MxR Labを訪れたGZA
© Kevin Slack / Red Bull Content Pool
ゲーム

ビデオゲーム&デザイン概史:『ポン』からVRまで

ゲーミングの起源と巨大産業になるまでの道のりを簡単に振り返っていく。
Written by Michael Burgess II
読み終わるまで:10分公開日:
世界最大のゲーミングブランドのひとつに数えられるCloud9の共同設立者ジャック・エチエンは、父親がホーム・ポンを持ち帰ってきた日からビデオゲームに親しんできた。「小さなパドルコントローラーを持って画面上のボールを打ち合っていたのを覚えています。大好きでしたね」と語っている。
【Red Bull Home Ground 2022】に出場したCloud9

【Red Bull Home Ground 2022】に出場したCloud9

© Mark Roe / Red Bull Content Pool

エチエンは数十年に渡りビデオゲームをエンターテインメントに活用し、退屈な現実世界からの逃避手段として扱ってきた。その彼がずっと好きなゲームのひとつが、1996年にリリースされたMUDタイトル『DragonsRealms』だ。エチエンが続ける。
「正直に言いますと、1996年のインターネット環境はグラフィカルなビデオゲームには不十分でしたが、テキストベースのタイトルはプレイできましたし、想像力でグラフィックの穴を埋めることができました」
「他のプレイヤーよりも上手くなろうとしたり、グループで何かに取り組んだりする要素は当時からすでに存在していて、このような要素が私には面白く思えました。この作品は自分の過去を受け入れるきっかけになりました。今はこの頃の自分を誇りに思えています」
世界で初めてグローバルヒットとなったビデオゲームシステムを送り出したアタリから、複雑なストーリーが魅力の『The Elder Scrolls V: Skyrim』、美しくて自由度が高い『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド / ティアーズ・オブ・ザ・キングダム』、そしてオープンワールドサンドボックスの新定番『マインクラフト』まで、ビデオゲームは長い道のりを歩んできた。
そこで今回は、ビデオゲームの黎明期まで遡り、私たちが知っている巨大産業になるまでのその歩みを振り返っていくことにする。
01

ビデオゲームの誕生

世界初のビデオゲームは1940年代後半から1950年代前半にかけて開発された。いずれもシステム固有のタイトル、つまりは開発されたコンピューターでのみプレイすることが可能で、内容もマルバツゲームやニムのようなシンプルなものだった(ビデオゲームが開発されたコンピューターとは違うコンピューターでプレイできるようになるのは約10年後)。
この頃に開発されたビデオゲームのひとつが『スペースウォー!/ Spacewar!』だ。これはMIT(マサチューセッツ工科大学)のコンピューターPDP-1で開発された宇宙戦争をモチーフにしたシューティングゲームで、プレイヤー2人が操作する宇宙船2隻でドッグファイトを繰り広げることができた。
最終的に『スペースウォー!』のプログラムはパブリックドメインとなったため全米各地へ持ち込まれることになり、世界初の「様々な地域でプレイされたビデオゲーム」となった。
そして1970年代までにビデオゲームの開発者たちはビデオゲームの真のポテンシャルに気付き、コイン投入式の小型筐体でも動かせることを理解するようになると、いわゆるアーケード筐体が開発されるようになった。
02

ポン

世界で初めて成功を収めたアーケードタイトルが『ポン / Pong 』だった。この筐体が世に出たのは1972年11月だ。
  • 開発はアタリ
  • 他の筐体を大きく上回る収益力を誇り、ピーク時には筐体1台で最高40ドルを稼いだ。
  • ホッケーやバスケットボールなど、『ポン』の基本コンセプト(ボールとパドルを使用)を活用したスポーツタイトルが数多く生まれた。
『ポン』の成功のあと、プログラム可能なマイクロプロセッサが開発された。アーケードビデオゲームの開発者たちはこの新技術に飛びつき、やがて『スペースインベーダー』が誕生。『スペースインベーダー』はのちに “アーケード黄金時代” と呼ばれる時代を代表するタイトルとなった。
パックマン

