Yuichiro Wakamatsu
© Nahoko Suzuki
スケートボード
愛媛みかんをスケートコミュニティでもう一度全国区へ!【Vol.12 - 若松優一朗】
人物写真のない人物インタビュー企画。スケーターの「創造力」にフォーカスする異色の連載『The Another Story』。 第12回目に登場するのは、日本一のみかんの町、愛媛県宇和島市吉田町に生まれたスケーター若松優一朗 26歳。
Written by alex shu nissen / Edited by Hisanori Kato
読み終わるまで:8分Updated on
※本稿は2019年4月にインタビュー&執筆されたものです
スケーターの若松優一朗は、自身の傾倒する“スケートカルチャー”と“みかん”をコンセプトとしたオリジナルアパレルブランドTangerineを手がけながら、地元のみかんをアイスクリーム等の加工品として販売するポップアップストアを都内で開催するなど、自分なりのやり方で、衰退していく地元のみかん産業と東京を繋ぐ活動に勤しんできた。それが大学卒業後のここ数年。
Yuichiro Wakamatsu
Yuichiro Wakamatsu© Nahoko Suzuki
これまで東京を拠点としていた彼が、この4月から本腰を入れてみかん農家を営む実家の家業を継ぐために、帰省する。次なる野望は、地元に喫茶店兼民宿とスケートパークを建設することだと言う。
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Yuichiro Wakamatsu© Nahoko Suzuki
話を聞けば、実に様々な職を転々とし、過去には海外で生活していた奔放なライフスタイルの彼だが、その時間は決してありがちな若者の自分探しではない。全ては愛媛みかん産業を再びトップへ押し上げる為のインプットであったようだ
スケーターらしいマインドで新しい人生の一歩を力強く踏み出す彼の挑戦。その物語をお届けする。
01

野球少年の人生を変えたスケートボード

Yuichiro Wakamatsu
Yuichiro Wakamatsu© Nahoko Suzuki
彼がスケートボードを始めたのは、大学生の頃。実家の家業を継ぐつもりも地元を出るつもりもなかったのだが、両親の勧めで関東の大学に進学する。野球の推薦で入った学校ではあったが、監督と反りが合わず初日にして退部してしまった。
「それまで野球しかしてこなかったから、何をしよう? って悩みました。急に将来が不安になって、、、人が変わったように学校の授業を一番前の席で真剣に受けるようになったんですその甲斐あって成績優秀者がカナダに留学できる制度にも参加できました。そんな頃に、学校の帰り道にCREIGHTっていうスケートショップがあって、毎日目にするので、だんだん“スケートボードをやってみたいな”って思うようになったんですよね。でもカナダに行くし、その時はまだいいかなって思ってました」
CREIGHTといえば、日本のサーフィン発祥地でもある千葉県の鴨川に店を構える、ローカルならずとも知られる名店だ。カナダ留学後もスケートボードが頭から離れなかった彼は、海外で持て余した時間をスケートボードに費やすことになり、すっかり魅了されていった。
「カナダでスケートをやりたくなって、とりあえずお店に行ってみたんです。本当に何も分からなかったから、クルーザーのシェイプで、8.7インチの重いやつを買っちゃいました(笑)。それを持ってスケートパークに行ってみたら、まずキッズの上手さに圧倒されましたね。運動神経には自信あったのに、おれこんなに何もできないのかって。初日のオーリーの練習でVANS破けて足から血が出てきて、それでも楽しくてしょうがなかったなぁ。板と体さえあれば遊びまくれる。こんな最高のスポーツないなって、火がついて、毎日スケートボードをしてました。野球はチームプレーだけど、スケートは自分のタイミングでいつ休憩してもいいし、タバコ吸ってもいいしお酒飲みながらやってる人もいて。歳も関係なくフラットに仲良くなれる。自然体なコミニケーションの仕方も学べた気もします
礼儀正しいが、人懐っこくて優しいナイスガイ。友だちが多い今の彼の性格が形成された所以もスケートボードにあったようだ
帰国してからは、CREIGHTに通い詰め、ステッカーの作り方から始まり、宮大工が製作する板、そのグラフィックをシルクスクリーンで刷ったTシャツなど、プロダクトが生まれる現場を見ながら、スケーターのDIY精神と技術を学んだという。これが後に始めるブランド、Tangerineに活かされているようだ。
02

