Street Fighter 2 character artwork
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Gaming

『ストリートファイター』シリーズがゲーム業界に与えた10の功績

『ストリートファイター』30周年を記念して、このゲームが格闘ゲームというジャンルとビデオゲームシーン全体に与えた変化について振り返っていこう。
Written by Damien McFerran
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『ストリートファイター』と同レベルでひとつのジャンルを大きく定義づけた別のゲームを想像するのは非常に難しい。1987年にリリースされたオリジナルも、(やや雑な作りだったにせよ)重要な作品だったが、1991年にリリースされた続編は世界現象以上の存在となり、数え切れないほどの続編やスピンオフ、関連商品、さらにはジャン=クロード・ヴァン・ダムとカイリー・ミノーグをフィーチャーしたハリウッド映画までもが作り出された。そして、このシリーズは『ストリートファイターIV』でさらに強力なゲームとして華麗な復活を果たし、最新作『ストリートファイターV』も新世代プレイヤーを惹きつけている。
30年に渡り波動拳・昇龍拳・スクリューパイルドライバーを放ち続けてきたストリートファイター』シリーズの偉大さを祝うべく、今回はこのシリーズがビデオゲームにもたらした10の変化について振り返っていく。
01

2度のゲームチェンジャー

1987年にリリースされたオリジナルの『ストリートファイター』は、世界初の1on1対戦格闘ゲームではなかったが、その数年後にリリースされた続編は、当時完成していたひとつのゲームスタイルを、1990年代前半を通じて最も人気が高かったジャンルに変えることに成功した。1980年代後半の人気ジャンルが2Dシューティングだったとするなら、1990年代前半の人気ジャンルは対戦格闘ゲームだった。そして、そのきっかけとなったのが、Capcomが1991年にリリースした『ストリートファイターII』だった。このゲームがリリースされたあと、あらゆるデベロッパーがこのジャンルのアーケードタイトルを開発し、『餓狼伝説』、『バーチャファイター』、『Mortal Kombat』、『Killer Instinct』、『King of Fighters』などがリリースされた他、無数の二流タイトルも数多く生み出され、世界中のアミューズメント施設でコインを賭けた戦いが展開された。『ストリートファイターII』が存在しなければ、格闘ゲームの人気爆発は存在しなかった。また、さらに素晴らしいことに、Capcomは『ストリートファイターIV』でこのジャンルの再ブームを生み出すことに成功し、1on1の格闘ゲームにルネッサンスをもたらした。
02

ボタンとプレイスタイルを増やした

アーケードで『ストリートファイター』を初めて見た時は衝撃的だった。当時の筐体のほとんどは多くても3ボタンだったが、Capcomが1987年にリリースしたこのタイトルは6ボタンが用意されており、弱中強のパンチとボタンが用意されていたのだ(編注:テーブル筐体のみ)。当時、この6ボタン仕様を過剰に思った人もいたかもしれないが、実際は、他には類を見ない戦術的な奥深さをゲームに加えていた。弱い攻撃ほどスピードが速くてリスクが少なく、強い攻撃ほどダメージは大きいが、隙が大きくてカウンターを受ける可能性が高いというシステムになっていた。そして、続く『ストリートファイターII』でこの部分はさらに進化することになった。また、オリジナルの『ストリートファイター』はビデオゲーム業界全体のボタン増加を促したとさえ言われている。1990年に任天堂が送り込んだスーパーファミコンも6ボタンで、SEGAも『ストリートファイターII’ Champions Edition』と同時期に、メガドライブの6ボタンコントローラー、ファイティングパッド6Bをリリースした。
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コンビネーション攻撃を生み出した

近年の格闘ゲームを “コンボ” 抜きにプレイするのは難しい。このシームレスな連続攻撃は、最近の格闘ゲームの重要な一部になっているが、これもまた『ストリートファイター』シリーズが生み出したものだ。『ストリートファイターII』には数多くのコンボが用意されていたため、ベテランプレイヤーたちはコンボを習得することが勝利条件だということを理解していた。特に対戦相手のスキルが優れている場合は、絶対に必要だった。Rareの『Killer Instinct』のような、コンボをゲームプレイの中心に据えた後発タイトルの全ては、『ストリートファイター』シリーズがあったからこそ世に出ることができたのだ。
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プレイアブルキャラクターを増やした

