F1 Grand Prix of Miami at the Miami International Autodrome
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F1
米国の歴代F1サーキット 11選
米国開催のF1グランプリは半世紀以上に渡り流転の歴史をたどってきた。11月18日に初開催を迎えるラスベガスGPを前にF1を開催してきた米国歴代サーキットを振り返ろう。
Written by Michael Burgess II
読み終わるまで:12分Published on
2022シーズンにF1ワールドチャンピオン連覇を達成したマックス・フェルスタッペンは、米国内で開催された2つのグランプリ(5月のマイアミGPと10月のアメリカGP)の両方で優勝を飾った。
油断のならないマイアミ・インターナショナル・オートドロームでトップチェッカーを受けた直後、マックスはチーム無線を介して「良いレースだった。タフだけれど本当に良いサーキットだ」とコメントした。
マイアミのスターティンググリッドに向かうオラクル・レッドブル・レーシングのクルーたち
マイアミのスターティンググリッドに向かうオラクル・レッドブル・レーシングのクルーたち© Getty Images / Red Bull Content Pool
毎シーズン、米国のサーキットでグランプリが開催されてきたわけではない。2000年以降にF1をホストした米国のサーキットはわずか4サーキットで、2008シーズンから2011シーズンにかけては米国でグランプリが開催されなかった。
2023シーズンは有名なラスベガス・ストリップを市街地コースの一部に組み込んだラスベガスGP11月18日に初開催されるが、その前にこれまでF1を開催してきた米国内の11サーキットを振り返っていく。
各サーキットのグランプリ開催年と最多勝ドライバーも併記しておくので、スタッツ好きのレースファンもぜひチェックしてもらいたい。
01

マイアミ・インターナショナル・オートドローム

  • 場所:フロリダ州マイアミ
  • 開催年:2022年〜現在
  • 最多勝ドライバー:マックス・フェルスタッペン(2勝:2022年 / 2023年)
マックス・フェルスタッペンは2022シーズンの初開催以来マイアミでの勝利を独占している
マックス・フェルスタッペンは2022シーズンの初開催以来マイアミでの勝利を独占している© Getty Images / Red Bull Content Pool
ハードロック・スタジアムおよびここを本拠地とするNFLマイアミ・ドルフィンズのオーナーのスティーブン・ロスはマイアミへのF1誘致を長年働きかけてきた。当初はマイアミ市街地中心部での開催が計画されていたが、市街地郊外のハードロック・スタジアムを取り囲むように作られたマイアミ・インターナショナル・オートドロームで開催される運びとなった。
初開催となった2022シーズンのマイアミGPはセレーナ・ウィリアムズマイケル・ジョーダンデビッド・ベッカムをはじめとするセレブたちと約85,000人の観客を集め、マックス・フェルスタッペンが優勝。ドライバーたちは米国のファンたちからのサポートとサーキットデザインを絶賛した。
尚、マイアミ・インターナショナル・オートドロームは仮設サーキットのため、レースが終了すればフェンスやタイヤバリアを含めたあらゆるインフラストラクチャーが撤去される。
2023シーズンのマイアミGPは5月4日〜6日に開催され、9番グリッドからスタートしたフェルスタッペンが見事なオーバーテイクショーを展開してマイアミGP 2連覇を達成した。
02

サーキット・オブ・ジ・アメリカズ

  • 場所:テキサス州オースティン
  • 開催年:2012年〜2019年 / 2021年〜現在
  • 最多勝ドライバー:ルイス・ハミルトン(5勝:2012年 / 2014年 / 2015年 / 2016年 / 2017年)
今やF1カレンダーに欠かせない存在となったオースティンのサーキット・オブ・ジ・アメリカズ
今やF1カレンダーに欠かせない存在となったオースティンのサーキット・オブ・ジ・アメリカズ© Getty Images / Red Bull Content Pool
アメリカGPが2007シーズンを最後にF1カレンダーから脱落すると、当時のFOM会長バーニー・エクレストンは「F1は二度とインディアナポリスに戻らないだろう」と発言し、米国でのグランプリ復活が疑問視されるようになった。
しかし4年の中断期間を経て、アメリカGPは2012シーズンにテキサス州オースティンのサーキット・オブ・ジ・アメリカズ(通称COTA)へ舞台を移して復活した。
F1開催を念頭に置いて設計されたサーキット・オブ・ジ・アメリカズはドライバーたちからも好評で、ダニエル・リカルドは「近年の新設サーキットの中ではベストだ」とコメントしている。
2023シーズンのアメリカGPは10月19日〜21日に開催され、サーキット・オブ・ジ・アメリカズのレースウィークエンドでは初めてスプリント形式が採用された。
前戦カタールGPで3年連続ドライバーズタイトルを決めていたフェルスタッペンが土曜日のスプリントに続き決勝でも優勝を飾り、記念すべき通算50勝目をマーク。また、スクーデリア・アルファタウリ角田裕毅が土壇場でファステストラップを叩き出してオースティンのファンたちを大いに沸かせ、ポイント圏内の8位でフィニッシュした。
03

