつきまとい、忍び寄ってきてはその存在を知らせてくるのさ」
2018年にロス・エドグレイの英国一周スイムにカメラマンとして帯同したパーマーは、ロスが自分だけのアドベンチャーを完遂する姿を目の当たりにして大いに感銘を受けた。
それまではジムでのトレーニングやモチベーショナルスピーチ、友人や家族の存在に救われてきたパーマーだが、エドグレイのチャレンジが彼を奮い立たせた。
パーマーにとって人生における新たな情熱となったコロンビア最高峰10峰制覇について、彼は次のように語る。
「チャレンジは目標を与えてくれるし、マインドを整え、あらゆる心配から自分を遠ざける集中をもたらしてくれる。アドベンチャーは素晴らしい大自然の中に自分を連れ出してくれる。コンピューターのスクリーンから自分を引きはがして再び自然と繋がれるんだ」
しかし、ストレスと無縁だったわけではない。挑戦はロジスティックス地雷原と呼べるものになり、本物の地雷原にも遭遇した。コロンビアのジャングルを訪れたパーマーは、ブービートラップ用地雷が埋められている可能性があると警告された。
また、冒険家としては駆け出しだったパーマーは、身体の芯まで冷えるような寒さ、大きく割れた氷河、有毒な火山ガスの恐怖、さらにはコロンビアの国立公園内の大部分を支配するFARC(コロンビア革命軍)の存在にも対処しなければならなかった。
しかし、このような困難にもかかわらず、彼はコロンビア国内で最も標高が高い山脈の一部の登頂に成功した。
「顔や手を汚しまくり、ジャングルの中で方向を見失い、山の中で立ち往生し、風雨に打たれていると、どこか開放感が得られるんだ」
「突き詰めて言えば、誰もが自分だけのアドベンチャーを見つけられるってことさ。なりたい自分になれる。アドベンチャーに身を投じ、その中で迷おう。驚きやチャレンジに遭遇することになるし、何より人間として成長できる」
「人間は常に成長・進歩する必要がある。アドベンチャーには常に成長できるあらゆる要素が詰まっている。“いつか” ではなく “今すぐ” アドベンチャーを始めるべきだね!」
トーマス・パーマーのコロンビア最高峰10峰チャレンジを追ったドキュメント映像はこちら>>
5:サイクリング
バルセロナ・グローバルヘルス学会が行なった2018年の研究は、サイクリングは健康面のメリットが最も大きい移動手段で、健康を実感しやすく、メンタルヘルスの向上と孤独感の軽減をもたらしてくれると結論づけている。
また、MTBやロードレース、そしてダニー・マッカスキルのようなトライアル&トリック系など様々なカトゴリーがある自転車は誰もが楽しめる乗り物だ。
そして、サイクリングクラブの社交的な特徴も過小評価すべきではない。サイクリングが好きで憂鬱や孤独を感じているなら、地元のサイクリングクラブに参加してみよう。
最後に
どのスポーツを選んでも、身体を動かせばメンタルヘルスが向上する。マクグラタン博士は最後に次のような言葉で締めくくっている。
「スポーツ、そしてエクササイズ全般は、脳にとてもパワフルな効果をもたらします。エンドルフィンは気分を高め、エクササイズ後も続く幸福感をもたらしてくれます」
「またスポーツは自尊心を向上させ、自信を与えると共に他者との繋がりを築いてくれます。これらすべてが良好なメンタルヘルスに重要な意味を持つことは広く知られています」