ひとつのスケートスポットをレジェンドにする理由はいくつもある。そのような評価をされているスポットは、構造の素晴らしさや、地面のスムーズさ、レッジの高さ、縁石の新しさ、歴史の長さなどそれぞれが異なる特徴を備えている。しかし、これらにはひとつの共通点がある。どのスポットにも、そのスポットと深い繋がりを持つスケーターがいるのだ。
アンドリュー・レイノルズとベルシー(Bercy)、クリス・ミラーとコンビ・プール(Combi Pool)、トニー・ペニーとラッドランズ(Radlands)、フロレンティン・マルフェンとル・ドーム(Le Dôme)など、トップスケーターとフォトグラファー、フィルマーで構成される少数精鋭のチームが、僕たちのお気に入りのスケートスポットを雑誌やビデオに紹介することで、そのスポットは有名になっていく。
今回は、スケートボードの地理的・文化的広がりを体現しているそのようなスケートスポットの中からアイコニックなものを紹介しよう。英国とヨーロッパのシーンを体現していたり、米国のポップアートそのものなど、現地を訪れれば必ず記憶に残る印象的なスケートスポットをピックアップした。
元祖DIYスポット:バーンサイド(米国・ポートランド)
元祖DIYスポットとして知られるバーンサイド(Burnside)は、1990年にマーク・“レッド”・スコット、セージ・ボラード、ブレット・テイラーを中心としたクルーがオレゴン州ポートランドのバーンサイドブリッジの下にあるウォールを利用してバンクを建造した日に、その歴史が始まった。彼らは、美しいが降雨量の多さで知られるポートランドで雨天時にもスケートボードを楽しめるスポットを作りたいという気持ちからこのスポットの建造に乗り出したのだった。
それ以来、日々進化を続けてきたこのスポットは、今ではスケートボードシーンにおける「DIY精神」のシンボルとして機能しており、ビデオゲーム『Tony Hawk’s Pro Skater』に収録されたこともあり、レジェンドとして世界に広く知られている。オレゴン州で必ず訪れたいスケートスポットに数えられているバーンサイドを訪れて、ジャーム(Germ)のコフィン・ドロップインの恐怖を体感してみよう!
全てを見てきたスポット:サウスバンク(英国・ロンドン)
ロンドン・テムズ川の南側に位置するカルチャー&アートの発信地として知られるクイーン・エリザベス・ホールの地下に位置するこのスポット(Southbank)は、1960年代からスケートボードが楽しまれており、何世代にも渡ってスケーターたちがバンクと階段でライディングを披露してきた。
このアイコニックなスポットは、英国のスケートボードの進化に大きな影響を与えてきた存在として大切に扱われており、数年前に移設の噂が立った時も、ローカルスケーターのコミュニティがヨーロッパのスケートボードカルチャーのアイコンとして知られるこのスポットを移設から守るキャンペーンを展開した。
そして、ロンドン市長もキャンペーンの支持を表明したため、世界各地のスケーターが今後も引き続きこのスポットでライディングを楽しめることが決定した。
ルーツ&カルチャー:ビッグ・O(カナダ・モントリオール)
ビッグ・O(Big O)はサウスバンクよりもさらに魅力的なストーリーを持つスポットだ。
カナダ・モントリオールは1976年夏期オリンピック開催に際し、新しいスタジアムが必要になった。
そのスタジアムの一部として、トンネル状の入場ゲートが作られたのだが、その時に、ここがやがて世界中のスケーターに知られるアイコニックなスポットになることを予想している人はいなかった。
1980年代中頃から、スケーターたちがこの楕円状のトンネルの内部でライディングを楽しむようになった。バリー・ウォルシュやマーク・タイソンなどは今もここをホームとしており、2006年にはこのスポットについての書籍『Pipe Friends』を出版。この書籍は、カナダで最も有名なスケートスポットの魅力を余すところなく伝えている。
しかし、2011年にモントリオール市がスタジアムの改修を決定すると、改修計画に含まれていなかったこのトンネルは取り壊されることになった。
しかし、この話を知ったウォルシュとタイソンがモントリオールのベストスポットを守るために立ち上がり、『Pipe Friends』を市長に届けて、このありきたりのトンネルが世界中のスケーターにとって非常に重要な存在であることをアピール。この結果、トンネルは未来のスケーターたちのためにそのままの形で掘り起こされ、25m先に移設された。
ザ・レッジ:MACBA(スペイン・バルセロナ)
MACBA(バルセロナ現代美術館)をこのリストから外すことはできない。MACBAのレッジ、ブロック、フラットな地面(通常より高いオーリーがメイクできるという意見もある)は、ここを近年のスケートボードシーンを代表するスケートスポットのひとつに押し上げている。
ヨーロッパのスケートボードシーンのシンボルとして機能しているMACBAを最初に訪れて、現地のシーンの温度をチェックしようとするスケーターは今も多い。