『ストリートファイターII』がリリースされる前、ゲームデベロッパーの中に「複数のキャラクターの動きをプレイヤーにマスターさせる」というアイディアは存在しなかった。オリジナルの『ストリートファイター』でさえ、リュウとケンの2人の性能は同じでアクションも共有されていた。しかし、1991年にリリースされた『ストリートファイターII』では、この2人に6人のプレイアブルキャラクターが加えられ、しかも、それぞれが異なる長所と短所、必殺技を備えていた。強靱なロシア人レスラーのザンギエフから、グリーンの体が特徴的な野生児ブランカまで、全員のアクションは完全に異なっており、しかも、戦いを続ける理由も個別に用意されていた。この瞬間から、プレイヤーは格闘ゲームにこの作品と同レベルのキャラクターのバラエティと奥深さを求めるようになった。
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アーケードの寿命を延ばした

最近のアーケード業界は見る影もないほど縮小してしまったが、『ストリートファイターII』がなければ、もっと早くに今の状態になっていた可能性があった。アーケードの黄金時代は1970年代と1980年代で、1990年代は家庭用ゲーム機の誕生によって勢いを失いつつあった。プレイヤーはスーパーファミコンとメガドライブでアーケードと同レベルのゲームエクスペリエンスが得られることに気づき始めていたのだ。しかし、『ストリートファイターII』のリリースはアーケードタイトルへの大きな興味を引き出すことに成功し、プレイヤーはアーケードやアミューズメント施設へ再び大挙するようになった。そしてこれが、MidwayやSNKなどの他のデベロッパーを後押しすることになり、彼らが独自の格闘ゲームシリーズを開発したことでアーケードプレイヤーの数はさらに増加した。1990年代を通じて、Capcomの格闘ゲームシリーズはアーケード経営者に富をもたらし、アーケード業界に第二の黄金時代をもたらした。というのはさすがに言い過ぎで、純銀時代だったのかもしれないが、我々が言いたいことは分かるはずだ。
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対戦要素をシリアスに打ち出した

ビデオゲームは昔から対戦が重要な要素だった。結局のところ、Atariの『Pong』も2プレイヤー対戦だった。そして、アーケード時代はハイスコアを記録する楽しさがビデオゲームを一大娯楽にする要因になっていた。しかし、『ストリートファイターII』レベルのローカルマルチプレイヤーの楽しさを提供できていたゲームはほとんど存在しなかった。『ダブルドラゴン』や『ファイナルファイト』のような、これ以前のアクションゲームは「協力プレイ」だったが、『ストリートファイターII』はそのような仲間意識を排除し、プレイヤーに自分の隣に立っているプレイヤーを全力で倒すことを求めた。この結果、世界中の筐体に長蛇の列が生まれ、アーケードには「勝ち残り」ルールの即席イベントが多発し、筐体の上には対戦順を示すコインが並べられるようになった。そして、このゲームがスーパーファミコンに移植されると、今度はこの戦いが家庭に持ち込まれ、友人同士がお互いの家を行き来して、誰が強いのかを競い合うようになり、近年やウメハラボンちゃんのような格闘ゲームプレイヤーたちが、何万人もの観客の前で対戦して高額の賞金を獲得している。先にも述べたように、ビデオゲームの中心に対戦が位置してきたのは確かだ。しかし、『ストリートファイター』シリーズほど対戦要素をシリアスに打ち出したゲームはなかった。
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アップデートによるシリーズ展開を生み出した

これは些細な部分に思えるかもしれないが、非常に重要だ。『ストリートファイターII』が大ヒットとなったおかげで、Capcomは続編を開発する心配をする代わりに、定期的なアップデートでシリーズを成長させられる可能性に気が付いた。しかし、実は、このアプローチはCapcomではなくファンがきっかけで生まれたものだった。当時は『ストリートファイターII』への需要が非常に大きかったことを受けて、海賊版のアーケード基盤が出回るようになっており、これらの海賊版にはオリジナルの『ストリートファイターII』ではプレイアブルキャラクターではなかった四天王がプレイできるなど、様々な機能が追加されていたのだ。そして、この海賊版への対抗策としてCapcomがリリースしたのが『ストリートファイターII Champion Edition』で、その後も『ストリートファイターII’ TURBO -HYPER FIGHTING-』、『スーパーストリートファイターII -The New Challenger-』、『スーパーストリートファイターII X -Grand Master Challenge』をリリースすることでシリーズの採算性を維持し続けた。良くも悪くも、このようなアップデートはアーケードと家庭の両方から収益が得られる 金脈となり、定期的にリリースされた家庭用ゲーム機版はファンに対戦を続けさせた。近年、このような定期的なアップデートはCapcomがシリーズを全体的にコントロールすることを可能にしており、バランス調整や各種修正を簡単にしつつ、追加コンテンツとキャラクターでプレイヤーを惹きつけ続けている。
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クロスオーバータイトルを生み出した

