A concept art for the Final Fantasy 7 remake on the Nintendo Switch
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ゲーム
『ファイナルファンタジーVII』:22年ぶりの “おかえり”
任天堂とスクウェア(現スクウェア・エニックス)はかつて盟友だった。『ファイナルファンタジー』シリーズ最重要タイトルのNintendo Switch版リリースを記念して、両社の長い関係を振り返る。
Written by Kevin Wong
読み終わるまで:12分Published on
2019年2月13日(日本時間14日)、任天堂は『Nintendo Direct』でいくつかの重大ニュースを発表し、『スーパーマリオメーカー2』が6月にリリースされることや、ゲームボーイ・クラシックの『ゼルダの伝説 夢をみる島』リメイク版の開発が進んでいることなどが明らかになった。
しかし、ビデオゲーム史ファンが最も興味を引かれたのは、Sony PlayStationでリリースされた『ファイナルファンタジー』シリーズ(IX・VII・X / X-2・XII)Nintendo Switch移植版の発表だったはずだ。
その中で、3月26日にリリースされた最も古いナンバリングタイトル『ファイナルファンタジーVII』は、特に大きな意味を持っている。なぜなら、NINTENDO64のフラッグシップタイトルになる予定だった作品が四半世紀近い時を経て、ようやく任天堂のゲーム機でプレイできるようになるからだ。

時を超えて

シリーズ初の3Dモデル採用タイトルとなった『ファイナルファンタジーVII』の世界は、人体実験の被検体だった過去を持ち、かつては戦場に赴いていたが、今は傭兵として暗躍している青年兵士クラウドが主人公に据えられている。
そして、ゲーム内ではほとんど触れられないが、この世界には戦火に巻き込まれた2大陸が存在し、その東側の最上部にいるごく僅かな人たちによって仕切られている巨大な近未来都市ミッドガルがある。
我々がこの設定をわざわざ持ち出したのは、今回の記事にマテリアのように組み込みたいと思っている “ある関係” との共通点があると思ったからだ。
クラウドセフィロスティファバレットたちはビデオゲーム史に残る “重要な瞬間” に間接的に関わっている。それは、任天堂がSonyとのパートナーシップを解消した瞬間であり、計らずもゲームクリエイター間の競争を激化させるきっかけになった、史上最大のライバル関係が生まれた瞬間だった。
任天堂は定期的にリメイクリブートを行っている企業だ。マリオリンクサムスたちは、1980年代後半の任天堂の顔だったが、今も任天堂の顔であり続けている。その理由は、これらのシリーズが世代ごとに「プレイヤーがゲームとの結びつきを得られる何か」を提供することで「再発見」を促してきたからだ。
これを踏まえると、『ファイナルファンタジー』シリーズは、様々な意味で、任天堂のフランチャイズであるべき存在だった。当時、このシリーズを開発してきたスクウェア(現スクウェア・エニックス)は自分たちを任天堂のセカンドパーティデベロッパーとして捉えており、長年に渡り『ファイナルファンタジー』と任天堂は同義語だった。
1987年にリリースされたシリーズ第1作は、ファミコン / NES独占タイトルだった。
この作品はスクウェアのトップセラーとなり、エニックスの『ドラゴンクエスト』に次いで売れたRPGタイトルとなった。のちに、両社が合併して、スクウェア・エニックスになったのは誰もが知っているはずだ。
『ファイナルファンタジー』は、このオリジナルのあとも、任天堂独占タイトルとして5本が開発された。
尚、スクウェアのホーム日本だけではなくグローバルレベルでヒットになったのは、『Final Fantasy II』(日本の『ファイナルファンタジーIV』)と『Final Fantasy III』(日本の『ファイナルファンタジーVI』)だった(ややこしいがついてきてもらいたい)。
繰り返しになるが、ここまでの『ファイナルファンタジー』シリーズ6作品は、任天堂独占だった。日本の『I』から『III』まではファミコンで、『IV』から『VI』まではスーパーファミコンでリリースされた。
しかし、『ファイナルファンタジーVII』でスクウェアは任天堂と袂を分かつことになった。
『ファイナルファンタジーVII』は、任天堂の最新ゲーム機NINTENDO64ではなく、Sonyが新規開発したPlayStationでリリースされた。しかし、任天堂独占としてリリースされていた可能性はかなり高かった。
