一見、『Life Is Strange』と『Remember Me』で知られるデベロッパー、Dontnodが人の生き血を吸う吸血鬼をテーマにしたRPGの開発に乗り出しているのは、どうも自然な流れには思えない。これまで、このフランスのデベロッパーは、未来を作ったり、過去を振り返ったりしながら自分の居場所を探していく女性を主人公に据えたゲームの開発に注力してきた。
一方、彼らの最新作『Vampyr』は、20世紀初頭のロンドン市内を暗躍する男性の吸血鬼が、誰をどのように殺してその生き血を手に入れるのかを思考するゲームになっている。
しかし、じっくりと考察してみると、『Vampyr』と過去作には明確な繋がりがあることが理解できる。『Vampyr』には、RPGお決まりの戦闘とレベルアップシステムが新たに組み込まれているが、これまで公開されてきたこのゲームの情報やトレーラーからは、人間だった頃の記憶が残っている吸血鬼が悩みながら決断を下していくことがメインテーマに据えられていることが理解できる。
『Vampyr』のナラティブディレクターを担当するStephane Beauvergerは次のように説明している。「『Life Is Strange』は、犠牲を払ったり、自分の行動が生み出した結果を受け入れたりしながら大人へと成長していくストーリーでした。『Vampyr』は人を殺めなければいけませんが、このゲームでも、自分の行動が正しいのかどうかが問われますし、自分の行動の結果を受け入れながら生きていく必要があります。ビデオゲームの多くは、プレイヤーに強大なパワーを付与しますが、その力が生み出す結果については無視しています。単純に自分の前に立ちはだかる問題をクリアし、勝利を収めれば良いのです」
『Life Is Strange』では、時間を巻き戻して、自分の行動が生み出す “直後の” 結果を確認できるというパワーが主人公に与えられているが、その行動が “最終的に” どんな結果を生み出すのかは分からない。そして『Vampyr』でも、主人公には人を殺せるパワーが与えられているが、自分の行動がどのような結果を生み出すのか、そして自分の行動が倫理的に正しいのかどうかについては分からない。
どちらのゲームも「勝利」が目的ではない。自分の行動が生み出す結果に直面し、その結果が自分の望んでいたものだったのかどうかを判断することが目的に設定されているのだ。
Beauvergerが続ける。「『Vampyr』では、善悪の概念がこれまで以上に曖昧になっているので、プレイヤーは自分の行動が倫理的・ゲーム的に正しいのかどうかについて悩むことなく、自分だけの判断に基づいてプレイを進めることができます」
よって、『Vampyr』には自分が選択した行動によって変化する複数の結末が用意されている。しかし、Beauvergerはそのどれもが「グッドエンディング」や「バッドエンディング」で括れるものではないとしている。どの結末も倫理観が意図的に “曖昧” になっているので、プレイヤーはゲーム内の各イベントの結果を気にせず、自分なりに判断して進めることになる。
『Vampyr』では、プレイヤーの判断によるナラティブの変化は、メインストーリーに直接影響を与えるのではなく、主人公と他のキャラクターとの人間関係や、彼らの生活に影響を与える。よって、今作の舞台になっているロンドンも、プレイヤーの判断とは関係なく、時代の流れに沿って独自に姿を変えていく部分もあるが、自分の判断によって周囲の生活や人間関係は変わるため、この都市に対する自分の印象が、他のプレイヤーのそれとは大きく異なっていく可能性がある。
Baeuvergerが例を出して説明する。「たとえば、バーを経営するTomとSabrinaを殺すかどうかを判断するシーンがありますが、そこで2人共殺すのか、それともひとりだけを殺すか − その人数の違いだけでも自分のストーリーが大きく変わってきます」
「また、どちらを先に殺すかでも変わってきます。ちなみに、2人共殺すとバーは閉店となり、その結果として、そのバーに通っていた人たちの生活も変わっていきます。このシーンは、自分の判断がメインストーリーに影響を与えることなく、自分の周囲に大きなインパクトを与えるというこのゲームの特徴が確認できる好例と言えますね」
あくまでも予想だが、『Vampyr』では誰も殺さずにゲームをクリアすることも可能なのだろう。しかし、主人公は吸血鬼であり、生き血を飲まなければ死んでしまうので、「誰も殺さない」は最高難度のルートになるはずだ。Beauvergerは、ゲーム内のほぼ全ての “犠牲者” には、殺す・殺さないの他に第3の選択肢が用意されていると説明している。
要するに、どの市民を “ターゲット” にするかが、『Vampyr』のナラティブの支柱というわけだ。結局のところ、このゲームの主人公は吸血鬼であり、ヒーローでも善人でもない。主人公は、プレイヤーが好む好まないに関わらず、人殺しのモンスターであり、しかも「殺人」は生きるために必要な行動だ。
よって、生きるために反社会的行動を取らなければならないキャラクターとしてプレイする『Vampyr』は、まっすぐな1本道を進む典型的なヒーローを主人公に据えたゲームよりも、プレイヤーの倫理観や道徳観を問う作品になる可能性を秘めている。
自分の命を守るために他人の命を奪うのは罪なのか? 特定の命を他の命より優先するのは許されるのか? どのタイミングで自分の性に屈し、吸血鬼として生きていくのか? 吸血鬼の体を借りた人間なら、果たしてその行動は人間として取っているのだろうか? それとも吸血鬼として取っているのだろうか?
「人を殺す」ことは不可避なのか? © Dontnod
Beauvergerとの会話、そしてこれまでに公開されているトレーラーやテストプレイからは、このような疑問が次々と生まれてくる。『Vampyr』にとっては、このような疑問に明確な答えを提示せず、プレイヤーに自分なりの答えを導き出すことを促し、哲学的・感情的にゲームとプレイヤーを結びつけることができるかどうかが、この先のチャレンジになる。
そして、このような疑問をできる限り力強く前面に押し出すために、『Vampyr』のロンドンは、吸血鬼という自分を映すように表現されている。プレイヤーは今や自分の生活を大きく左右する「吸血鬼」の自分を受け入れることに苦しみつつ、人を殺しながら人間性を失わずにいられる方法を探そうとする。
Beauvefgerは、そのような主人公とロンドンという都市の間に意図的に共通点が用意されているのかどうかについて、次のように説明している。「この時代のロンドンは疫病の恐怖に晒されて崩壊しており、市民はその困難な状況を生き抜こうとしています。そのような状況に置かれている一方、顕微鏡やバッテリーなど、革新的な科学発明も生まれていきます」
「突如として科学が全ての問題の解決策のように思えてくるのです。そして、新たなパワーと生活をどう扱うのかというテーマに取り組まなければならない主人公と同じで、ロンドンもそのような新発見をどう扱っていくのかというテーマに取り組んでいくことになります」
Beauvergerが『Vampyr』のゲームデザインの背景に存在する自分たちの意図を明かすにつれ、このゲームのナラティブには数多くのレイヤーが重ねられていることが分かってくる。そして、この数々のレイヤーこそが、このゲームの最もエキサイティングな部分であり、彼らの様々な意図をプレイヤーが複数の視点から探り、理解するきっかけとなる存在なのだ。
『Vampyr』が前述したような疑問をそのまま提示することができれば、このゲームは、『Life Is Strange』の後継作のような作品になるだろう。我々はそれを望んでいる。
『Vampyr』は2017年末にPS4・Xbox One・PCでリリース予定。