ばあちゃんのみかんを口伝で継承したい

Yuichiro Wakamatsu
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スケートボードに熱中しながらも、文武両道。大学でも優秀な成績を収めていた。彼がみかん農家を継ぐ決意をしたのも、大学での授業がきっかけとなる。野球推薦の為、学部は意識していなかったがそこはたまたま観光学部だったのだ。
農業がいかに大事で、それは観光にも繋げられるし、地域を活性化させるにはどうしたらいいかっていうことを学んでいました。勉強していることが、実家でやってる農家とリンクしたんですよね。愛媛のみかんは物自体は今もいいんですけど、作り手がいないから衰退してるんですよ」
若者の農業離れに加え、輸入のオレンジも入って来たことで、彼の祖父も苦しい時代を味わった。だからこそ、息子には別の道を進ませたのだが、孫が自ら家業を継ぐ意志を伝えると、本当に喜んだそうだ。
Yuichiro Wakamatsu
Yuichiro Wakamatsu© Nahoko Suzuki
「じいちゃんが自分の家のみかんだけじゃなくて他の仕事をしないと子供を養えなかったから、JAで働いていて、ばあちゃんが畑を守ってました。だから親父には継ぐことを勧めなくて、実際、公務員として働いています。父は、定年退職したら趣味で畑をやろうぐらいに思ってたらしいんですけど、それじゃ意味がないと思ったんですよ。ばあちゃんは、僕が一番尊敬するみかんの師匠で、うちの山の地形や気候のことを一番分かってるし、みかんだけじゃなくて、野菜や米を作るのも本当に上手。そういう知恵が直接伝わらないのはもったいないし、ハードワークの農業を高齢者から高齢者に受け継ぐのは悪いルーティンじゃないですか。だったら回転してるうちに、若い自分がばあちゃんの知恵をもらったほうが伸びるって思って決意しました」
畑を誰かに任せるという手もあるが、そうすれば、国のやり方、県のやり方でまた教科書を見て一からのスタートになる。一族の知恵を直接口伝で継承すること、その方法で家族を幸せにする。それこそが彼が考える一番大事なことだと語った。
03

都会と地方を繋ぐ、みかん農家のスケーター

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みかんの都会での需要や、自分の事業計画の手応え。そういったものはここ数年の様々な活動で実感できていて、Tangerineの活動もその一つだ。
「Tangerineを始めたのは、自分の店作りの勉強にカフェで働いてた頃ですね。生活の中での身近なみかんとの接点として、アパレルブランドをやりたいって思って、友だちと一緒に立ち上げました。みかんは英語でタンジェリンとも言うんですよ。Tシャツやステッカーを販売するオンラインサイトも作りました。そこでは、うちで作ったみかんも買えるようにしていて品種の説明もしっかり書いています。最初は実家から送ってもらったみかんをタダであげてたんですけど、美味しいから箱で欲しいって言われたり、お金払うよって人が多かったので。田舎の人からしたらいい値段なんですけど、東京では安いねって言われるんですよね
本当は高い価値を持っているにも関わらず、せっかくのその価値を伝えきれていない。これは地域産業が抱える共通の悩みだろう。この問題の解決には、柔軟な視点で外の世界を見てきた若者の発想が大きな助けになるはずだ。例えば彼が、先祖代々の使っていない土地と家を改築して民宿とスケートパークの建設を進めているように。
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オーストラリアではファームの仕事を手伝えばビザが1年伸びるってシステムで農業を推進してるんですよ。それに倣って自分が愛媛で民宿をした時に泊まるお金は、農業を手伝ったらタダ、スケートパーク滑り放題、みたいな制度を取り入れたくて。スケーターって面白い場所で滑りたいっていうピュアな理由だけでどこでも行っちゃうから。“みかん収穫したらタダで泊まれるらしいよ”って来てくれたら僕も助かる。跡継ぎがいなくて困ってる畑もたくさんあるので、そこを手伝いながら、住み着いてくれたら嬉しいですね。家族を作れば人口も増えるし」
大自然に囲まれ作物を育て、終わったら伸び伸びとスケートをする。彼と話をしていると、都会の喧騒から離れた、そんな暮らしも悪くないように思えてくる。その経験を提供する場が増えれば、若者離れも少しは緩和されるのかもしれない。さらに、彼は都会から人を呼び込むだけでなく、地元の若者が誇りを持って農業に従事する為の見本にもなろうとしている
「みんな東京に憧れはあるけど、実は東京の人は田舎への憧れもあったりするし。なんでもかんでも“東京は違うな~”みたいにネガティブに自分たちを見てる地元の人が、自信を持って楽しめる環境を作りたいんです。だから民宿・スケートパークで東京の人も遊びに来てローカルと話せる場が作れたらいいなって。東京の人の生の声で“農業かっけぇよ”なんて褒められたら上がるじゃないですか。その為にも自分が一番、“農業を楽しくやってるあのスケーター”として、出会った人たちに新しい選択や可能性を提示できる人間になりたいですね
こういった考え方を持つ人物が、今の日本の地域産業には必要なのだろう。彼がスケートコミニュティを通して広げようとしている輪に、入ろうと続く仲間が少しでも増えていけば、未来はきっと明るいはずだ。
◆Information
【Red Bull Skateboard連載企画】スケーターならではの面白いクリエイティビティに注目した連載企画を不定期で配信中。最新記事を含めた全内容はこちら>>
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