—今回のマイクリレーを振り返ってみていかがでしたか?
まず今回呼んでもらえて“やったぜ”と。すごく独特な場でしたが、今回のメンバーではぼくが年齢的に中間なので、上の方がいる手前ミスれない、下の子もいる手前ミスれないみたいな、そういう責任感はありましたね。“EQUIS.EX.X”のM.O.S.A.D.リミックスに〈CMでプロモーション/マンハッタンに看板〉っていう“E”qualさんのラインがあるんです。そのヴァースは名古屋至上主義者だった青春時代のぼくにとっては“いいぞ! やれやれ!”みたいな、めちゃくちゃドンピシャ刺さっていて。だからこそ“E”qualさんの目の前でサンプリングするのがいちばんヒップホップだよなと思って使わせてもらいました。今回“E”qualさんとも楽屋でお話しして“当時はどんなだったんですか?”って訊いてみたんです。そしたら“ぜんぜん覚えてねえ”と言ってたんですけど。そんなのもありつつ、ここで使わずしていつ使うんだっていうのもあったので、やれてよかったですね。
—TOKONA-X氏への思いや本人とのエピソードなどあれば教えてください。
トコナメさんは客席で観てても“ぶっ殺されるんじゃねえか”って思うくらいの威圧感があったっすね。MCの最中に寝っ転がってタバコ吸いはじめるし、なんだかファニーな面もあるし、“こんなおもしろいひといるんだ”って。で、M.O.S.A.Dのふたりが脇を固めていて、グループとしての最強感がハンパなかった。それを観て自分もステージに立ちてぇなって思ったんです。それから、いざ自分がプレイヤーになって名古屋でライブをやりはじめたころに、クラブにトコナメさんが現れたことがあったんですよ。ステージ上から見てると、フロアをわーっとかき分けてこっちに向かってきて、人混みが真っ二つに割れていくんですよ、モーゼみたいに。で、ステージまで来たトコナメさんが自分のほうを見て“マイクよこせ”と言っている。“あぁ、オレ死んだな”って思いながら渡すと、8小節だったかな、いきなりフリースタイルして喝采をかっさらって。最後に“おまえ、どっから来たんだ”と言うんです。“オレは常滑。おまえはどっから来たんだ”と。自分の地元は知多半島で、常滑市のすぐ近くなのでそれを言ったら“がんばれよ”って、バッと去っていって……。たぶん前から自分のことを知ってくれていて、“こいつは同郷だ”とわかっていたから来てくれたんだと思うんです。その瞬間はマジで怖くてハンパなかったですけど、ある意味、自分のラッパー人生のなかで大きなターニングポイントになったんですよね。心に刻まれたというか。やっぱり自分が名古屋でキャリアをスタートできたのは、ある種の自信につながってますよね。当時の名古屋のシーンは、先輩にもお客さんにも殺されるんじゃねえかっていう、マジで北斗の拳の世界だったんで(笑)。
—現在の日本のヒップホップ・シーンについてはどう考えていますか?
ぼくが知ってるかぎりでは、当時の殺伐とした感じはないんじゃないですかね、わかんないですけど。若いプレイヤーにはそういうのもあるのかもしんないですけど、当時とくらべればだいぶやりやすいというか、平和なんじゃないかな。基本はぼくも暴力には反対です。平和がいちばん。音楽としてはそっちのほうが絶対いいですもんね。自分の“Osanpo”って曲がバイラルヒットしたのも、そういう時代に刺さったのかなと思います。けど、あれも蓋を開けるとトコナメさんも使っていたマイアミベースということもあって、曲中の〈なんで拾わない〉〈私の後ろくる?〉というフレーズは“I Just Wanna...”の冒頭のスキットに入ってる会話のサンプリングなんですよ。“Osanpo”は平和な曲だけど、そういったところで日本のヒップホップ・シーンの現在において当時の自分がくらったイルさも表現できたらいいですね。遊び心として。
むちゃくちゃむずかしいですけど、あえていうならM.O.S.A.D.のAKIRAさん。いまでこそ、みんな曲にガヤとかアドリブを入れるじゃないですか。たぶん、あれを日本でいちばん早く、さらっとカッコよくやってたのはAKIRAさんじゃないかなと思っていて。で、格好もオシャレで、ぼくのなかでファッションリーダーだったんですよ。ラップはじめたてのころは、ぜんぜんできてないんですけどAKIRAさんっぽいモノマネみたいな感じでやっていたし、いま考えると本当にM.O.S.A.D.があっていまの自分があるってことになりますね。結局、自分のなかのラッパー像を練り上げてくれたのがM.O.S.A.D.なのかなって。
特に予定はないんですけど、週1でスタジオ入ってずっと制作はやってます。ぼくの音楽は“平日の芸術”って呼んでいて、平日のなかで生まれているんですよ。もう“週末にクラブで遊んで”っていうところにはいないんで、平日をずっと続けていきたいなって思います。でも同時にDJ RYOWさんはずっと動き続けてるんで、RYOWさんの歯車のひとつになれていればいいのかなと。むかしからトップよりは二番の立ち位置に憧れてきたんで、派手にやっていくというよりは、変わらず“平日の芸術”をやっていこうと。
👉SOCKSインタビュー『M.O.S.A.D.がいたから自分のいまがある』