Gaming
ゲームの進化のスピードは、エンターテインメント系アートフォーム最速の部類に入る。ビデオゲームは20世紀後半まで存在しなかったにもかかわらず、テクノロジーが急速に進化したおかげで、今や人類のクリエイティビティの最先端を担っている。
たとえば、『フォートナイト』で採用されているような魅力的な世界を描き出せるテクノロジーはハリウッド映画やテレビ番組でも採用されており、科学系シミュレーションはビデオゲームのグラフィックスを向上させるために開発されたGPUがなければ成立しない。
とはいえ、ゲームのこれまでの道は長く、起伏や窪みも多かった。そこで今回はその道のりを簡単に振り返っていくことにする。
1950年代のコンピューターにもゲーム的プログラムが数多く存在していたが、それらの大半はテーブルトップゲームの再現に過ぎなかった。
1951年、第二次世界大戦のドイツ軍の暗号を解読したことで知られる英国人数学者アラン・チューリングが、マンチェスターに置かれていたコンピューター “Ferranti Mark 1” に人間と対戦できるチェスゲーム『Turochamp』をプログラムしようとしたが、残念ながら、このプログラムが実現する前にチューリングはこの世を去ってしまった。
1950年代のゲームの大半は三目並べ(Tic-Tac-Toe)かトレーニングプログラムだった。ウィリアム・ヒギンボーサムが生み出した『Tennis For Two』はのちに『Pong』が開発されるきっかけとなったが、コンピュータープログラムがビデオゲームらしさを帯びていくのは1960年代に入ってからだった。
複数のコンピューターで広く楽しまれるようになった初めてのオリジナルコンピューターゲームは、1962年にマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者たちが暇つぶしに考案した『Spacewar! / スペースウォー!』と考えられている。スティーブ・ラッセルを中心としたMITの研究者たちによって開発されたこのゲームは、慣性の影響を受ける宇宙船2隻を人間2人で操作するシンプルなシューティングゲームだった。
このゲームデザインはミニコンピューターPDP-1の円形オシロスコープディスプレイにパーフェクトで、また、当時の米国内の大学ではこのようなコンピューターが広く普及していたため、すぐにプログラマーたちの間で共有されてランチタイムなどで楽しまれるようになった。
『Spacewar!』は非常にベーシックなゲームだったが、今のビデオゲームに繋がるいくつもの重要な “世界初” を記録した。まず、『Spacewar!』は世界初のマルチプレイヤーゲームで、プレイヤー同士の対戦を楽しめた。ただし、これは当時のAIが敵をコントロールするためには別のコーディングが必要で、また、当時のコンピューターにはそれを実現できるだけの性能が備わっていなかったことが主な理由だった。
いずれにせよ、マルチプレイヤー対応で、当時の米国大学研究施設に広く普及したことが、“世界初のeスポーツトーナメント” という次の “世界初” に繋がった。1972年、10年間このゲームをプレイしてきた米国内のプログラマーたちがスタンフォード大学に集まり、『ローリングストーン』誌が主催した【Intergalactic Spacewar! Olympics】が開催された。
そしてもちろん、このようなトップレベルのプレイにはトップレベルの入力デバイスが必要だった。
当時のコンピューターの大半は大量のスイッチを切り替えて操作しなければならなかったため、ラッセルの同僚ボブ・サンダースは、PDP-1のメインフレームのスイッチボードを操作する際に生じる痛み(プレイヤーたちの間では “Space War Elbow / 宇宙戦争ひじ” と呼ばれていた)を回避するために "世界初" のゲームパッドを開発した。
つまり、米国全土のピンボールフロアに『Ping』の業務用筐体が配置される前から、近代ゲーミングの特徴の多くが誕生していたのだ。そして、コンピューターが高さ6フィート(182.9cm)の業務用筐体に収まるようになると、アーケードの黄金時代が始まった。
1970年代後半から1980年代前半にかけて、アタリ、ナムコ(現バンダイナムコ)、ミッドウェイ、タイトーなどの企業が、世界中の商店街やショッピングモールで確認できるようになっていたアーケードのために非常に魅力的で興味をそそる専用筐体を開発するようになった。
そのようなアーケード黎明期の筐体の中で最もアイコニックだったのが、タイトーが開発した『スペースインベーダー』(1978年)で、ハイスコア機能や世界初のBGM(インベーダーの接近に合わせて4音の再生スピードが高くなるだけのシンプルなものだったが)を備えていた。そして1979年にはアタリが『Asteroids / アステロイド』をリリースし、アーケードのキング&クイーンを決められるランキング表示機能を盛り込んだハイスコア機能を追加した。