スクウェアは、PlayStation用CD-ROM大容量(『ファイナルファンタジーVII』のCGムービーのカットシーンを全て収録できた)に興味を持つ前に、のちにNINTENDO64としてリリースされる任天堂の試作機に合わせたデモを開発して、『ファイナルファンタジーVI』のキャラクターを3Dで動かすテストをしており、当時の雑誌メディアは、このデモを『ファイナルファンタジーVII』だと報じていた。
もちろん、そうはならなかったのだが、Sonyの重役たちがバスターソードで任天堂を背後から斬りつけていなければ、結果は変わっていたかもしれなかった。
任天堂最大の強み ― 独自の道を切り拓くことへの強い拘りと意志 ― は、彼らの最大の弱点であると良く言われる。
任天堂には、“逆張り” 的なオリジナルアイディアで大成功を収めてきた過去がある。スペック的にはライバル機に大きく劣りながらも、モーションコントロールを上手く活用したことで世界的ヒットとなったWiiがその好例だ。
米国任天堂社長のレジナルド・フィサメィが、E3 2006で「ゲーミングはもはや限られた数のファンのためだけのものではない。全員のものだ」と発言した通り、Wiiはファミコン時代から脈々と続く “見たまま” のシンプルさが保たれており、できる限り多くの人にプレイしてもらえるように配慮されていた。
しかし、時として、任天堂の「シンプルにまとめる」という強い拘りが、自らの首を絞めたこともあった。その代表例のひとつと言えるのが、Sonyとのパートナーシップの解消だ。
1988年、Sonyと任天堂は次世代機の共同開発を進めることで合意した。この次世代機は、SonyのCD-ROMテクノロジーと現在は「スーパーファミコン」として知られる任天堂製ゲーム機を組み合わせたようなゲーム機になる予定だった。
しかし、この計画は頓挫した。
1949年から任天堂の社長を務め、同社を花札メーカーから世界的に有名なビデオゲームハード&ソフトメーカーになるまで押し上げた山内溥は、非常に頑固で、交渉では絶対に譲らない人物として有名だった。
そのような性格を持つ山内は、Sonyに気付かれることなく任天堂の代表をPhilipsへ送り込み、自分たちにより有利な条件でソフトウェアライセンスの契約を結ぶと、1991年の見本市Consumer ElectronicsでPhilipsとのCD-ROM機共同開発計画を発表した。この件について全く聞かされていなかったSonyは出し抜かれた形になった。
しかし、結局、任天堂とPhilipsの共同開発計画も頓挫し、最終的にスーパーファミコン (SNES)は、カートリッジ専用機としてリリースされた(編注:SNESは1991年以降のリリース)。しかし、1994年12月、今度はSonyが自社開発のビデオゲーム機PlayStationをリリースした。
こうして、任天堂の元パートナーは、任天堂の直接的なライバルとなった。その対立ぶりは下のCMが如実に示している。
PlayStationのゲームは、カートリッジではなくCD-ROMに収録されていた。CD-ROMはのちにビデオゲームの主流メディアになるのだが、山内の頑固さがここでも頭をもたげた。任天堂はNINTENDO64でもこの未来のメディアを採用せず、カートリッジに拘り続けた。
任天堂上層部を含む誰もがCD-ROMが主流になることを理解していた。しかし、山内は、このテクノロジーがまだ全幅の信頼を置けるレベルに達していないと判断したのだった。確かにCD-ROMはロード時間が長かった。また、セキュリティも脆弱で、海賊版の世界的な流行を促したため、任天堂は自分たちの知的財産を守る策を講じることになった(この姿勢は今も維持されている)。
しかし、CD-ROMは黎明期からセリフカットシーンを収録できるだけの大容量を誇っており、このメディアに対応しているゲーム機はカートリッジ機よりポリゴンのフレームレートも高かった。
単純に任天堂のゲーム機は、スクウェアのヴィジョンを再現できるだけの性能を備えていなかったのだ。
また、スクウェアは任天堂に対して「CR-ROM機よりもパワフルなゲーム機を開発して、市場競争力を保ちながら、サードパーティのデベロッパーにとって魅力的な存在であり続ける必要がある」というアドバイスを繰り返し送っていたが、このアドバイスが聞き入れられなかったのも関係解消の理由のひとつとなった。
当時の任天堂は自社開発タイトル、つまりファーストパーティタイトルに絶対的な自信を持っていた。また、自分たちのゲーム機のスペックは、ファーストパーティタイトルには不足なかった。