パックマン

© Namco

1978年から1982年までのその時代には、『ギャラガ』『パックマン』『ドンキーコング』などのアーケードクラシックが次々と誕生した。これらのタイトルでは、BGMなどの当時はまだビデオゲームでそこまで重視されていなかった要素が前面に押し出されており、ライフ制ハイスコアランキングなど機能も備わっていた。
このようなタイトルとともにビデオゲーム人気がさらに高まっていくと、ビデオゲームを一般家庭の日常生活に持ち込もうという動きが活発化していった。
03

家庭用ゲーム機

世界初の家庭用ゲーム機(コンソール)マグナボックス・オデッセイ(Magnavox Odyssey)だった。1972年に発売されたオデッセイはゲームカードを差し込んで内蔵回路を切り替えることで『テーブルテニス』や『キャット&マウス』のような複数のゲームをプレイすることができた。
ちなみに、任天堂が家庭用ゲーム機市場に足を踏み入れるきっかけとなったのがこのオデッセイで、当時の任天堂はオデッセイ用の光線銃を製造していた。しかし、家庭用ゲーム機で初めて大成功を収めたのはオデッセイではなくアタリのホーム・ポンだ。
すでにアーケード筐体で大成功を収めていたアタリは、米国内の家庭に向けて『ポン』を売り出すことを決定。1975年のクリスマス商戦約15万台を売り切った。この結果、アーケード時代と同じようにオデッセイとホーム・ポンを真似た模造品が数多く発売された。
ベルギーで開催された【Red Bull Study Club 2020】のNintendo Switch

ベルギーで開催された【Red Bull Study Club 2020】のNintendo Switch

© Jelle Lapere / Red Bull Content Pool

いくつもの企業が家庭用ゲーム機市場に参入するようになった結果、ビデオゲーム開発者たちは完全に飽和しつつあった市場で頭ひとつ抜け出す方法を模索するようになった。また、当時はマイクロプロセッサの価格が下がり始めていた。
1976年にフェアチャイルド・チャンネルFが発売され、世界初のROMカートリッジ搭載家庭用ゲーム機となったが、このタイプの最大のヒットとなったのがアタリ2600だった。『スペースインベーダー』や『ミサイルコマンド』のような人気アーケードタイトルの移植版がリリースされたのがこの家庭用ゲーム機最大の魅力だった。
アタリ2600はスタートダッシュこそ大成功に終わったが、『パックマン』のようなタイトルがヒットしなかったこともあり、人気は徐々に下降線を辿っていった。これに比例する形で、1983年から1985年までの間に米国の家庭用ビデオゲーム市場は崩壊し、市場規模が30億ドルから1億ドルまで縮小した。
しかし、この家庭用ビデオゲーム市場の崩壊にはソフトのセールス低下とはまた別の原因があった。パーソナルコンピューターの台頭だ。
04

PC

家庭用ビデオゲーム市場が1983年に崩壊する中、パーソナルコンピューターの人気が高まり、低価格化が進んだことで、1980年代半ばコンピューターを使用したゲーミングの新たなブームが米国を中心に誕生した。
この第2次ビデオゲームブームは『ウルティマ / Ultima』『エリート / Elite』などのPC専用タイトルの開発に繋がった。尚、後者はサンドボックスの先駆けとも言われている。
【Red Bull Campus Clutch 2022】の参加者

【Red Bull Campus Clutch 2022】の参加者

© Jacek Jabłoński / Red Bull Content Pool

このブームを支えたのがIBM PC互換機だった。このコンピューターはオープンアーキテクチャで開発されたため、部品や機能を比較的簡単に交換・追加できるのが特徴だった。そしてアップグレードが容易だったことで、ビデオゲーム開発者は次々と対応ソフトを開発できるようになった。なぜなら、自分たちのタイトルが動作するかどうかをいちいち心配する必要がなくなったからだ。
1970年代後半から1980年代前半にかけてはオンラインゲーミングも誕生し、ダイヤルアップ式の電子掲示板が使用されるようになった。
当時のパーソナルコンピューターには独自のネットワークが用意されていたが、学校や機関が現在のインターネットの元となったARPANETにアクセスするようになると、より複雑なオンラインゲーミングができる環境が整っていった。
学生たちがこの新世界との繋がりをゲーミングに活用する方法を模索し、マルチプレイヤータイトルが開発されるようになった。そしてこの流れが、のちのマルチプレイヤー・オンライン・ロールプレイングゲーム(MMORPG)の土台となった。
05