シーザーズ・パレス・グランプリ・サーキット

  • 場所:ネバダ州ラスベガス
  • 開催年:1981年〜1982年
  • 優勝ドライバー:アラン・ジョーンズ(1981年)/ ミケーレ・アルボレート(1982年)
ラスベガスGP復活に先駆けてショーランを行ったオラクル・レッドブル・レーシング
ラスベガスGP復活に先駆けてショーランを行ったオラクル・レッドブル・レーシング© Garth Milan / Red Bull Content Pool
ギャンブルは報われないこともある — ラスベガス以上にそれを学べる場所はない。シーザーズ・パレス・グランプリ・サーキットはその名の通りシーザーズ・パレス・ホテルの駐車場に作られたコースだ。1981年、それまでアメリカGPを開催していたニューヨーク州のワトキンス・グレンが突如財政破綻したため、シーザーズ・パレスGPがカレンダー入りした。
ところが、このサーキットには “ラスベガス” から連想される魅惑的な要素がほぼすべて欠けていた。コースは比較的平坦かつ無味乾燥で、主催者のモチベーションも不足していた。1981シーズンのレースは観客動員数の伸び悩みからシーザーズ・パレス・ホテルに財政的損失をもたらし、ラスベガスでのF1はわずか2シーズンの短命に終わった。
それから40年以上の歳月を経て、2023年11月16日〜18日にF1がこの “シン・シティ” へ戻ってくる。21世紀の新生ラスベガスGPはこの歓楽都市の魅力を大きく取り入れようと目指しており、名所ラスベガス・ストリップを大々的に組み込んだ専用設計サーキットが用意される。
8分【ラスベガス】カジノから砂漠まで疾走!セルジオ・ペレスがRB7でラスベガス・ストリップからネバダの砂漠まで疾走!壮大な一夜を体験する。
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04

インディアナポリス・モーター・スピードウェイ

  • 場所:インディアナ州インディアナポリス
  • 開催年:1950年〜1960年 / 2000年〜2007年
  • 最多勝ドライバー:ミハエル・シューマッハ(5勝:2000年 / 2003年 / 2004年 / 2005年 / 2006年)
1950シーズンから1960シーズンまでの10年間、インディ500はF1世界選手権に含まれていた。しかし、ヨーロッパのドライバーたちがこのアメリカンモータースポーツ最大の祭典に惹かれることはほぼなく、結果、インディ500は米国人ドライバーたちが大勢を占めることになった。
インディアナポリス・モーター・スピードウェイでF1が復活したのはそれからかなりあとの2000年で、この年から同地でアメリカGPが開催されるようになった。しかし、2007シーズンのアメリカGP後、インディアナポリス・モーター・スピードウェイとF1が開催条件で合意に至らず、当面はアメリカGPを開催しないことを発表した。
05

フェニックス市街地サーキット

  • 場所:アリゾナ州フェニックス
  • 開催年:1989年〜1991年
  • 最多勝ドライバー:アイルトン・セナ(2勝:1990年 / 1991年)
ワトキンス・グレンが財政破綻に終わったあと、F1は米国での安住の地を求めて様々な場所を渡り歩いた。20世紀で最後に選ばれたロケーションがアリゾナ州の州都フェニックスだった。
しかし、フェニックスでのアメリカGP復活はかなり早期に瓦解してしまう。フェニックスでのアメリカGPは観客を呼び込めず、その市街地サーキットにはF1マシン特有の迫力を引き出せるコーナーが欠けていた。
主催者は1992シーズンも開催を期待していたため、フェニックスからの撤退は若干の物議を醸した。しかし、1991年10月、フェニックスでのアメリカGPは3シーズンの開催を経て正式に終了が決定し、翌シーズンからは南アフリカGPがカレンダー入りした。
06

デトロイト市街地サーキット

  • 場所:ミシガン州デトロイト
  • 開催年:1982年〜1988年
  • 最多勝ドライバー:アイルトン・セナ(3勝:1986年 / 1987年 / 1988年)
1982年、ラスベガスとロングビーチに続いてデトロイトがカレンダーに加わった結果、米国はF1史上初の1シーズンにグランプリ3戦を開催する国になった。しかし、この3グランプリの中でデトロイトGPは最低の内容だったと言わざるを得ないだろう。
デトロイト市街地サーキットは厄介なコーナーを多数備えている上にコース幅が非常に狭いセクションもあり、多数のドライバーがメカニカルトラブルやウォールへの接触でリタイアを強いられた。また、このサーキットは高い湿度と気温にも見舞われた。最終的に1984シーズンのデトロイトGPは出走26台・完走6台で終了した。
F1側はこのサーキットを価値あるものどころか厄災と見なし、F1主催団体とデトロイト市がコース施設の建設について物別れに終わると、最後のデトロイトGPが1988年に開催された。
07

