エリウド・キプチョゲが2時間を切るタイムで42.195kmを走ったという事実を我々の多くがまだ上手く消化できずにいる。
この34歳ケニア人ランナーが2019年10月12日にオーストリア・ウィーンで成し遂げた偉業はあまりにも歴史的・圧倒的なため、我々がその真価を理解できるようになるまではもうしばらく時間がかかるだろう。
キプチョゲのタイムは公式記録ではなく、その特殊なレース環境はいくつかの批判も生み出しているが、彼が「これまで考えられていたエリートアスリートの身体能力の限界を突破」したことに変わりはない。
キプチョゲはここ最近の生活のすべてをこの瞬間のために費やしてきた。現マラソン世界最速記録保持者(2時間1分39秒:2018年ベルリン)として知られるキプチョゲが2時間切りに挑んだのは今回が初めてではなかった。
2017年、ナイキからスポンサードされた彼は、トップランナー2人(ゼルセナイ・タデッセ&レリサ・デシサ)と共に《Breaking2》プロジェクトに挑んだ。
名サーキットとして知られるイタリアのモンツァを訪れた3人は、ペースランナーたちとダイヤモンド型のフォーメーションを組んで走ったが、キプチョゲは2時間を僅かに切ることができず、2時間00分25秒でフィニッシュした。この日、歴史は作られなかった。
しかし、キプチョゲは諦めなかった。キプチョゲとチームはパフォーマンスを徹底的に精査し、キプチョゲは自分がまだ成長できることを知った。
モンツァでの初挑戦は “あと26秒” 縮めるためには何が必要なのかを彼に教えることになった。そして何よりも重要なことに、彼に「2時間切りは可能」という確信を植え付けた。
今回の《INEOS 159 Challenge》でキプチョゲが記録達成に役立つ要素のひとつとして挙げたのが観客だった。
1.5マイル(約2.4km)のサーキットを17周したモンツァではフィニッシュライン周辺にしか観客がいなかった。フィニッシュライン以外は、声援も人もない不気味に静まりかえったアスファルトの上を走らなければならなかった。
そこでウィーンではまずここが変えられた。10月12日のレース当日には約12万人のファンが沿道に集まり、キプチョゲを大声援で応援した。尚、この歴史的ランはYouTubeで500万回を超える視聴回数を記録している。
このような要素が複数組み合わさったことで、キプチョゲはほぼ不可能に思われていたランナーの限界を突破し、1時間59分40秒をマークした。
今回は、キプチョゲのこのパフォーマンスと記録の凄さを様々な数字とデータからあらためて見ていくことにする。
1:平均ペースは2分50秒/km
1kmをたった2分50秒というペースで42.195kmも走れるのは異常とも言える。これを1マイルに置き換えれば4分35秒になるが、現在の1マイル走世界記録3分43秒から1分も違わない。
ちなみに1850年代なら、キプチョゲは余裕で1マイル世界記録保持者になれている。
2:平均スピードは21.18km/h
次にジムを訪れた時にトレッドミルのスピードを21.18km/hに設定してどれだけ走れるか試してみよう。おそらく20~30秒が限界のはずだ。
また、自転車通勤者の多くがこのスピードを「高速」と捉えるはずだ。このスピードをランニングで実現し、しかも2時間も続けられたこの日のキプチョゲは超人だった。
3:100m走17.2秒を422回繰り返した
400m走なら1周68秒で105周だ。キプチョゲのマントラ「限界を超える」は彼の才能と実績に相応しいとしか言いようがない。
4:5km平均タイムは14分12秒
キプチョゲの凄さを理解するために2つの例を挙げよう。
15年の歴史を持つアクティビティ “パークラン” (Parkrun:公園での5kmラン)はこれまでに全世界で5,136万3,611回開催されてきたが、キプチョゲのこのタイムを上回ったパークランはたった4回だけだ。
また、5,000mの現世界記録はケネニサ・ベケレ(エチオピア)の12分37秒だ。
5:ワールドクラスのランナー41人がペースメイクを担当した
ウィーンでは中・長距離のスペシャリストたちがペースランナーを担当した。
41人のペースランナーには、バーナード・ラガト(米国)、ポール・チェリモ(米国)、マシュー・セントロウィッツ(米国)を含むメダリストたちやドーハで開催された世界陸上2019の5,000mで2位に入ったセレモン・バレガ(エチオピア)、インゲブリクトセン兄弟(ヘンリク&ヤコブ:ノルウェー)、2019年のダイヤモンドリーグ1,500mで2勝をマークしたロナルド・ムサガラ(ウガンダ)などが含まれていた。日本からも村山紘太が選ばれた。