しかし、1980年にリリースされた『パックマン』によって、ゲーミングは一気にネクストレベルへ進むことになる。
女性やカップルを含むより幅広い層へのアピールするために岩谷徹が開発した『パックマン』は、キュートなマスコットが迷路を動き回りながら食事をするというコンセプトだった。この斬新なアイディアは『Qバート / Q*bert』や『ドンキーコング』へ繋がり、後者は “マリオ” の登場と任天堂の1980年代ゲーミングシーン完全掌握に繋がった。
しかし、1983年にファミリーコンピュータ(英名:Nintendo Entertainment System / NES)がリリースされるまで、家庭用ゲーム機は「アーケードのゲーミングエクスペリエンスの再現」を目指して開発されていた。そして、その再現度は決して高くなかった。
結果、1983年までには、アーケードタイトルの低質な移植版やニューメキシコ州の砂漠に大量に破棄されたことで知られる『E.T.』をはじめとする悪質なAtari 2600用タイトルばかりが流通したことで北米の家庭用ゲーム機業界は失墜していた。しかし、任天堂やセガをはじめとする日本企業の進出によって、米国だけではなく世界は救われることになる。
日本企業がリードした当時の家庭用ゲーム機群は、騒々しいアーケードの中で行われていたハイスコア競争とは無縁のゲームにフォーカスしており、この方向性は非常に新鮮だった。たとえば、『ゼルダの伝説』、『ドラゴンクエスト』、『ファイナルファンタジー』をはじめとするストーリー重視のRPGは、このジャンルの先駆けとなり、長寿シリーズとして今も愛されている。
また、1980年代を通じて、テクノロジーの進歩がゲーミングに必要なコンポーネントの小型化をプッシュし、任天堂のゲーム&ウォッチシリーズから派生する形で世界初の携帯ビデオゲーム機ゲームボーイが誕生した。
1990年代を迎える頃には、ゲーミングの進化はトップスピードに到達していた。セガ、任天堂、アタリ、さらにはソニーまでもが家庭用ゲーム機に注力するようになり、カートリッジにプロセッサを内蔵して本体のパワーを加速させるなど様々な実験が繰り返され、2Dスプライトの代わりに3Dポリゴンを採用した『スターフォックス』や『バーチャレーシング』のようなゲームが生み出されていった。
3Dの実現がゲームジャンルの増加を促すと、家庭用ゲーム機よりも強力な家庭用コンピューターを使って3Dを限界までプッシュしようとするプログラマーたちが登場するようになった。
そして、そのようなプログラマーだったジョン・カーマックとジョン・ロメロが、トップダウン(見下ろし型)のステルスゲーム『Castle Wolfenstein』にインスパイアされたあと、3Dダンジョンを進むゲームプレイをアップデートした元祖FPSタイトル『Wolfenstein 3D』を開発した。また、彼らはこの作品で得た学びを活かし、暴力的な演出が物議を醸し出すことになる『DOOM』を1993年にリリースした。
『DOOM』や『モータルコンバット』のような暴力的なビデオゲームが子供たちの “オモチャのひとつ” になったことで世界中の保護者たちがパニックに陥っていったこの時代は、今のビデオゲームに直結する非常に重要な時代の始まりでもあった。
オリジナルがPC-DOSのシェアウェアとしてリリースされてから2年後、『DOOM』に当時のダイヤルアップ式インターネットを使用するオンライン対戦機能が実装されたのだ。
こうして、1990年代中頃までに、ジョイスティック / 十字キーを備えたゲームパッド、家庭用ゲーム機、家庭用PC、そしてオンライン対戦という近代ゲーミングのほぼすべてが誕生した。しかし、言うまでもなく、ここで進化が止まることはなかった。グラフィックカードの性能はさらに向上し、プロセッサは64ビットから128ビットへジャンプアップし、マルチコアCPUがゲームの世界を深化させた。
また、グラフィックスのテクノロジーの進化によって、ゲーミングは3Dからバーチャルリアリティへステップアップし、インターネット普及率の上昇と相まってMMO(マッシブ・マルチプレイヤー・オンライン)のような新しいジャンルが次々と生まれるようになった。世界的ヒットとなった『PlayerUnknown’s Battlegrounds / PUBG』をはじめとする “バトルロイヤル” もそのひとつだ。
さて、ここまで駆け足で振り返ってきたが、ゲーミングの進化を簡単にまとめるなら、「黎明期からすでに現代に近い状態だったが、小さな革新の積み重ねが大きな変化を生み出してきた」になるだろう。
最近はXboxのクラウドサービスを利用してスマートフォンでMMOタイトルをプレイできるようになっている。しかし、ランチタイムを使って学内のコンピューターに『Spacewar!』をインストールしようとしていたパイオニアたちとの距離はそこまで離れていないのだ。
Twitterアカウント@RedBullGamingJPとFacebookページをフォローして、ビデオゲームやeスポーツの最新情報をゲットしよう!