ダラス・フェア・パーク

  • 場所:テキサス州ダラス
  • 開催年:1984年
  • 優勝ドライバー:ケケ・ロズベルグ
ダラスで開催された史上唯一のグランプリは、F1側が “ローン・スター・ステイト(テキサス州の愛称)” に対して最高の第一印象を持つきっかけにはならなかった。
真夏のレース開催となり、その暑さはドライバーとサーキット双方にとって耐え難かった。路面温度が65℃を超えて舗装が崩壊し始めると粒状になったアスファルトがコース上へ散らばり、マシンはスリップしてポジションを落とした。この1984シーズン限りで終了したダラスGPは出走26台・完走7台で終わった。
08

ロングビーチ市街地サーキット

F1は面倒が少なくて収益性の高い米国サーキットを求めていた。そこで浮上したのがロングビーチ市街地サーキットで、ここを舞台とするアメリカ西GPが開催されることになった。
ロングビーチでのアメリカ西GPは1976年から1983年にかけて開催され、ファンとドライバーの間で幅広い人気を博してまずまずの成功を収めた。しかし、レース主催者はインディカーの方がより良い投資になると考え、1984年からはインディカーシリーズ開催地に切り替えられた。
09

ワトキンス・グレン・インターナショナル

  • 場所:ニューヨーク州ワトキンス・グレン
  • 開催年:1961年〜1980年
  • 最多勝ドライバー:ジム・クラーク(3勝 1962年 / 1966年 / 1967年)、グレアム・ヒル(3勝 1963年 / 1964年 / 1965年)
2022シーズンにサーキット・オブ・ジ・アメリカズがアメリカGP最多観客動員数記録を更新するまで、アメリカGP開催地として最大の成功を収めていたのがニューヨーク州北部にあるワトキンス・グレンだ。ワトキンス・グレンでのアメリカGPは最初から成功を収め、初開催の1961シーズンは60,000人を超えるファンたちが詰めかけた。
当時のアメリカGPはシーズン終盤に設定されており、チャンピオン争いがすでに決着していることも多かったが、レースプロモーターは高額の出走報酬を用意してドライバーたちにエントリーを呼びかけた。そのため、アメリカGPはファンだけではなくドライバーたちからの人気も高かった。
ワトキンス・グレンは1971年にコースが改修されてよりチャレンジングなレースになり、その結果ファンとドライバー双方にとってますます魅力的になった。
しかし、ワトキンス・グレンの運命はその後間もなく下降へ転じていく。1974年、1975年と2年連続でレースウィークエンド中に死亡事故が発生し、ドライバーとメディアが舗装の老朽化やしばしば破壊行為を企てる暴力的なファンたちに対する懸念を口にするようになると、ワトキンス・グレンは求心力を失い始めた。
ワトキンス・グレンはサーキットの改善に着手したが、“時すでに遅し” だった。このサーキットで開催されるはずだった1981シーズンのアメリカGPがキャンセルされると、ワトキンス・グレンにF1が戻ってくることはなかった。
10

リバーサイド・インターナショナル・レースウェイ

  • 場所:カリフォルニア州モレノバレー
  • 開催年:1960年
  • 優勝ドライバー:スターリング・モス
新たな “アメリカGP” の知名度を高めるべく、レースオーガナイザーを務めるアレック・ウルマンは陽光降り注ぐ南カリフォルニアリバーサイドで史上2回目のアメリカGPを開催した。
しかし、このイベントは収益を上げるために必要な知名度を獲得できず、レースオーガナイザーたちはイベントを完全な恥さらしにしないために出走報酬をポケットマネーから支払う羽目になった。
11

セブリング・インターナショナル・レースウェイ

  • 場所:フロリダ州セブリング
  • 開催年:1959年
  • 優勝ドライバー:ブルース・マクラーレン
セブリング・インターナショナル・レースウェイはモータースポーツにおける様々な人気・重要イベントの舞台となってきた。しかし、その唯一のアメリカGP開催はそのロケーションが主な原因で “豪華絢爛” からはかけ離れていた。1960年の米国国勢調査局の統計によれば、当時のセブリングの人口は7,000人に満たず、フロリダ州のどの主要都市からも1時間以上離れていた。
1959年の第1回アメリカGPの観客動員数は8,000人に届かなかったが、レース内容は悪くなく、ブルース・マクラーレンが1秒以下の僅差で競り勝って当時の最年少優勝記録を22歳104日に塗り替えた。この記録はそれから40年以上破られなかった。
12

最後に

米国とF1の関係は54年以上続いている。F1 2023シーズンはマイアミオースティンラスベガスを加えた3レースが米国内で開催されるため、米国はF1史上初の「複数シーズンで年間3レースを開催した国」になる。
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F1チームであるレッドブル・レーシングは、これまでF1マシン、そしてドライバーたちと共に世界中の様々な都市を巡ってきた。今までの彼らの軌跡、そして素晴らしい景色の中を駆ける高速マシンでの旅をご堪能あれ。

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