それゆえに、彼らは他が自分たちに合わせるべきという考えを持っており、「任天堂が気に入らないなら、どうぞお引き取り下さい」という強気の姿勢を打ち出していた。
このような背景と、複数回の技術テストが失敗に終わったことから、スクウェアはNINTENDO64では自分たちがやりたいことができないと判断し、任天堂の元から去った。
スクウェアがこの決定を下してから、スクウェアと任天堂は5年から10年話をしなかったと言われている(誰に訊ねるかで長さが変わる)。
任天堂が元パートナー企業の活躍に期待しているという主旨の発言を繰り返してきたこともあり、表面的には何の問題も確認できなかった。しかし、スクウェア社員の間では、任天堂とのパートナーシップを解消した時点で、関係修復は未来永劫ないと考えられていた。
その後の展開は良く知られている。
まず、PlayStationがNINTENDO64を追い抜いて首位に立った。また、当時はSonyがサードパーティデベロッパーと強固なパートナーシップを次々と結んでいった時代でもあった。その理由には、CD-ROMの方がカートリッジよりも開発コストが安いというのもあった。
一方、任天堂はより内向きになり、ファーストパーティに注力していった。結果、今でも任天堂はファミコン時代のようなサードパーティからのサポートを得られていない。
ゲーミング史の大きな分水嶺となったシリーズ初の3Dタイトル『ファイナルファンタジーVII』は、評価的にもセールス的にも大成功を収めた。
工業化が進んだ近未来を舞台に、傭兵のクラウド・ストライフが、惑星の中心から魔晄エネルギーを吸い出し、その惑星を滅ぼす強欲な神羅電気動力株式会社(神羅カンパニー)に挑む。そしてクラウドはその途中で、エアリス・ゲインズブールをはじめとする仲間たちと出会い、友情を深めながら、自分の辛い過去やねつ造された記憶について学んでいく。
この『ファイナルファンタジーVII』のファンタジーとSFを組み合わせたバイブスは、RPGのユビキタスとなっている。
また、スクウェアが任天堂の元を去る大きな原因となったカットシーンは非常に美しく感情移入できるもので、ビデオゲームの映像には、ストーリーを伝えられるポテンシャルがあることを証明した。そして、これは当然の結果と言えるのだが、『ファイナルファンタジー』シリーズのナンバリングタイトルは、この作品以降、任天堂のゲーム機でひとつもリリースされてこなかった。
このような流れの中で実現した『ファイナルファンタジーVII』のNintendo Switchへの移植サプライズだった。このゲームが任天堂製を除くほとんど全てのプラットフォームに移植されていることを踏まえると、サプライズの度合いはさらに高まると言えるだろう。
1998年にリリースされたPC版は予想を大きく上回る成功を収め、2009年のゲームアーカイブス版も話題となった。2012年と2013年にもPCとSteamで『ファイナルファンタジーVII インターナショナル』がクラウドセーブやゲームブースターなど様々な機能を追加した形でリリースされた他、2015年にはiOS版、2016年にはAndroid版がリリースされた。
また、2018年12月にリリースされたPlayStation Classicの国内版・海外版の両方にも収録されたこの真のクラシックは、完全リメイク版の開発が進んでいる。ただし、リリース日は未定なので、とりあえずは下のトレーラーで我慢するしかない。
しかし、2019年、オリジナルのリリースから20年以上が経過した段階で、任天堂ファンが遂に『ファイナルファンタジー』シリーズ代表作の数々をプレイできるようになった。しかも1年以内に全てが出揃う。
若い世代のプレイヤーたちにとって、これらのバックナンバーはフレッシュなゲーミングエクスペリエンスになるだろう。新しいプラットフォームでクラシックゲームの魅力を再発見するチャンスになるはずだ。
また、『ファイナルファンタジーVII』の人気が衰えない理由を理解したことがない人は、今回の移植でようやく自分で確かめるチャンスを得られる。
ネタバレはあまりしないでおくが、『ファイナルファンタジーVII』の最終盤は500年後が舞台で、そこには驚きの結末が待っている。今作の移植は、そこまで長い時間ではないものの、かなりの時間が経過したように感じられるものだった。
このゲームに深くて長い思い入れを持つ我々にとって、『ファイナルファンタジーVII』Nintendo Switch版は、気まずい別離から数十年後に実現した、待望の “おかえり” だ。
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