ファミリーの絆:コナ・スケートパーク(米国・ジャクソンビル)
『Tony Hawk’s Pro Skater 4』経由でコナ・スケートパーク(Kona Skatepark)を知ったという2000年代スケーターは多いはずだ。
コナ・スケートパークはラモスファミリーのおかげで、世界最古の私有スケートパークとして現在も機能しており、2017年6月には40周年を迎えた。コナ・スケートパークは全てを備えており、バートランプやストリートコースはもちろん、バックヤードプールのレプリカまで揃っているが、このスポットをアイコニックにしているのは、ニーソックスとヘッドバンド、日焼けがシンボルだったスケートボード黄金時代が感じられる巨大でワイドなスネークランと “トゥームストーン(Tombstone)” だろう。
時間の流れが止まっているこのスケートパークには、親子など、世代を超えたスケーターたちが集まっている。「絶対に訪れるべきスケートスポット」のひとつに数えられるコナ・スケートパークで、“トゥームストーン” の世代を超える怖さを体験してみよう。
中国屈指のスケートスポット:レッドリボン(中国・広州市)
広州市は地球に残されたスケートヘヴンだ。大理石の広場、ハバ、レールが備わったブロックが延々と続き、宿泊費も安く、交通網も整備されている広州市は、スケートボードファンなら絶対に訪れておきたい都市のひとつだ。そして、その中心部から外に出ると、世界で最もユニークなスケートスポットのひとつ、レッドリボンが姿を現す。
多くの人が訪れる町外れの公園の中央に位置しているこの巨大な彫刻作品は、風に揺れる赤いリボンのような姿をしている。大きな穴がいくつか開いているため、スケートボードができないようになっているが、このデザインが逆にライディングを楽しくしている。レッドリボンは、大きな穴が開いていることでユニークなリップを備えたパーフェクトなハーフパイプとして機能しており、世界中からこのスポットを試すべくスケーターたちが集まっている。是非とも訪れて自分の実力を試してみよう。
ウエストコーストの愛の巣:ピンクモーテル(米国・ロサンゼルス)
ピンクモーテル(Pink Motel)のプールは、1987年のPowell-Peraltaのビデオ『The Search for Animal Chin』にフィーチャーされて、世界に知られるようになった。
魚の形をしたこのボウルは、最深部に高さ3mのトランジションを備えているため、長年に渡り多くのスケーターたちに愛されてきた。1946年に建造されたこのモーテルは、ロサンゼルスを舞台にしたビデオや撮影のロケ地として頻繁に使用されてきた。
モーテルとしての経営が終了してプールから水が抜かれ、スケーターのパーフェクトなプレイグラウンドとして新たに親しまれるようになったこのスポットは、近年人気を取り戻しており、Pink Motel Pool Partyが年1回開催されている。
次のスケートトリップでカリフォルニアを訪れる予定の人は、このボウルがレンタル可能だということを忘れないでおこう。仲間と一緒にパーティが楽しめる。
大理石の美しさ:ル・ドーム(フランス・パリ)
フランスの首都パリは、再建されたレピュブリック広場とThe Blobysの活躍によって、スケートボードシーンが再び勢いを取り戻している。
そのパリで必ず訪れたいスケートスポットの筆頭として挙がるのが、ル・ドーム(Le Dôme)ことパレ・ド・トーキョー(Le Palais de Tokyo)だろう。
フラットな大理石、そしてマーク・アジザが初めてライディングしたハバなどが、このスポットをユニークな存在にしている。
現地を訪れて、フロレンティン・マルフェンやエニズ・ファズリオフによって一気に名が知られることになったそのハバの高さや、広大なスペースのもたらす自由さもチェックしてみよう。もちろん、パレ・ド・トーキョーのアートも楽しもう!
パーフェクトミックス:ランドハウスプラッツ(オーストリア・インスブルック)
ランドハウスプラッツ(Landhausplatz)を訪れれば、「絶対にスケーターを意識してデザインしたはずだ」と思うだろう。
インスブリックの中心に位置するこの広場は、数年前に改修されると、古い建物とモダンなアプローチを組み合わせた景観と流れるような形状を持つユニークな広場に姿を変えた。
そのため、すぐにパーフェクトなトランジションを備えたプレイグラウンドとして、ローカルスケーターたちが集まるようになった。
しかし、当然ながら彼らの存在に不満を持った人たちもいたため、すぐにスケートボードが問題視され、スケーターは出入り禁止となった。
しかし、余りにもスケートボードに適しているため、スケーターたちはすぐに立ち上がり、マニュエル・マルグライターが率いるスケーター側が行政側と数回の話し合いを持ち、最終的に両サイドが納得できる契約が交わされた。
現在は広場の一部がスケーターに開放されている一方で、歴史ある階段などはスケートボード禁止となっている。また、広場のルールとレギュレーションが説明されている全体マップも用意された。スケートボードカルチャーのあるべき姿だ!