モバイルゲーミング

1980年代後半に携帯電話が世界的人気を獲得したが、携帯電話でのゲーミングが一般的になるのはそれから数十年後だった。誰もが知っている通り、特定の機種にはゲームがインストールされていた(たとえば、ノキア製には1997年から『スネーク / Snake』がインストールされていた)が、これらのゲームはどれも暇つぶし程度だった。
2020年に東京で開催された【Red Bull M.E.O.】

2020年に東京で開催された【Red Bull M.E.O.】

© Jason Halayko / Red Bull Content Pool

初期の携帯電話には古いアーケードスタイルのゲームがインストールされることが多かった。グラフィックスも軽く、ゲームプレイも短時間で終わるようになっていたため当時の携帯電話の性能に合っていたのだ。
モバイルゲーミングが人気を獲得し始めるのは、AppleGoogleがスマートフォンアプリ用マーケットプレイスを用意した2000年代後半だ。『アングリーバード / Angry Birds』『ビジュエルド / Bejeweled』のような初期モバイルゲームアプリが大人気となり、モバイルゲーミングを前進させた。
また、アプリ開発者たちがプレイ人口と収益を増やす方法を模索するようになった結果、 “フリーミアム” も誕生した。
フリーミアムのゲームアプリでは、「基本プレイは無料」だが、それ以外(キャラクターのコスチュームや広告表示のオフなど)の機能は有料になる。このビジネスモデルは、現在のコンソール版で見られる “バトルパス” “シーズンパス” の先駆けとなった。
やがてモバイルゲーミングはハンドヘルド型コンソール市場で大きなシェアを獲得するようになり、この市場の主役だったニンテンドー3DSPS Vitaなどを苦境に立たせることになった。
06

VR

バーチャルリアリティ(VR)は1970年代にすでに誕生しており、リハビリや軍のトレーニングなどの専用機器として使用されていたが、ゲーミング業界で注目されるようになるまではかなり長い時間を要した。
MxR Labを訪れたGZA

MxR Labを訪れたGZA

© Kevin Slack / Red Bull Content Pool

ビデオゲームの開発者たちがVRテクノロジーに取り組み始めたのは1990年代からだが、この頃に開発されたものはどれも一般ユーザーに受け入れられるだけの実用性を備えていなかった。失敗作の代表例としては、1995年に発売されたバーチャルボーイが挙げられる。
結局、VRがビデオゲーム業界で定位置を獲得するのは2010年代に入ってからだった。オキュラス・リフト(Oculus Rift)がVRとゲーミングを統合できるポテンシャルを証明したあと、2013年にValveがブレたりラグが生じたりしないVRディスプレイの開発方法を公開した。
この結果、スマートフォンを使用して没入感の高い世界を体験できるGoogle Cardboard(2015年)のようなVRヘッドセットが次々と開発されるようになった。
最近のVRヘッドセットはインターネットにも対応しており、ゲーミングとビジネスの両方に新世界を作り上げている。
メタバースデジタルマーケットプレイスは一部の業界にとって非常に大きな収益源となっており、たとえば、ビリー・アイリッシュやイマジン・ドラゴンズのようなアーティストがバーチャル会場でのライブパフォーマンスを展開している。
また、スポーツでもVRが採用されるようになっており、MLBのアトランタ・ブレーブスは本拠地をVR化して、本拠地を訪れなくても試合観戦できるようにしている。
ビデオゲームは50年以上前から私たちの生活の一部となっており、豊かな歴史を持っている。その歴史を通じて世界にいくつものポジティブなインパクトを与えてきたことを踏まえれば、近年のeスポーツ人気にも頷けるだろう。
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