Honda RC213Vを駆るマルク・マルケスが我々に提供するスペクタクルは、現代のモータースポーツ界において唯一無二のものだ。このスペイン人ライダーのコーナーリングスタイルは、マシンを約70°まで傾けて膝と肘を路面のターマックに擦り付けるという過激なもので、その間、マシンのタイヤは最適なトラクションを捉えようと不安定に細動する。自身が編み出したこのスタイルによって、マルケスはターマックに触れつつも落車はしないというトリッキーなカオス状態を制しながらレースで勝利を重ねており、ワールドチャンピオンという結果も導き出している。
だが、現代のMotoGPライダーたちはいかにしてこのような想像を超えた過激なスタイルまで行き着いたのだろうか? その進化は決してわかりやすい一本道だったわけではない。あるライダーは他よりも少しだけ低くマシンを傾け、別のライダーはマシンから更に深くハングオフするなど、あらゆるライダーが様々な試行や研鑽を積み重ねてきた結果として今日のマルケスのスタイルがあるのだ。そして、マルケスのスタイルを最終進化形とするのは必ずしも正解ではない。MotoGPの歴史とはライディングスタイルにおける革新の歴史でもある。マルケスはあくまでも現時点での最新形を提示しているにすぎないのだ。
進化のプロセス
あらゆる革新は、圧倒的な力の到来によって促進されるものだ。その「ゲームチェンジャー(形勢を一変させる者)」がもたらす変化はそれまで固定化されていた集団序列を一斉に陳腐化し、あらゆる可能性を再定義する。
だが、F1やスーパークロスといった他のモータースポーツカテゴリーとは違い、MotoGPでは突如として生まれた独走状態が半永久的に続くことは稀だ。MotoGPでゲームチェンジャーとなったライダーは、基準を更に押し上げる後続ライダーから早晩追いかけられることになる。革新的な新技術をすぐに取り入れ、それらを更に上のレベルへと引き上げるライダーたちがすぐに生まれるのだ。
更に言えば、このスポーツでは独走状態を防ぐため、メカニカルおよび電子制御面での戦力平均化が不可避的に導入されている。あるゲームチェンジャーが革新的なテクニックを編み出して一時的に周囲を圧倒できたとしても、すぐにライバルのマニュファクチャラーたちが並の実力のライダーでもそのスタイルを模倣できるように追撃を開始し、少なくともゲームチェンジャーのペースに追いつけるようにしてしまう。
実際のところ、テクニックとテクノロジーは互いに追いつき追い越されを延々と繰り返す、終わりのないゲームを続けているのだ。
ケニー・ロバーツがもたらした変化
現代のMotoGPライダーたちのライディングスタイルに繋がる起源を辿っていくと、1970年代後半に登場したケニー・ロバーツが最初のゲームチェンジャーのひとりとして浮かび上がってくる。当時のWGP最高峰だった500ccクラスのマシンの性能限界はまだまだ低く、マシンに負担をかけない直線的なライディングスタイルが一般的だった。これは排気量500ccの2ストロークエンジンから繰り出される強大なパワーが、当時の車体やタイヤの性能を遥かに上回っていたからだ。
そんな状況の中で、ダートトラック出身の米国人ライダー、ケニー・ロバーツはこの限界を超越してみせた。彼は車体とタイヤが持つ弱点に突破口を見つけ、優れたスロットルコントロールで理論的なグリップ限界の更に上までプッシュすることを可能にしたのだ。またロバーツは、コーナー内側に大きくハングオフすることで、膝を路面に擦り付けながらどこまでコーナーリングの限界に近づくことができるかを探り続けていた。
こうしてロバーツは、恐竜たちを絶滅させた小惑星のように1970年代以降におけるGPの歴史を一気に塗り替えてしまった。
ポスト・ロバーツ時代
1980年代初頭のGP界には、ロバーツの背中を追うようにして米国やオーストラリアのダートおよびスーパーバイク出身のライダーたちが次々と現れ、ロバーツのスタイルを模倣するだけではなく、そこに更に磨きをかけてパーフェクトを目指した。