2017年にリリースされた『Marvel vs. Capcom: Infinite』は、初のクロスオーバータイトルではない。Capcomはクロスオーバータイトルを1990年代初頭から手がけている。『X-Men: Children of the Atom』と『Marvel Super Heroes』が、スーパーヒーローを『ストリートファイター』スタイルの環境に放り込もうとした初期タイトルで、これらには『ストリートファイター』シリーズに似た必殺技も用意されていたが、我々が望んでいたものを与えてくれたのは1996年にリリースされた『X-Men vs. Street Fighter』だった。Capcomの『ストリートファイター』のキャラクター陣がサイクロプスやガンビット、ウルヴァリンなどと対戦するという最高のスペクタクルを与えてくれたのだ。リュウをはじめとするストリートファイターたちも事実上はスーパーヒーローだったため、この設定は馬鹿げたものには見えなかった。そしてこの作品以降、『Marvel Super Heroes vs. Street Fighter』や『Marvel vs. Capcom』、さらには『Capcom vs. SNK』までもがリリースされた。『Capcom vs. SNK』は、CapcomとライバルSNK(『餓狼伝説』シリーズ、『サムライスピリッツ』シリーズ、『King of Fighters』シリーズなど)が、格闘ゲームにおける優位性を争うという作品だった。
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家庭用ゲーム機戦争の決定打になった

大げさに思えるかもしれないが、おそらく『ストリートファイターII』は、任天堂が家庭用ゲーム機市場の主権争いを演じていたライバル機、SEGAのメガドライブ / GENESISに対して持っていた唯一にして最強の武器だった。少なくとも、16ビット家庭用ゲーム機時代初期ではそうだった。長年に渡り任天堂を支持してきたCapcomは、『ストリートファイターII』をまずスーパーファミコンへ移植することを決定し、1992年にリリースした。SEGAファンものちに『ストリートファイターII Champions Edition』を手にすることになったが、この時間差が、任天堂の16ビット機がライバル機から大きなリードを奪う助けになった。日本ではこの時間差が与えた影響は特に大きかった。また欧米でも、リリースが待ちきれないファンが多かったことから、輸入された日本版が希望小売価格よりもかなり高額で取引されるという事態が起きた。Capcomがスーパーファミコン版とメガドライブ版を同時にリリースすることを決定していたら、かなり違う展開になっていたはずだが、1992年当時の熱心なゲーマーは、『ストリートファイターII』をプレイするためだけにスーパーファミコンを買っていた。メガドライブは欧米を中心にヒットしたものの、結局この時に奪われたリードをSEGAが奪い返すことはできず、後続機のサターンとドリームキャストが失敗に終わったあと、彼らは家庭用ゲーム機の製造から撤退した。
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メインストリームに進出した

『ストリートファイター』シリーズ以前も、ビデオゲームはメインストリームのポップカルチャーとの良好な関係を楽しんでいた。たとえば、1980年代には『パックマン』が米国でテレビアニメ化されたり、ビデオゲーム・ミュージックがディスコアレンジを施されてメジャーレーベルからリリースされたりしていた。しかし、『ストリートファイターII』はこの関係をネクストレベルへ進化させた。パックマンやマリオのようなキュートなキャラクターを映画館で上映される大型予算の映画に持ち込むのは難しかったが(任天堂が1990年代にチャレンジしたが、失敗に終わっている)、『ストリートファイターII』の「格闘家同士が戦う」という設定は、アーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスター・スタローンの映画で育った映画ファンにはパーフェクトだった。1994年末(日本は1995年春)に公開された映画『ストリートファイター』は、ジャン=クロード・ヴァン・ダムを主演に据えていたが、メディアからの評価は散々に終わった。しかし、この映画はCapcomが生み出したこのシリーズの人気がネクストレベルに到達したことを示し、その後も、アニメ映画や漫画、玩具、ファッションなど、様々な形で展開された。
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