ペースランナー5人がV字型にフォーメーションを組んでキプチョゲの前を走り向かい風をカットする中、キプチョゲの後方に位置する2人がキプチョゲにプレッシャーをかけてペースを維持させた。今回の挑戦はこの7人のフォーメーションを5kmごとに入れ替えることでペースとスピードを保っていた。
ペースランナーたちがこのフォーメーションを組んで抵抗を減らすことができれば、キプチョゲがひとりで走るよりもタイムを1分52秒削れることが事前の研究で明らかになっていた。
6:電気自動車が2分50秒/kmで先導した
ペースカーを担当した電気自動車のルーフ部分には距離とペースを高精度(誤差はわずか0.2m)で計算するトランスポンダーが設置されており、キプチョゲの15m前方をクルーズコントロールで走行した。
尚、このレースのスポンサーINEOS(イネオス:英国の多国籍化学企業。自転車ロードレースのスポンサーとしても有名)は、通常の自動車よりも高精度のクルーズコントロールができるように改造したことを明らかにしている。
ペースカーは後方からグリーンのレーザーラインを路面に照射し、ペースランナーたちに守るべきペースを教え続けた。万全を期してレーザーラインは1時間59分59秒より10秒早いペースで動き続けた。
7:コースの標高差はわずか2.4m
オーストリア・ウィーンは、徹底的なスカウティングと研究によってランナーに理想的な標高・気候・地形を擁していると判断されて選ばれたロケーションだった。
ウィーンは海抜193mしかないため大気の含有酸素量が多い。また、キプチョゲの拠点ケニアとの時差も1時間しかなかったため、睡眠とトレーニングに何も影響を与えなかった。
キプチョゲは全長9.5kmのコースを4周したが、このコースはアップダウンがほぼ存在せず、両端にラウンドアバウトが配置されているだけのほぼ直線だった。
ランニングは直線コースの方が曲線コースよりも速いことが証明されているため、このコースは理想的だった(カーブ数を最小限に抑えたことでキプチョゲは5秒セーブできたと言われている)。
また直線部分(片道)の標高差は約3mだった。この標高差がキプチョゲのタイムを約10秒遅らせたという計算結果が出ているが、レースはやや高い位置からスタートしており、スタートダッシュが下りだったことでキプチョゲは13秒稼いだという計算結果も出ている。
8:ナイキの最新シューズを使用した
キプチョゲは《ナイキ ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%》を履いていた。
このモデルは、リコイル(反動)を活用したエナジーリターンでアスリートを前進させるカーボンファイバープレート(アシスト機能が強すぎるという理由で一部議論も起きている)の最新版が3枚埋め込まれている。尚、前モデルの《ナイキ ズームX ヴェイパーフライ 4%》はこのカーボンプレートでパフォーマンスが “4%” アップするということでこの名前が付けられている。
また、《ナイキ ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%》は前モデルより15g軽く、通気性にも優れている(汗はシューズを重くする)。
9:ベストコンディションのためにレース予定日は8日用意されていた
パーフェクトなコースと理想的な時差の他に、10月前半の気候が比較的温暖で湿度が低く、空気も澄んでいるという特徴もウィーンが選ばれた理由だった。
レーススタート時9度・ゴール時11度だった気温はランニングには理想的だった。低い湿度も理想的で、キプチョゲのウェアが汗ばまないため余計な重さが加わらなかった。また、路面から十分なトラクションを得ることもできた。
さらに、レーススタートの時間は午前5時から午前10時が理想であることが事前の研究で明らかになっていた。
これらすべてを組み合わせた結果、午前8時15分がスタート時間に設定された。
10:トレーニングとして週約225kmを走った
キプチョゲは2019年4月のロンドンマラソン後からこのプロジェクトに向けたトレーニングを開始しており、6月からの4ヶ月は長年コーチを務めてきたパトリック・サングの指導の下、ケニア・カプタガットで週124~140マイル(約200~225km)の高地ランニングを繰り返した。
このトレーニングの一部には、ハードパックの400mトラックでの短距離高強度ファートレックも含まれていた。また、キプチョゲは《Breaking2》では取り入れていなかった、体幹にフォーカスしたストレングス&コンディショニングトレーニングにも取り組んだ。
さらにキプチョゲはメンタルトレーニングも積極的に取り入れた。自己啓発系書籍を大量に読んだキプチョゲはレース前に100%の自信を手に入れており、その自信が結果に繋がった。