その一方で、ヨーロッパの伝統的なステップアップカテゴリー出身のライダーたちはこの時代に大きく進化した技術革新の力を借りて対抗した。1980年代~1990年代中盤のWGP最高峰500ccクラスでは、Hondaが導入したビッグバンエンジンなどの技術革新によりメカニカル面で目覚ましい進歩を遂げる一方、旧来型のクラシックなライディングスタイルとダートトラック由来の革新的なライディングスタイルがしのぎを削り合った。
ヴァレンティーノ・ロッシの登場
2000シーズンを前にミック・ドゥーハン(オーストラリア出身、1994~1998シーズンGP500ccクラス5連覇)が引退し、GP界は再びヨーロッパ出身ライダーたちが主導権を握りはじめたが、その潮流を決定づけたのはヴァレンティーノ・ロッシという新たなゲームチェンジャーの登場だった。あらゆる面で驚くべき才能の高さを見せつけたロッシは、テクノロジーの進歩へ素早く適応しながら、限界を更にプッシュする能力を持ち合わせていた。その巧みなレース構成力と幅広い対応力はまさに群を抜いており、彼は125/250/500の各クラスを次々に制覇し、やがて新生MotoGP時代の盟主として君臨していく。
この頃、MotoGPレギュレーションの制定によって4ストロークエンジンが主流となり、急激にマシンの性能が上がった。しかし、「伝統的ライディングスタイル vs. スーパーバイク由来のライディングスタイル」という構図においてどちらがより効果的であるかについては当初まだ誰も結論を見出せていなかった。ロッシはそうした議論を尻目に、グリップ重視のコーナーリングとタイヤをスライドさせるコーナーリングの両方を自在に使い分けてみせた。過去のあらゆるスタイルを統合し、その上に新たなスターが現れるというこのスポーツの循環構造は、ロッシの登場によって再び印象づけられることになった。
ロッシがもたらした影響
ロッシはMotoGPのライディングスタイルにおける基準を引き上げてみせたが、やがてそのスタイルを引き継ぎながら、その上を狙うライダーたちが後に続くことになった。ロッシ以後、最初に頭角を現したライダーの代表格がホルヘ・ロレンソだ。ロレンソは技術革新の恩恵を最大限に活かしてロッシに対抗し、ビッグパワーを持つMotoGPバイクをまるで250ccマシンを操るかのような軽やかさで乗りこなしてみせた。マシンが持つ性能限界の範囲内で巧みに乗りこなすロレンソのライディングスタイルは、彼に数多の優勝と複数回のワールドチャンピオンをもたらした。
マルク・マルケスの登場
そして、現代における最大のゲームチェンジャー、マルク・マルケスが登場する。彼は現代の驚異的なタイヤグリップを最大限活用するだけではなく、その無限と思われるグリップ限界の超越を試み続けている。旧来型のライディングスタイルを持つライダーたちにとって、フロントエンドのスライドは即ちクラッシュを意味するが、マルケスのスタイルにおいてはその限りではない。マルケスが持ち合わせる類稀なバランス感覚と勇気、そして強烈な自信は、GP最高峰クラス参戦1年目でチャンピオン獲得という結果を導き出した。これはあのケニー・ロバーツ以来となる偉業だった。
しかしながら、現在もライディングスタイルとテクノロジー双方の革新による循環構造は終わりを見ていない。マルケス登場後、Hondaのライバル勢は究極のバランスを追求したバイクを開発して対抗しており、ロッシやロレンソなどの古豪たちもマルケスのスタイルを参考にライディングスタイルを見直しながら、自らが旧時代のスタイルへと追いやられることに抵抗している。
そして未来へ
マルケス的能力を持ち合わせ、これからのMotoGPにおいてマルケス以降のライディングスタイルの基準を更に引き上げる可能性を持ったライダーを挙げるとしたら、まずはマーベリック・ビニャーレスやアレックス・リンスといったここ数年のMoto2クラスを戦ってきた若手たちの名が思い浮かぶ。ビニャーレスやリンスに続く逸材も、ここ数年のうちに続々と登場する見込みが高く、MotoGPのライディングスタイルにおける更なる革新は目前まで来ているのかもしれない。新たなゲームチェンジャーの登場はもはや時間の問題だろう。
自分の地元のサーキットをポケットバイクで日々走り回っている8歳の少年も、いつの日かMotoGPに新たなライディングスタイルをもたらす存在になるのかもしれない。