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ロケーション
チョープーはフランス領ポリネシア・タヒチ島の静かな小村で、タヒチの小さい方の休火山タヒチ・イティの南西側に位置する。川を越えてチョープーへ入ると土の歩道しかなくなるため、この村は “エンド・オブ・ザ・ロード” としても知られている。村民たちは太平洋から恩恵を受けながら、太平洋のために生活を営んでいる。
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アクセス
タヒチの首都パペーテは東京・成田空港から直行便で約11時間だが、ヨーロッパから向かおうとすれば飛行機で約1日かかる。そして、パペーテから約5kmの距離にあるファアア国際空港からチョープーまでは車で90分だ。尚、タヒチの物価は東京よりも高いと言われている。
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チョープーの波が作られるプロセス
チョープーの背中側に並ぶ山々の川から何千年にも渡り海へ水が流れ込んできた結果、河口付近の珊瑚礁が浸食されて天然のリーフパスが誕生した。このリーフパス(パッサ・ハアヴェ / Passa Hava’eと呼ばれる)で誰もが恐れるあの波が作り出されるのだ。
南半球が冬を迎えるとスウェルが南極海から北へ連続的に向かうようになる。水蒸気を上げ、強風に煽られたこれらのスウェルは陸にぶつかるまで止まることはないため、チョープーでは海底から急角度で隆起する浅い岩礁棚が世界最恐の波のひとつを作り出す。
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チョープーのベストシーズン
チョープーでは秋(4月・5月)から春(9月・10月)頃まで安定してサーフィンを楽しめる。南極海で生まれる強力な嵐を楽しめるこのシーズンが、チョープーがサーファーたちの憧れのポイントに含まれている理由だ。
小心者には向いていないチョープーでビッグウェーブサーフィンに挑むためには正しい準備が必要で、かなりの胆力も求められる。チョープーの波が特大サイズになるときは、ジェットスキーでトーイングしてもらう必要がある。
ヴァアストが説明する。
「ビッグウェーブになるときはトーイングで自分の波が来るのを待ちます。トーイングは特別ですね。なぜなら、かなり大きな波に挑むことが分かっているからです」
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チョープーが特別な理由
「チョープーが特別な理由は3つあります」とヴァアストが説明する。「ひとつは波の完成度の高さです。大小問わず文句を付けようがありません。パーフェクトなバレルですね」
「次に景色です。ここで見られる景色を他で見ることはできません。観客は至近距離でアクションを楽しめますし、サーファーはバレルの中からボートに乗って応援してくれている全員の顔が認識できます。海は透明度が非常に高く、村の後ろに並ぶ山々も美しいです。日の出ではすべてが輝いて見えます」
「そして最後が “マナ” です。リーフパスを抜けると素晴らしいマナ、つまり素晴らしいエナジーを感じることができます。そのためにはチョープーのクレイジーな波をリスペクトし、理解する必要がありますね」
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チョープーのサーフ史
チョープーの村民たちは100年以上前からパッサ・ハヴァエの強烈な波を知っているが、1985年にその波で最初にサーフィンをしたのはチョープーに住む男性、ティエリ・ヴェルナドンと言われている。
その1年後、トップボディボーダーのマイク・スチュワートとベン・セバーソンがここのパーフェクトなチューブに挑み、その写真が世界中で公開されると、訪問者が年々増えるようになった。
しかし、チョープーをサーフシーンで有名にしたのは1998年に開催されたGotcha Tahiti Pro(タヒチプロ)で、この大会ではそれまでのプロレベルでは見たこともないような強烈な波が確認された。最終的にはオーストラリア人のコビー・アバートンがトロフィーを獲得したが、真の勝者はチョープーのポテンシャルを知ったサーフシーン全体だった。
そしてそれから2年後、レアード・ハミルトンがあの有名なミレニアム・ウェーブをライディングしたことでチョープーは世界で最もクレイジーなリーフブレイクというステータスを確実にしたのだった。
しかし、チョープーのオールタイムベストサーファーの称号を手にしたのは、このポイントで2勝を挙げ、いくつものアイコニックなリーフセッションを記録した故アンディ・アイアンズだ。2011年以降、チョープーの大会ではハードチャージをしたサーファーに “Andy Irons Most Committed Performance Award” が授与されている。
尚、2011年はチョープーに “コードレッド” が発令される中、サーファーたちが史上最恐の波に挑む様子を世界中のファンが恐怖におののきながら見守った年としても有名だ。
現地の水上警察がボートか船を出すくらいしかできない中、ネイサン・フレッチャーやブルース・アイアンズをはじめとする多くのハードコアサーファーたちがサーフ史に名を刻んだ。この日のセッションはサーフ史上最も強烈なセッションと言われている。
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チョープーで開催されている大会
1999年からASP/WSLツアーとしてTahiti Pro(タヒチプロ)が開催されており、シーズンハイライトとして扱われている。アンディ・アイアンズ、ケリー・スレーター、ジョン・ジョン・フローレンス、ガブリエウ・メジーナ、ジェレミー・フローレスなどがこのポイントでチャンピオンに輝いてきた。
そして2024年、チョープーはパリ五輪のサーフィン競技の会場になる。なぜなら、フランス領ポリネシアの一部であるタヒチはフランスの半自治区に相当するからだ。しかし、誰よりも得をするのは世界のサーフファンだろう。
ヴァアストをはじめ、ジャック・ロビンソン、ジョアン・チアンカ、グリフィン・コラピント、キャロライン・マークス、モリー・ピクラムなどチョープーで結果を出してきた次世代サーファーたちがこの最高のポイントに用意される世界最大の舞台で才能を競い合う。
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チョープーのハイライト
2016年、オーストラリアのティーンエイジャーだったリロイ・ベレットがカメラを片手にチョープーをライディングして、それまでにない形で世界有数のワイルドウェーブを世界に紹介した。
その美しくて革新的な映像はドキュメンタリー『Chasing The Shot』としてまとめられ、ベレットがカメラで捉えたミシェル・ボウレズの姿は世界中のサーフマガジンのカバーを飾り、世界中から称賛された。
また、それから2年後の2018年にはフィルマーのライアン・モスがチョープーで冬の大半を過ごし、このポイントのスウェルをひとつずつ丁寧に記録。その記録はエディット『Sessions』として公開された。
そして2021年、モスが再びチョープーを訪れ、ルーカス・チャンボ、ジャスティン・デュポン、ヴァアストが近年最高のスウェルのひとつに挑む姿を記録した。ヴァアストのキャッチした波は特別大きく、本人は「本格的なカメラでは撮影できませんでした。なぜなら、カメラマンたちが乗っていたボートは全速で沖へ逃げたからです」と説明している。
そしてヴァアスト本人はカメラマンたちよりも強烈な体験をした。「波がチャンネルの方へクローズアウトしました。あのような波は体験したことがありませんでした。僕はフォールしたのですが、ボトムに当たったら命を落としてしまうだろうと思っていました。波のパワーがネクストレベルだったからです」
結局、ヴァアストはボトムに当たらずに済み、「キャリアで一番クレイジーな波とワイプアウト」(本人談)を生き抜いた。
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波がないときの過ごし方
タヒチにはパプノ、パパラ、タープナなどチョープー以外にもサーフポイントがいくつもある。タヒチは温かくて透明度の高い海と美しい砂浜で世界的に有名なため、サーフィン以外にも楽しめることは多い。
ヴァアストは「タヒチで生まれ育つことができて最高です。ここではすべてが海かビーチです。私たちはサーフィン、サッカー、釣り、ダイビングなどを楽しんでいます。アイランドスタイルですね」と説明している。
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